里菜と続編図書館
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チャプター
      


 迷っているひまはない。シンシアはあぶみに足を掛けると素早くカヤにまたがった。
「ナオヤ、騎(の)って」
 差し出されたシンシアの手につかまりナオヤもシンシアの後ろにまたがる。『ハイッ』シンシアの掛け声とともにカヤは走り出した。行く手を阻(はば)むオーク達はシンシアのつむじ風が道を開き、側面から斬りかかってくる奴はナオヤがなぎ払った。
 村の外れを出て荒野を走り始めると追手の姿も消えた。
「あいつら鈍足(どんそく)だからもう大丈夫だよ」
 安堵するシンシアをあざ笑うように頭上から不気味な鳴き声が響く。『ガルだ』シンシアの声は震えていた。鷹のような爪を持ちハヤブサのように俊敏な怪鳥。代官カミュの尖兵(せんぺい)だ。急降下してくるガルにシンシアは風の槍(やり)を放った。が、ガルは不敵に身をかわしながら二人に迫ってくる。
「カヤを止めろ」
 シンシアが手綱を引いた。カヤの足が緩むとナオヤは転がるように飛び下りた。
「もう一度、風を撃ってくれ。……早く!」
 体勢を立て直すと背負っていた洋弓を抜きながらナオヤが叫ぶ。シンシアが風の槍を放つと同時にガルの動線を読んでナオヤは矢を放った。
 ギャウッ
 風の槍から身をかわした先で矢をまともに喰らったガルは絶叫して墜ちてきた。二羽、三羽、墜ちていく仲間を見て残りは撤退していく。
「行こう」
 ナオヤがカヤにまたがるとシンシアはあぶみを蹴った。カヤが再び懸け出す。
「すごい!ナオヤは弓もできるんだ」
 シンシアが興奮気味に言う。
「子供の頃から家の道場で親父にしごかれっぱなしでさ。剣道がうざったかったんだ。で、当て付けにアーチェリー始めたらハマっちゃってさあ……」
「アーチェリーって何?」
「弓みたいなもんだ」
 ナオヤの大雑把(おおざっぱ)な説明にシンシアは小首を傾げた。二人の前に十字架を戴(いただ)いた尖塔のある建物が見えてきた。『教会よ』シンシアはあぶみを蹴ってカヤを急かせた。
 中庭に駆け込むと二人はカヤから飛び下りた。カヤをつなぎ止める手ももどかしく教会の中に転がり込む。振り向くと彼方(かなた)に土煙が立ち上っている。シンシアは急いで樫(かし)の扉を閉めた。
「ここは結界が張ってあるからあいつらは入って来れない。神父様はゴルドバを恐れてとっくに逃げちゃったから無人だけどね」
 一息ついて入口近くの椅子に腰かけながらシンシアは言った。教会の周りをオーク達が包囲しているはずなのに不気味なくらい静かだ。
「で、これからどうすんだ?」
 ナオヤの言葉はステンドグラスが割れるけたたましい音にかき消された。床にこぶし大の石が転がる。たて続けにステンドグラスが割れて石が飛び込んでくる。
「奥へ逃げろ」
 シンシアを先に走らせて祭壇に向かう。二人をせき立てるようにガラスが割れる音が鳴り響いた。
「結界張ってても石は投げ込めるのかよ」
 ぼやくナオヤの目の前で祭壇の天窓に影が差した。―ステンドグラスを割ったのは二人を祭壇に追い立てる陽動だったらしい。ナオヤが床を蹴るのとガルが落した岩が天窓を砕くのが同時だった。ナオヤはシンシアを押し倒すようにしてその体に覆い被さった。『ぐうっ』ナオヤの下でシンシアが呻(うめ)いた。ナオヤの頭に腕に体に幾千の色ガラスが降り注いだ。
 辺りが静かになってシンシアはナオヤを押し退けて体を起こした。『ちょっと……』と言いかけた彼女の表情が凍りついた。無数のガラスが突き刺さってナオヤの顔は血まみれだった。

 続きが気になる―。早く帰って続きが読みたい。けれど今はそれどころじゃない。里菜は白い樫の扉を押して続編図書館に足を踏み入れた。
 続編図書館は建物の中も真っ白だった。入ってすぐに左右に白い廊下が伸びていて、正面の白い壁に案内板がかかっていた。
    ↑
   受付(会員登録はこちら)
   一般書架
    ↓
 里菜は右手に進んだ。廊下を曲がったところに白いカウンターがあって縁無し眼鏡をかけたおじさんが腰かけていた。おじさんはあのカードとおそろいの真っ赤なエプロンをしていて、エプロンの真ん中には今にも動き出しそうな小犬がこちらを見ていた。
「いらっしゃい。初めてかい」
 おじさんは人懐っこそうに笑った。
「はい。あの……。会員登録をしたいんですけど」
「これに名前と住所、電話番号を書いて。何か身分証はあるかな?」
「生徒手帳ならありますけど」
「それで良いよ。コピー取らせてね」
 生徒手帳を受け取っておじさんは奥の部屋に入って行った。何だか手続きが当たり前過ぎて里菜はあっけに取られた。こんなんで良えんかなあ?―渡された用紙に住所と電話番号を書きながら首を傾げる。こっちの世界でこんな情報の使い道ってあるのんかな?
 おじさんが戻ってきて生徒手帳を返してくれた。申し込み用紙を確かめると引き出しから白いリボンの付いた真っ赤なカードを一枚取り出した。あのカードだ。
 おじさんはカードの上で指を滑らせた。指でなぞった跡に金色の文字で里菜の名前が浮き上がった。
「はい、図書館カード」
 おじさんが手渡してくれたカードを里菜は両手で受け取った。カードの下にはあの小犬の絵が描かれていて里菜の胸は躍った。
「誰かに案内させた方が良いね。トナエ……、トナエ、ちょっと出て来てくれ」
 おじさんは奥の部屋に向かって声を掛けた。『はい』と返事をしながら出て来たのはあの男の子だった。男の子もおじさんと同じ真っ赤なエプロンをしていた。
「あ、お前」
 里菜を見て男の子は声を上げた。
「お客様に失礼な言い方をするんじゃない」
「クビキさん、この子あっちの世界の人間だよ。なんだって会員登録しちゃうんだよ」
クビキさんと呼ばれたおじさんはまじまじと里菜を見た。里菜は慌ててカードを持った手を背中に隠した。今さら取り返されたくない。
「おや、そうだったのかい。ま、登録しちまったもんは仕方がない。君はもうこの図書館の会員だ」
 えらく大雑把な気もしたが、とりあえず里菜は胸を撫で下ろした。
「トナエ、この子に図書館を案内してやってくれ。それから規則の説明も頼むよ」
「新刊の整理で忙しいんだよ」
「口答えはしない。よろしくな」
 言うとクビキさんはトナエの背中を押してカウンターの外へ追いやった。
「しょうがないな。じゃあ、付いてきて」
 クビキさんに向かって露骨に顔をしかめてからトナエは里菜に向き直った。嫌な顔されるんだろうな―里菜は身構えた。
 が、意外なことにトナエの顔は怒ってもいないし、笑ってもいなかった。無表情―って言うのかな?トナエは里菜を促して廊下を歩き出した。里菜達は来た道を戻って一般書架と書かれた札が付いた入口を抜けて行った。
「うわあ」
 里菜は思わず大きな声を立ててしまって慌てて両手で口をふさいだ。一体どれだけの本があるんだろう。まるで本の海だ。立ち並んでいる書架がどこまで続いているのかわからない。はるか向こうの方の書架は高層ビルのてっぺんから道路を走る車をみるように小さくかすんで見えた。それでもその向こうにまだ書架は続いている。
「まずこの図書館の特徴から説明します」
 トナエがいきなりしゃべり出した。
「ここにある本は全部、そちらの世界にある物語のまだ生まれていない続きの話です。単独の物語なら続編。もう続編が出ている物語ならそのまた続編。シリーズ物なら最新作の次の物語です」
「ねえ、なんか怒ってる?」
 里菜が話に割り込んだ。
「なぜ、そう思うんです?」
 トナエがちょっと驚いたような顔をした。
「だってさ、なんかコンピュータがしゃべってるみたいだし」
「ぼくはいつもこういうしゃべり方です」
 トナエはそれこそ怒ったように言った。町の図書館で里菜に捲くし立てた口調の方が特別なんだろうか?
「説明を続けます」
 あくまでもマイペースでトナエはまた話し出した。
「ですから、ここにある本の数はそちらの世界の物語と丁度同じ数になります。いつかこちらの世界の物語がそちらの世界で生まれればその本はここの書架からなくなりますけど、同時にその続きの物語が生まれます。だからここの本の数は減ることはなくて、そちらの世界で新しい物語が生まれる度に増えていくのです」
 理屈はなんとなくわかったけど、聞いていて里菜は数字に酔(よ)いそうになった。


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