ななこちゃんのお父さんはくつ屋さんです。お客さんの足の型を取って、一足、一足、手作りで、お客さんにぴったり合う世界に一つしかないくつを作るのが仕事です。次の日は朝から、お父さんはお店を始めるしたくにかかっていました。
「お散歩(さんぽ)に行ってくるね」
道具やくつの材料(ざいりょう)をならべているお父さんの背中(せなか)に声をかけて、ななこちゃんは出かけました。
森の中を昨日と同じ道をぬけて、モチの木のアーチをくぐると、ま た石垣(いしがき)の階段(かいだん)があらわれました。ななこちゃんは今日(きょう)は一息(いき)に石の階段(かいだん)をかけ上がりました。石垣 (いしがき)の上には昨日と同じように菜(な)の花のじゅうたんが風にうねりながら、きらきらと光っていました。そのじゅうたんめがけて、ななこちゃんが かけだそうとした、その時です。
「うーん。うーん」
すぐ近くで変なうなり声が聞こえてきました。おどろいてななこちゃんはあたりを見まわしましたが、菜(な)の花が風にゆれているばかりで何も見えません。
「うーん。うーん」
それでも、変なうなり声はたしかにすぐそばから聞こえてきます。 ななこちゃんは耳をすませて、声のする方へそろそろと近よって行きました。菜の花をかき分けながら進んでいくと、声はだんだん大きくはっきりと聞こえてき ます。とりわけ、背(せ)の高い菜の花のひとむれをかき分けると、その向こうに男の子が苦しそうに体を丸めてたおれていました。
男の子は、ななこちゃんと同じくらいの年に見えました。白いふし ぎな着物(きもの)を着ています。白いゆったりとしたズボンをはいていて、上着(うわぎ)は一枚(まい)の白い布でできているのです。その布のまん中にあ なを開けて首を出してすっぽりとかぶっていました。腰(こし)のところで細いひもをギュッと巻(ま)いてその布をしばっています。まるで腰のくびれた、て るてるぼうずみたいです。足は裸足(はだし)で右の足から血が流れていました。男の子は痛(いた)そうに顔をしかめながら、その足をおさえています。
「大丈夫(だいじょうぶ)?」
ななこちゃんは、おそるおそる男の子に近よると血の出ている足にさわろうとしました。
「さわるな」
男の子はいっそう顔をしかめて、ななこちゃんの手をふりはらいました。そのひょうしに足に痛(いた)みが走ったようで、ぎゅっと目をつぶって苦しそうにまたうめきました。
「でも、ひどいけがだよ。手当てをした方がいいよ」
ななこちゃんが手をのばそうとすると、男の子はものすごい目をして、ななこちゃんをにらみました。
「ほっといてくれ」
自分では動けないくらいのけがをしているのに、ずい分いばりんぼうです。ななこちゃんは男の子のけんまくにびっくりして手を引っこめました。でもやっぱり、ほっとけないと思いました。
「うちにおいでよ。手当てしてあげるから。そのままだといつまでたっても歩けないよ」
男の子はまた何か言いかえそうとしましたが、よほど足が痛むと見えて、ぎゅっと目をつぶって足をおさえたまま、だまりこみました。
「おぶさりなよ。歩けないんでしょ」
ななこちゃんが、かがんで背中(せなか)を向けても男の子はぷいっと横を向いて起き上ろうとはしません。
「もう。いじはらないでよ」
ななこちゃんも、じれてしまって、いっそ本当にこのままほうって いってしまおうとかと思いました。でも、よく見ると男の子の顔はじゅくし過ぎた柿(かき)の実みたいに真っ赤になっていて、びっしりとあせがふき出ていま す。そおっと、ひたいに手を伸ばしてさわってみると、日なたで焼けた石みたいに熱(あつ)くなっていて、ななこちゃんはあわてて手を引っこめました。 『やっぱり、ほっとけないや』、ななこちゃんはためいきをつきました。
よいしょっと男の子の体を背中(せなか)から起こしてあげると、両うでを持ち上げてななこちゃんの肩(かた)につかまらせてあげました。
「しっかりつかまってるんだよ」
声をかけると、男のおしりを両手でだきかかえるようにして立ち上がりました。男の子の体は羽(はね)みたいに軽(かる)くて、らくらくとおんぶできてしまったので、ななこちゃんはびっくりしました。これなら家(うち)まで休まずに帰れそうです。
菜の花をかき分けながら、ななこちゃんは石垣(いしがき)の階段(かいだん)に向かいました。『あんな小さな階段(かいだん)をこの子をおんぶして下りられるかなあ』ななこちゃんは、ちょっと心配になってきました。
ところが石垣(いしがき)のてっぺんまで来ると、階段(かいだん)はまるでななこちゃんの心配がわかっていたかのように、ゴゴゴゴと音を立てて大きく広がったのです。ななこちゃんは楽らく森の地面まで下りることができました。
「わたし、ななこ。あんたの名前は」
ななこちゃんは森の中の道を歩きながらたずねました。男の子は答えるのがいやそうに、ちょっと顔をしかめながら、
「イダテン」
ぼそりとつぶやくように言いました。
「ふうん。変わった名前だね」ななこちゃんがそう言うと、イダテンくんは怒(おこ)ったように言いかえしました。
「ななこの方がよっぽど変な名前じゃないか。一個(こ)しかないのに、七個(こ)だってさ」
「人間は一個(こ)、二個(こ)って数えないよ。ひとり、ふたり、って言うの」
ななこちゃんは笑(わら)ってしまいました。自分の名前をそんなふうに言われたのは初(はじ)めてだったのです。
「オレの父さんはイダテン様って言うえらい神様(かみさま)なんだ。その名前をオレはもらったんだ。変な名前なんかじゃないやい」
イダテンくんは変な名前と言われたことが、よっぽど気にさわったようでした。
「ごめん」
ななこちゃんはすなおにあやまりました。イダテンくんはななこ ちゃんの背中(せなか)の上でお父さんの話をしてくれました。イダテン様はこの世で一番足の速(はや)い神様なのだそうです。むかし悪(わる)い魔王(ま おう)が亡くなったおしゃか様の骨(ほね)をぬすんで逃(に)げた時、その魔王(まおう)を追いかけて骨(ほね)を取りかえしたのもイダテンくんのお父さ んなのだそうです。
「だからオレもとびっきり足が速(はや)いんだ」
「ふうん。だったら早く治さないといけないね。走れなくなったらたいへんだ」
森を出て、ななこちゃんは家にもどってきました。
「お父さん。たいへんだよ」
玄関でななこちゃんが大きな声を上げると、お父さんはあわててお 店から出てきました。見るとななこちゃんがしらない男の子をおんぶしていて、男の子の足からは赤い血がぽたぽたと落ちています。男の子の顔が真っ赤になっ ていて、あせをびっしょりかいているのを見て、お父さんは男の子のけががずい分ひどいようだと考えました。
すぐに電話でお医者さまをよんでから、お父さんは男の子をふとんに寝(ね)かせました。ななこちゃんは、ほうたいとばんそうこうを持ってきて、お父さんに傷口(きずぐち)をしばってもらいました。
お医者さまはすぐに来てくれて、イダテンくんの傷口(きずぐち)をじっくりと調(しら)べました。
「何か毒(どく)のある草か木をふみぬいたんだね。体の中に毒が回っているようだ」
それからお医者さまは、いやがってあばれるイダテンくんをお父さ んと二人がかりでおさえつけて、体の毒を消す注しゃをしました。ななこちゃんは痛そうな注しゃを見ているのがいやだったので、その間に台所に行って氷まく らを作りました。お母さんが時々熱(ねつ)を出してしまうことがあるので、お父さんの手伝いをしていて、氷まくらを作るのには慣(な)れているのです。
氷まくらと大きなタオルを持って部屋(へや)にもどると注しゃは終わっていて、お医者さまとお父さんが話をしていました。
「ひと晩(ばん)ゆっくりと寝(ね)かせれば熱も下がるでしょう。けがの方は治るまでに少し時間がかかるかもしれない。ともかく、この子のご両親(りょうしん)が心配なさっているでしょう。連絡をとったほうがいいですよ」
お父さんはイダテンくんにおうちの電話番号をたずねました。けれどイダテンくんは首を横にふって、そんなものはありませんと言いました。
「お父さん、イダテンくんのお父さんは、いだてんさまって言うえらい神様なんだって。神様だから電話を持ってないんだよ」
お父さんもお医者さまもびっくりしました。韋駄天(いだてん)さ まという足の速(はや)い神様のことは聞いたことがあります。男の子が来ている風変りな着物(きもの)や、はだしの足を見ているとふしぎにこの男の子が神 様の子供だということも納得(なっとく)できる気がしました。
イダテンくんは、うっすらと目を開いて言いました。
「父さんは神様だから、ぼくがけがをしたことも、ななこさんの家にお世話になっていることもとっくに知っています。ごめいわくだろうけど、今晩(こんばん)ひと晩(ばん)は泊めていただきなさいと申(もう)しています」
まるでおとなのようなしゃべり方をして、『どうぞよろしくおねがいします』と言うと横になったままぺこりとおじぎをしました。
ななこちゃんには、『オレ』とえらそうに言っていたのに、お父さんには『ぼく』と言っているイダテンくんがおかしくて、ななこちゃんはお父さんの後ろでくすくす笑(わら)いました。