青いレモンの殺意
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チャプター
      


警察――捜査主任は幸か不幸か交野の親父さんだった――が来てからは、それこそ上を下への大騒ぎだった。鑑識が物置に入る。手帳を持った私服がうろうろする。俺らも調書を取るために順番に応接室に呼ばれた。特に第一発見者の俺は一番に呼ばれて、同じ事を繰り返し、手を替え品を替え質問された。 
「あの、物置の床に散乱していた紙は一体何だったんですか」
 質問の切れ目を見計らって、俺は気になっていたことを警部に逆に質問した。
「そんなことを聞いてどうするつもりだね」
 やっぱり親子だ。警部は用心深そうに俺を睨んだ。
「いやあ……」
 俺は言葉につまった。
「まあいい。五十センチ×十五センチの厚紙に『友情』と書いた紙が物置の扉の閂に紐で結わえられて放射状に広げられとったんだ。全部まん中で引き裂かれてな。残り半分は壁の釘にぶら下がっていたよ。被害者がやったにしろ、犯人にしろ一体何のまじないのつもりなんだろうな」
 最後の方は独り言のように呟いた。
「それなら心当たりがあります。今年の学園祭のテーマ・カードですよ、きっと」
 松沢高校の学園祭では、毎年二字熟語のテーマが決められ、出展される作品や上演される芝居、音楽も基本的にそれに添ったものが選ばれる習慣になっている。
 今年のテーマは「友情」だ。毎年テーマが決まると生徒会執行部が中心になってテーマ・カードが作られる。五十センチ×十五センチの厚紙に色とりどりのサインペンでテーマの文字を大書し、上下に一メートル程の紐を付けて教室の窓に飾る代物だ。伝統とはいえ学園祭に付けるテーマにしろテーマ・カードにしろセンスが百年ほど古い気がしているが、風が吹くとカードがくるくる回って縁取りをした色紙が光る様はなかなか綺麗だ。
 確かまだ縁取りが終わっていない五十枚程を物置の壁の釘に引っ掛けておいたはずだ。俺はそのことを警部に説明した。
「でも、どうして半分に破いたんだろう。結構たいへんな作業だと思いますよ、あの紙、丈夫だから」
 半分独り言のように俺は言った。それから、ふと思い付いて警部に尋ねた。
「中で一枚だけ他と違う紙が交じっているといった事はなかったですか。一枚だけ焦げていたとか」
 何のためのトリックか分からないが、枝を隠すなら森という言葉が浮かんだのだ。
「いや、丹念に調べたが全部同じだった」
 答えてしまってから、警部はぎろりとこちらを睨むと芝居がかった咳払いをした。

 引き裂かれた「友情」のカードか……。まったく何のまじないだろう。
 ドアがノックされ私服が入ってきた。警部に何か耳打ちして、警部が低く答えると手に持った紙袋を置いてまた出ていった。
「さて、もう一度おさらいをしようか。……、まあそんな嫌な顔をしないでくれよ。大体君はこういうことが大好きだっていつも徹から聞いているぞ」
 言いながら警部は現場の略図を書いた紙を広げた。
「君が生徒会室に着いたのは何時ごろだった?」
「三時五分くらい前だったと思いますよ」
「その時、生徒会室にいたのは徹だけだったんだね」
「ええ」
「君の後には、誰が来たの?」
 この質問に答えるのは一体何度目だろう。俺はいい加減うんざりしていた。
「安田さんが来ました。時間は三時少し前だったと思います。その次に、水野さん。生徒会室の時計で三時丁度です」
 安田香代の言葉を思い出しながら俺は続けた。
「最後に本田君が来ました。水野さんが来たすぐ後だったと思います」
「物置の扉が閉まる音を聞いたのは何時ごろだったか覚えているかい?」
「たぶん、三時五分頃じゃないかと思います。先に練習を始めようかと言ってた矢先ですから」
「物置の扉が閉まったとき、君達五人は生徒会室にいた。間違いないね」
 警部はしつこく念を押した。
「ええ」
 一体何だってまた、同じ質問を繰り替えすのだろう?
「何の集まりだったの」
「学園祭の寸劇の練習ですよ」
 生徒会執行部の余興は何代か前の生徒会長が始めたことで、これもいつのまにか恒例になっている。今年は本田のおよそ彼のキャラとは似付かわしくないロマンティックな提案で、中村八大の『おさななじみ』の歌に合わせたミュージカル風の寸劇を演る予定だ。そのことを警部に説明した。
「ふーん。凝ったものをやるんだねえ」
 芝居の中身に興味があるわけじゃないのだろう。警部の言葉は、おざなりに聞こえた。
「まあともかく、君達五人は唯一完璧なアリバイを持っているということだな」
「どういうことですか」
 俺の質問に警部は妙な笑いを浮かべた。
「目撃した生徒がいたんだよ。三時五分過ぎに校庭を歩いていて、何気なく屋上の方を見上げたら現場の物置の窓からぶら下がっている人間がいたそうだ。時刻からいっても、犯人に間違いないだろう。バイクのフルフェイスのヘルメットを被っていたから顔は分からなかったらしいが、君と同じ色と柄のトレーナを着てジーパンを履いていたそうだ。その人物は窓から手を離して飛び降りると大時計の前を通り、生徒会室と反対側の階段の方へと走って行って見えなくなった。どうやら犯人は矢野君を刺してから扉を蹴飛ばすかして勢いよく閉めると、窓から逃げたらしい。つまりその時刻に物置の真下にいた君達は少なくとも犯人じゃないわけだ」
 警部は犯人の心当たりについて聞いてきたが、俺には思い当る人間は特になかった。
「一つ気になることがあります。犯人の着ていたトレーナって本当にこれと同じ物だったんでしょうか」
「間違いないさ」
 警部は私服が置いていった紙袋の中からトレーナを取出しながら言った。  
「こいつが屋上から下りてくる階段の途中にヘルメットと一緒に捨てられていたそうだ。目撃した生徒にも確認したよ」
 派手なピンクの地に校章の矢車の模様が白く染め抜かれている。間違いない。
「でも、このトレーナは今度の寸劇用に六人分だけオリジナルで作ったんです。生徒会室に集まった時俺らはみんなそのトレーナを着ていましたよ。だから、犯人がそのトレーナを着ているはずがありません」
「なんだって」
 警部は目を剥いた。
 ……、俺は暫らく目を閉じて考えた。
「すみません、混乱させてしまったみたいです。答は一つしかありませんね」
 俺はゆっくり言った。
「それは、矢野のトレーナですよ」
 殺された彼が黒っぽいTシャツを着ていたのを思い出した。でも、犯人はなぜ矢野のトレーナを着て逃げたりしたんだろう。警部も俺と同じ思いなのか急に考え込んでしまったみたいだった。その後の質問は形式的なものばかりで、それが済むと呆気なく俺は放免された。俺は、まだ上の空で考え事をしている様子の警部を残して応接室を後にした。
 何かが俺の頭の中で引っ掛かっている。誰かが描いた図式を見せられているというか、まだよく分からないけれど誰かの作為がこの事件全体にオブラートを被せているような気がしてならなかった。俺は図書館の司書室に行った。図書委員を兼ねているのでこの部屋への出入りは自由だ。何か考え事をするときにはいつもここに来ることにしている。
 戸を開けてみると案の定誰もいない。窓際の椅子に腰掛けて校庭を眺めながら情報を整理してみた。
 聞こえた音と、聞こえなかった音の問題。現場はなぜ密室でなかったのか。目撃して下さいと言わんばかりの、あの派手なトレーナを着ていた犯人。
 俺の頭の中でいくつもの疑問が渦をまいていた。それでも三十分後に、図書館を出る頃にはいくつかの謎が解け、いくつかの新しい疑問が湧いてきた。犯人は――誰かはまだ分からないけれど――何らかのトリックを使ってアリバイ工作を施した。そして、その犯人は俺を除く――自分が犯人じゃないことは分かっている――四人の執行委員の誰かだということだけは間違いなかった。
 だが、まだ警察に話せるような状況じゃない。まるで証拠のない話だし、何もかもが分かったわけじゃないからどこかに大きな落し穴があって、最初から大間違いをしている可能性だってある。もう少し自分で調べてみるしかなさそうだった。
 次の日には一通り捜査も済んだらしく生徒会室も開放されていた。昨日と同じ三時頃に顔を出すと交野が一人で窓から校庭を眺めていた。
「何か珍しいものが見えるかい」
 俺が尋ねても彼は振り返らなかった。
「別に」
 彼と並んで窓から見下ろす。歩いている人が案外小さく見えて改めてこの部屋の高さを感じる。よっぽど知った顔でもなきゃ、誰が通ってるのかなんてわかりそうもない。
 今朝、通達が出たからだろう。みな急ぎ足で帰っていく。部活動は当面禁止。学園祭も中止となった。
 反発を唱えるクラスメートも少なくなかったけれど、学校側としては当然の措置なのだろう。
「誰なんだろうな。矢野を殺したのは」
 外に目を遣ったまま俺は切り出した。
「さあな。一部の女子からは人気があったけれど我侭なところがあったから、嫌っている奴はとことんだったみたいだね」
 交野の言葉は硬かった。
「嫌いなだけで人を殺す奴なんかいないと思うぜ」
 俺は笑って、次を促した。
「じゃあ、あいつが死ぬと得する奴か、あいつに酷い目に合わされた奴か……、いや、案外もっとつまらない理由かもしれない。たとえば、水野のファンがいて、あいつとキスシーンを演るのが許せなかったとかな」 
 言いながら交野は低く笑った。けれど、その目が一瞬真顔になったのを俺は見逃さなかった。交野も俺の目線に気付いたのか急に狼狽した顔になって怒った声で言った。 
「……、お前またいつもの調子で嗅ぎ回っているのか?いい加減にしろよな。仮にも人一人が死んでいるんだぜ」
「しおらしい顔をしているだけが仲間の弔いじゃないと思うだけさ」
 俺は思った通りのことを言い返した。別にこの事件を調べようとしてることを隠す謂れはない。
 『おさななじみ』の歌詞は十番まである。男子四人女子二人のうちから一人ずつ交替で真ん中に出て、歌詞に合わせて演技をし、残りの四人が両側の前に出て歌を歌う趣向だ。
 どの歌詞を演るかはあみだで決めたが、問題のキスシーンのある八番は、矢野と水野が演ることになっていた。その時だけ、雨傘を広げて陰に隠れた二人が少しくっついてそれらしく見せるという演出だった。交野が矢野に嫉妬して、刺し殺したなんていう馬鹿馬鹿しい可能性があるだろうか?
 戸が開いて安田香代が顔を出したので俺の思考は中断された。
「交野君、教頭が呼んでるわよ」
 殺人事件の後処理で何か相談があるのだろう。二人が出て行ったので俺は一人生徒会室にとり残された。
 ふと机の上を見ると交野のカバンが置いたままになっていた。戸口から顔を出して誰も上がって来ないことを確かめてから俺は迷わずカバンを開いた。
 教科書、筆箱、ノート。四つ折りにした試験の答案。めぼしいものは何もなかった。もっとも俺自身何を探しているという当てもなかったが。ノートを開いて中を確かめていく。三冊目のノートを開いた時、俺は苦労が報われたことを知った。



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