ななこちゃんとイダテンくん
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チャプター
        


 昨日、ななこちゃんはお引越しをしました。入院しているお母さんが元気になったら、空気のきれいなところに住んだ方がいいですよと、お医者さまにすすめられたからです。

 新しい町には、田んぼや畑がたくさんあって、ななこちゃんを乗せたトラックは畑の中の細い道をゆっくりと進んで行きました。途中(とちゅう)でトラックを止めて、お父さんは知らないおじさんに道をたずねました。おじさんはななこちゃんの方を見て、『こんにちは』とあいさつをしてくれましたが、ななこちゃんはあわてて首をすくめてしまって、何も返事ができませんでした。

 ななこちゃんの新しいおうちは、町はずれの大きな森のそばにありました。屋根は青色で、玄関は黒々とした古い大きなとびらがついていました。家の前には赤いレンガでかこった小さな花だんがあって、お花が大好きなななこちゃんはうれしくなりました。

 タンスや冷蔵庫(れいぞうこ)みたいな大きな荷物(にもつ)を運ぶお手伝(てつだ)いはできないので、ななこちゃんはすることがなくて家のまわりを探検しました。でも、すぐにあきてしまって、家の外を見てみたいと考えました。

「遠くに行っちゃダメだよ」

 後ろでお父さんの声がしましたが、ちょっとだけだもん――と、ななこちゃんは自分に言い聞かせました。もうすぐ一年生になるんだもん。ちょっとだけなら大丈夫(だいじょうぶ)。心の中でじゅもんのようにとなえながら、ななこちゃんはレンガ色の門を押(お)して外に出ました。

 家を出ると右手に大きな森が見えました。家の前の小さな道はくねくねと曲がりながら森の奥(おく)へと続いているようです。

『森の中には何があるのかなあ?』

 そう考えると、知りたがり屋さんのななこちゃんは、じっとしていられませんでした。森の入り口は大きなライオンが口を開けているようで、ななこちゃんは少しだけこわくなりました。けれども、勇気を出してななこちゃんは森の中に入って行きました。森の奥に何があるのか知りたくてたまらなかったのです。

 森の中は思ったほど暗くはありませんでした。木もれ陽が地面まで届(とど)いてスポットライトのようにあちこちに光の輪を作っていたからです。光の輪に手をかざしてみると、お母さんに手をつないでもらったみたいに温かくて、ななこちゃんはうれしくなりました。

 あの杉(すぎ)の木の根方(ねかた)まで。次はあのブナの木の下まで。ななこちゃんは光の輪をたどって、少しずつ、少しずつ、森の奥(おく)へと進んでいきました。やがて、森の中の小道は上り坂になって、坂を登りきったところで行き止まりになっていました。目の前にはななこちゃんの背(せ)の倍(ばい)以上もあるような大きな石垣(いしがき)がたっていて道はそこでおしまいになっていたのです。

『つまんないの』

 ななこちゃんは心の中でつぶやいて、小石を一つけとばしました。小石は道のわきに立っているモチの木の根に当たって、こつんと音をたてました。見上げるとモチの木はとても大きな木で、ななこちゃんの頭の上に手を差しのべるように枝(えだ)を伸ばしていました。よく見ると道の反対側の木もモチの木で、向い側のモチの木と手をつなごうとするかのように道の上まで枝を伸ばしています。『あれあれ、これって何かに似てる。なんだっけ?』ななこちゃんは首がいたくなるのをがまんしながら、いっしょけんめいに考えました。けれども『何か』を思い出すことができません。ふと、思いついて、今来た道を少しもどって離(はな)れて見ることにしました。ブナの木の下までもどって、ふり返って見ると……、

「あっ」

 ななこちゃんは小さなさけび声をあげました。モチの木の枝はみごとなカーブを描いて丸いアーチの形をしていたのです。『おうちの門とおんなじだ』、ななこちゃんはそう思いました。あのレンガ色の門のように、モチの木のアーチは扉を開いた大きな門みたいに見えました。ななこちゃんはもう一度、石垣(いしがき)に近よって行きました。でもやっぱり道は行き止まり。石垣(いしがき)には、よじ登れそうな手がかりさえありません。

『なあんだ、つまんないの』

 それでもあきらめ切れずに、ちょっと口をとがらかせながら、ななこちゃんは木のアーチをくぐりました。

 まるでそれを待っていたかのように、ゴゴゴゴと大きな音がして石垣(いしがき)が動き出しました。ななこちゃんの目の前の石が、たて一列(いちれつ)に奥に引っ込(こ)んだかと思うと、小さな石の階段(かいだん)ができたのです。

『どうぞ、おはいりなさい』

 石の階段(かいだん)は、そう言ってななこちゃんをさそっているように見えました。そうっとあたりを見回しましたがやっぱりだれもいません。ななこちゃんは、おそるおそる石の階段(かいだん)に足をかけました。『急にまた階段(かいだん)が石垣(いしがき)に戻ってしまったらどうしよう』ちょっとびくびくしながら、ななこちゃんは用心しいしい階段(かいだん)を上がって行きました。

「わあ」

 階段(かいだん)のてっぺんまで上がったななこちゃんは、思わず大きな声をあげました。石垣(いしがき)の上には大きな大きな野原が広がっていたのです。お日さまの光を照(て)り返して、野原はきらきらと輝(かがや)いていました。ななこちゃんはそれがまぶしくて、何度もまばたきをしました。

 野原には一面に黄色い菜(な)の花がさいていて、それが一枚(いちまい)のきぬの布地(ぬのじ)のように風にうねりながら光っているのでした。

 ななこちゃんの名前は漢字で『菜々子(ななこ)』と書きます。『一面に菜(な)の花がさいている春の野原みたいに、あったかい女の子になりますようにってつけたのよ』、いつかお母さんが話してくれました。ななこちゃんは自分の名前とそっくりなこの野原が、いっぺんで好きになりました。

 だれもいない静かな野原はどこまでも続いているように見えました。ななこちゃんはうれしくなって菜(な)の花のじゅうたんの中に飛びこむと思いきりかけ出しました。かけて、かけて、息(いき)を切らせて立ち止まって、ふり返るとモチの木の頭がずいぶん小さく見えました。それでも野原のはては見えなくて、どこまでも菜(な)の花が続いているのです。

 ななこちゃんは、おふとんに倒(たお)れこむように黄色いじゅうたんにねころびました。ぷんと、花の強いにおいがななこちゃんの鼻をくすぐりました。ずっと高い空の上でひばりが鳴く声が聞こえます。お日さまの光は温かくて、長いことトラックにゆられていた疲(つか)れが出てきたのか、ななこちゃんはうとうとしてしまいました。

 ピーッ。ひばりの高い鳴き声がねむりかけたななこちゃんをゆり起こすように響(ひび)きました。あわてて、ななこちゃんは飛び起きます。『かえらなくちゃ』、ななこちゃんはモチの木めざしてかけて行きました。

 ななこちゃんが家にもどると大きな荷物(にもつ)は全部運びこまれた後(あと)でしたので、小さな荷物の片づけをお手伝いしました。ダンボール箱から洋服(ふく)や下着、食器や台所道具、絵本やおもちゃをどんどん出してゆかに広げていきます。それをお父さんといっしょに、タンスや引き出しにせっせとしまっていきました。

 日が暮れるころにはダンボール箱は全部ペタンこにたたまれて物置にしまわれ、ゆかの上に広げられた荷物もすっきりとなくなりました。

「今日(きょう)ね、すっごくふしぎな野原を見つけたんだよ」

 ななこちゃんは夕ごはんを食べながら、ふしぎな石垣(いしがき)の階段(かいだん)と大きな菜(な)の花の野原の話をお父さんにしました。お父さんはななこちゃんが一人で森に行ったことを聞いて、少し心配そうな顔をしましたが、それでもななこちゃんの小さな冒険(ぼうけん)を楽しそうに聞いていました。

「そんなきれいな野原なら、お父さんも見てみたいなあ」

「じゃあ、あしたいっしょに行こうよ」

「あしたはお店の準備をしなくちゃ。でも、菜(な)の花がさいているうちには行ってみたいね」

 お父さんとななこちゃんはテーブルをはさんで指切りげんまんをしました。


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