時計仕掛けの邂逅

「Gの書斎」に戻る


 ぼくがそのお姉さんと初めて出会ったのは五歳になったばかりの七夕の夜だった。
 七時から始まるアニメをがまんして、ぼくはこっそり家をぬけ出すと近所の原っぱに走って行ったんだ。急な階段をかけ上がって『いっちばん』ってさけぼうとしたら、赤い服を着たお姉さんが立っていた。
 ぼくの足音にふり返ったお姉さんは体をかがめてにっこり笑った。
「ぼうやは近所の子?」
 ぼくは声がのどに引っかかったみたくなっちゃって、だまってうなずくしかなかった。だって、そのお姉さんは今まで見たどの女の人よりもきれいだったんだもん。
 ぼくがお姉さんの名前をたずねると、『ケイっていうの』って教えてくれた。ケイはぼくのとなりにこしかけて星の話をしてくれた。ずい分長いこと話していた気がしたんだけど、あとで考えるとせいぜい十分くらいだった気もする。
「ねえ、明日も会える?」
 ぼくがそう聞くとケイはさびしそうな顔をして首を横にふった。半べそ顔になったぼくの頭をなでながらケイはこう言った。
「一年後の明日、来年の七月八日朝の七時にここに来て。お姉さんきっと待ってるから」
 ぼくたちは指切りをしてからさよならした。

 あれから十年が経つ。俺は十五歳の受験生だ。ケイとの奇妙な再会は一度も途切れることなく毎年続いている。去年の夏、「じゃあ来年の今夜、七月十二日の夜七時にまた会いましょ」と彼女は言った。ケイとの再会は丁度一年後ではなく、なぜか半日ずつずれていく。彼女が何者なのか?─それは幼稚園以来、俺を捉えて離さない大きな謎だ。ある一つのことさえ除けば近所の酔狂な娘が子供をからかっているだけだどいう強引な推理も成り立つ。だが彼女の場合に限ってそれでは説明がつかないんだ。
 ─彼女はこの十年間、年をとっていない。
 子供の頃は大人の年なんて見当もつかなかったが、小学校の高学年くらいになればわかってくる。彼女は二十歳前後といったところだろう。但し、初めて出会った時からずっと二十歳前後なのだ。目尻や口元にしわ一つ寄りもしない。それどころか、年相応に大人びることもなくいつまで経っても少女めいたあどけない顔をしている。去年、たまりかねてケイは何者なの? と尋ねてしまった。ケイは笑って『当ててみて。当たってたらちゃんと正解って言ってあげるから』と言った。
 七月十二日、日が暮れ始めたので俺は家を出た。原っぱがあった場所は今では喫茶店になっている。ブレンドを飲みながら待つことしばし。十九時きっかりにケイが店に入ってきた。
「久しぶり」
 そう言いながら俺の前に座ったケイはどう見ても女子大生くらいにしか見えない。初めて会ってから十年。本当なら三十前後になっているはずなのに。
「地縛霊」
「ん?」
 いきなりの俺の切り込みにケイはきょとんとした顔になった。
「いや、……その、ケイの正体」
 一瞬、間が空いてそれからケイは爆笑した。
「そ……それ、本気で言ってるの」
 涙まで浮かべて身をよじるケイに俺はちょっと傷ついた。
「だってしょうがないだろ。それが一番信憑性がありそうな仮説だったんだから」
 むくれる俺を見てケイは笑いながら
「却下、私はちゃんと生きてるよ」
 と言った。タイムマシンで一年ずつスキップしている。サイボーグ。実は俺の心が病んでいて、その病気が見せている幻影─ことごとくケイは俺の仮説を却下した。
 実は年子の十人姉妹で毎年一つ下の妹が会いに来ているという説にケイは大ウケしていたがもちろん首を縦には振ってくれなかった。
 店に入って十分経った頃からケイは時計を気にし始めた。
「そろそろ行かなきゃ」
 席を立つケイに俺はふてくされた。
「ホント、いつも忙しないよな」
「ごめんね。また来年の明日、七月十三日の朝七時にここで待ってる」
 ケイは手を振ると店を出て行った。

 六年後─俺は大学の理学部で天文学を専攻していた。ケイとの約束は七月十五日の夜。この頃俺はちょっとやさぐれている。研究の行き詰まり、失恋、バイト先でのトラブル。嫌なことが立て続いていてケイとの再会を楽しめる精神状態じゃなかった。だから本当は会うべきじゃなかったんだ。けれど、俺はアルコールの入った状態で出かけて行き、店の外でケイを待ち伏せた。
「久しぶり」
 店の外に俺が立っていてちょっと驚いたようだが彼女は不審がらずに駆け寄ってきた。俺の前に立つケイは俺より頭一つ低くなっていた。傍から見れば同年代のカップルに見えるだろう。
「どうしたの? お酒なんか飲んで」
アルコールの臭いにケイが顔をしかめた。
 俺はケイにゆらりと近づくと無言で抱きしめて唇を奪った。ケイは必死にもがいたが俺はケイを放さなかった。
「ずっと好きだったんだ」
 それは嘘じゃない。子供の頃の憧れは年を追うごとに恋愛感情へと変わっていった。俺はいつまでもいつまでもケイを抱きしめていたかった。不意にケイの腕時計が甲高い機械音を発しなかったらどうなっていただろう。
『十三プンケイカ。マモナク十四プンデス』
 はじかれたようにケイは俺を突き飛ばして、逃げるように駆けて行った。そして俺はケイとのつながりを喪った─。
 十年が過ぎた。毎年、俺はあの店でケイを待ち続けたが彼女は現れなかった。俺は自分の軽率さを何度も悔やんだが後の祭りだ。
 そんなケイへの想いも慌ただしい日常の中にやがて埋没していった。俺は就職をし、同僚と結婚して、娘が生まれた。ケイと会うことがなくなっても俺の時計は着実に未来へと進んでいく。
 そんな折、一歳の娘が病に倒れた。現代の医学では治療不可能と告知された。あと二十年先の医療ならあるいは─、余命半年の娘には何の慰めにもならない医者の言葉に苛立ち俺は壁にかけられた時計の文字盤をぐっと睨んだ。
 ……? 何だろう。今、一瞬途方もない考えが脳裏をよぎった。まさか……、いや、しかし……。地球の直径、公転速度、毎年半日ずつずれていく約束の日。俺は夢中で計算を始めた。
『─マモナク十四プンデス』
 そういうこと……なのか? 俺は一縷の望みを託して七月二十日の夜、妻と娘とともにあの店を訪れた。十九時を過ぎた頃、ケイが店に入ってきた。
「久しぶり」
 ケイは屈託なく笑った。あの時のことを詫びようとする俺を制してケイは妻に挨拶をし娘の顔を覗き込んだ。
「誤解しないでね。あなたのことが嫌いになって会いに来なかったわけじゃないの。マシンの不調で来れなかったの。整備に五日もかかっちゃった」
 その言葉を聞いて俺は確信を深めた。時間が惜しい。俺は単刀直入に切り出した。
「君は時針で、俺は秒針だったんだね」
娘を見て笑っていたケイが真顔になって顔を上げる。
「正解。よくわかったわね」
 それからケイのしてくれた話はほぼ俺の仮説と一致していた。地球の公転運動はまるで太陽の周りを一年かけて一周する時計のようだ。もし、本当の時計のように複数の針がこの巨大な文字盤の上を動いているとしたら─その発想がきっかけだった。大きさが同じで、同じ太陽の周りを公転する異次元の地球が存在するとしたら? そして、俺の地球の公転速度を秒針の動きに喩えた時、その地球の公転速度が相対的に時針の速さだとしたら……。俺の地球が一周する間にケイの地球は0.5度公転する。一年で360度回転する地球にとって0.5度は半日。俺の時間ではケイと初めて会ってから二十六年が過ぎたが、ケイにとってはたった十三日─老けないはずだ。二つの地球は一年と半日に一度ぴたりと重なる。ただ次元が─ケイは『相』と呼んだ─異なるから衝突することはない。ケイは大学のチームに参加してこちらの相に移動する技術を研究していた。大きすぎる公転速度のギャップを如何にして相殺し、ケイの地球の慣性から俺の地球の慣性に移行するかが長年の課題だったが半年前─俺の地球では三百六 十年前だ─それを克服する技術が編み出された。そして、半年がかりで組み上げたマシンを十三日前から試運転しているらしい。ケイにとっての十三日前はこちらの二十六年前、俺が五歳の年だ。つまり、俺はケイがこちらに来て初めて出会った人間だったらしい。
「今の技術では私がこちらに移動していられるのは二つの地球が重なっている間だけ」
 ケイはそう言った。地球の直径は約一万二千七百キロ、俺の地球の公転速度は秒速三十キロ。二つの地球が重なり始めてぴたりと合わさるまでの時間は約七分。それから完全に離れるまで約七分。だからケイは十四分しか俺と一緒にいられなかったのだ。
「頼みがある。……、俺達をケイの地球に連れて行ってくれないか」
 俺達の二十年はケイの十日に過ぎない。娘の余命に十分届く。十日後にこちらの地球に戻れば二十年後の医療技術が待っている。
が、ケイは悲しそうな顔になった。
「ごめんなさい。技術的に運べる重量に限度があるの。せいぜい十キロくらいまで」
 俺は娘の寝顔を見おろした。迷っている時じゃない。この娘に来年はないんだ。俺は娘をケイに託した。
「来年の明日、またこの娘を連れてここにくるよ。七夕みたいな再会で気の毒だけどお嬢さんの顔を見に来てあげて」
 ケイは立ち上がって娘を抱いた。
「一つ聞かせてくれないか。君達はなぜこの研究を始めたんだ?」
「あなたと一緒よ。私達にも未来に託したいものがある。だから私達の地球が秒針に見える地球に行こうとしているの。まだまだ成果は上がらないけどね。あたなとは半日に一度会えるけど、その地球は一年に一度しか巡ってこないから」
 そう言ってケイは肩をすくめて笑った。その笑顔のまま─ケイの姿が娘とともにゆらいで消えた。

家路をたどりながら、俺は妻の肩を抱いた。娘と離れて暮らすのが寂しくないと言えば嘘になる。それが二十年という途方もない年月であればなおさらだ。だが、俺も妻も覚悟はできていた。何があっても娘を助けてみせる。
俺達は二人で夜空を見上げた。太陽を中心とした巨大な時計の文字盤。その上を巡り続ける異次元の地球達。壮大なマトリョーシカの幻影に思いを馳せていると……、大きなくしゃみがひとつ出た。

Fin.

「Gの書斎」に戻る inserted by FC2 system