銀鈴
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チャプター
       


「この話には、後日談があります。二人が亡くなってから十五年ほど後の話です。小泉和彦は、結婚して二児の父親となり、東京でも羽振りの良い貴族になっておりました。その年の秋頃から、その和彦の様子がおかしくなり始めたのです。あらぬ物が見えて人前も憚らず急に暴れだしたり、急に泣き出したりする始末です。その振る舞いは、年の瀬が近付くにつれて酷くなる一方でしたが、とうとう十二月の半ばに、『あの二人が、帰って来る』と譫言のようにつぶやきながら、屋敷を出てそのまま蒸発してしまったのです。十二月二十四日の夕方、この小屋の近くを歩いていた二、三人の猟師が、物凄い断末魔の悲鳴を聞きつけました。駆け付けると扉には鍵が掛かっていましたが―随分前に修繕されていたのです―構わず壊して中に入りました。十五年前と同じこの部屋で、和彦は死んでいました。胸には薄刃のナイフが刺さっていて、それ以外にもう一ヶ所胸に刺し傷がありました。あの駐在さんがまた呼ばれて、仔細に調べましたが、小屋の中には和彦以外に誰も居なかったこと、小屋の窓には全て内側から鍵が掛かっていたことは、駐在さんに嫌でも十五年前の事件を思い出させました。もっと不思議なことに、その数日は雪が降らなかったのに、小屋の周りには猟師と和彦のもの以外、足跡が一つも残っていなかったのです。十五年前と同じで、駐在さんは首を傾げながらも、自殺と考えるほかありませんでした」
「でも、駐在さんは間違っていたのです」
 少女が話の後を引き継ぎました。
「だって、その時犯人はこの小屋に居たのですから。いいえ、それから百年経った今でもこうしてこの小屋から離れることができずにいるのです」
 少女の目が、妖しく輝きました。
「あなた方……、幽霊なの?」
 真理子さんの問いに少女は少し淋しそうな笑みを浮かべてじっと真理子さんを見返しました。沈黙の中、思い出したように薪の燃える音が聞こえ、雪をはらんだ木枯らしが林を吹き抜けて、窓ガラスを震わせました。   
「あの日、復讐を遂げるために私達は小泉和彦を殺したのです」
 少女は真理子さんの目をじっと見たまま瞬き一つせずに言いました。
「でも……」
 良夫君が口を挟みかけると、少女は軽く首を振ってそれを制しました。
「でも、小泉和彦が十五年前に殺人を犯した後、密室だったこの小屋からどうやって脱出したかとおっしゃりたいのですね」
「ええ」
「もうヒントは差し上げましたのに……。お二人は、いえ厳密に言うと涼子様はこの土地のロミオとジュリエットだったのです」
 良夫君と真理子さんはロミオとジュリエットの物語を思い出しながら、考え込みました。
 少女はいたずらっ子のような目で暫らく二人を見つめておりましたが、また真顔に戻って先程の淋しそうな眼差しを浮かべると口を開きました。
「涼子様は、ロミオと同じ過ちを犯し、ジュリエットと同じ行動を取ったのです」
「あの日、正午過ぎに二人は、この小屋に辿り着きました。外は、吹雪で凍えそうでしたので荷を解くのを後回しにして、志郎様は薪を取りに小屋の裏手に行こうとして、小屋を出たところで和彦に出くわしたのです。人々が噂していた通り、和彦は二人を追って来ていたのです。やにわに、和彦は用意してあったナイフで志郎様を刺すと、後も見ずに逃げ出しました。志郎様さえ殺してしまえば涼子様の気持ちも変わると短絡的に考えていたのですね。いつまで待っても戻らないので涼子様は、心配になって小屋を出ました。そして雪に半ば埋もれて倒れている志郎様を見付けたのです。駆け寄って脈を取ってみると、とうの昔に事切れていることが分かりました。その時、涼子様は、ロミオと同じ過ち―自分の恋人は死んだのだと誤解したのです。薄刃のナイフで刺されたので出血もひどくなかったこと。吹雪が辺りの血をすぐに隠してしまったこと。えんじ色のセ―タを着ていて血が見分けにくかったこと。度々、それまでも心臓発作で倒れていたこと。気が動転していた涼子様が誤解するのも無理ありませんわ。でもあの時、志郎様は死んだのではなく殺されたのだと気づいて下さっていたら……」
 少女は唇を噛み締めました。
「泣きながら涼子様は、志郎様の亡骸を小屋の中のこの部屋に引きずるようにして運んだのです。後から、後から、降る雪は、引きずった跡も瞬く間に消してしまいました。扉の鍵をきちんと掛けたのは、二人きりになりたかったからです。真理子さんがおっしゃったように涼子様は決して恋人の亡骸を前に、一人で生きていることなどできなかったのです。 志郎様の亡骸を床に横たえると涼子様は直ぐさま立ち上がりました。そして、そこの壁に飾ってあった恭一郎様の狩猟用のナイフ―親族の狩猟仲間が揃いで作らせたもので和彦様の持っていたものと同じナイフです―を外すとジュリエットと同じように迷うことなく自分の胸を貫いたのです。涼子様は志郎様に接吻しながら息を引き取りました。でももし、志郎様が死んだのではなく、殺されたと気づいてくださっていたら……」
 少女はまた唇を噛み締めました。
「あのご気性ですもの、和彦に復讐こそすれ自殺することはなかったでしょうに。そうすれば、私達だって……」
 言いかけて少女は、はっと顔を上げました。
「お父様とお母様が呼んでいる。もうあまり時間がないんだわ」
「お父様と、お母様って?」
 真理子さんが怪訝そうに尋ねました。
「もちろん、小泉志郎と白沢涼子です。私達は二度目の駈け落ちの時に母に宿り、生まれる前に母とともに死んだ双子の兄弟なのです」
 良夫君と真理子さんは顔を見合わせました。だって、目の前の二人こそ、その志郎様と涼子様の幽霊だと考えていたのですから。
「小泉和彦は、本人も気付かないうちに私達四人の家族を殺してしまいました。父小泉志郎を殺すことで同時に母の魂も葬り去ってしまったのです。魂を失った人間が生きていけるはずがありませんもの。母が自ら命を絶ったのも、私達が母と運命をともにすることになったのも、全て和彦の犯した罪なのですわ。ですから、何が起こったかも分からぬうちに殺された父と、最後まで父は病で死んだと信じていた母に代わって、私達が和彦を殺したのです。でも、人を殺した罪は罪。罰として私達の魂はこの小屋を離れることができなくなったのです」
 一度口を噤んでから、少女はまた何か言おうとして口を開きかけましたが、すぐに目を伏せて唇を噛みました。
「あなた方の魂が救われる方法はないの」
 真理子さんが誘い水を向けると少女の顔が輝きました。
「百年前、私達を罰した方からこんな風に告げられました。『この小屋にまつわるこの物語を忘れずに待ちなさい。いつかその言い慣わしの通り、クリスマスの前夜に愛を誓い合った者達がこの小屋を訪れるだろう。彼らは、あなた方の父母の代理人となる為に彼方より旅をして来る者達である。もし、彼らが正しき人々であり、知恵に向かう心を持つ者であれば幸いである。彼らは、あなた方の父母がなすべきであった役目を果たすだろう。その時、あなた方の魂は初めてこの小屋から解き放たれ父母の魂があなた方を迎えに来る。四つの魂がともに天に昇る時、この小屋の戸口にある音色を持たぬ銀鈴が祝福の音を響かせる。その音色を耳にした時こそ、子供達よ。あなた方の魂とあなた方を呪縛から解き放ち救い出した者達の愛が真実祝福される時である』」
 少女はひと息ついて後を続けました。
「毎年、クリスマスイヴの夜になると小屋の外で父と母が私達を呼ぶ声が聞こえるのです。でも、私達はこの小屋から出ることはできない。やがて声が小さくなって、しまいに消えていくのを、術もなく見送るしかなかったのです」



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