雪のあしあと
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チャプター
  


「正直噂(うわさ)を聞いた時は半信半疑、まゆつばもんやなあて思うてたんですわ。まさかここまで精密やとは……。こら、ええ買い物(もん)さしてもらいました」
 俺は男が差し出した封筒をポケットに仕舞うと立ち上がった。店の扉に手をかけた時、ふと思い立って振り返った。
「一つアドバイスさせてもらって良いか?」
 男が小首を傾げる。
「この店のデミグラスソースだが、いささか時代遅れで今どき流行らんレシピだろ。今風にアレンジするとウケが良くなるぞ」
 俺の不躾な言葉に気を悪くした風もなく男は顔の前で手を振った。
「いやいや、おおきにお世話さん。ご忠告はありがたいけど、そらできん相談ですわ。あれはわしの親父が遺してくれた大事なレシピやねん。傾きかけた店を立て直すためとはいえ、こないせこいことをしている男が何言うてるねんて笑われそうやけど」
 男は俺が手渡したレシピのメモをじっと見つめながら言った。
「あのレシピを守っていくことはわしの料理人としてのプライドの問題や」
「そうか」
 なら、俺が口出しするようなことではない。早々にその店を出た。お互い後ろ暗いことをしている身。長居は無用だ。
 十一月の夜気をはらんだ飲み屋街を歩き始める。これだけ大勢の人間が歩いていて俺を気にかける者は誰もいない。俺がこの街を気に入っている理由だ。
「ねえねえ、まだ早いじゃん。どっか遊びに行こうぜ」
 妙に甲高い男の声に俺は頭を巡らせた。あごに無精ひげを生やしたちゃらそうな男が娘をナンパしている。中年のサラリーマンであふれ返っているこの一角ではちょっと珍しい光景だな。
「あんた大学生でしょ。明日も講義があるんじゃないの」
 男の前に立っている娘は口調とは裏腹にからかうような目をしていた。まだ高校生だろう。肩にかかる黒髪を軽く振って小首を傾げる。人形めいた少し病的なくらいの白い肌が品の良い朱色の唇を際立たせていた。その清楚なたたずまいと口元に浮かべた人を喰ったような笑みがなんともアンバランスに映った。ナンパ慣れした娘なんだろう。俺は興味を失って彼らに背を向けた。
「んなもんサボりゃいいさ。人生長いんだぜ。一日くらいどうってことないって」
 好きにやってくれ──。
 パン!
 派手な音に俺は振り返った。男が頬を押さえている。娘は天使のような笑みを浮かべたままおもしろそうにそれを見ていた。
「この……」
 我に返った男が娘につかみかかった。
 やれやれ。厄介事はごめんだ。だが、ここは俺の好きな街だ。揉め事など起こってほしくない。
「おい」
 俺は男の肩を掴んだ。男は俺の腕を振り払いながらこっちを向いた。で、恐らく睨(にら)むか吠(ほ)えるかしようとしたんだろう。が、俺を見た途端たじろいで固まった。不本意なことだが、俺を見た人間はまあ大抵こうなる。
「悪いな。俺のツレなんだ」
 低い声で俺がそう言うと男は口の中で何やら毒づきながら逃げるように去って行った。
「ありがと。って、言えば良いのかな」
 まるで珍獣でも見るような目で娘がじろじろとこっちを見てくる。身長一八二、体重九十のレスラー体型がそんなに珍しいか?
「じゃ、わたしちょっと急いでるから」
 拍子抜けするほどあっさりと娘は踵(きびす)を返して歩き出した。
 ──まあ良い。首を振って俺も歩き出す。今夜は懐が温かい。久しぶりに呑みに行くとするか。
「ちょっと、なんでついて来るのよ」
 声に目をやるとさっきの娘が前を歩いていた。お前もナンパか? という目をしている。
「いや、俺もこっちなんだが」
「あっそ。ねえ、おじさんこの街詳しい?」
 三十過ぎたばかりでおじさん呼ばわりはちょっと傷つく。
「ラビット・テールってお店知らない?」
「ショットバーだ。高校生が入って良い店じゃないぞ」
「あ、知ってるんだ。ねえ、もしかして常連? わたし、その店の常連でカトウキヨマサって人を探してるんだけど」
 娘は身を乗り出すようにして俺を見上げた。深いキャラメル色の瞳(ひとみ)に吸い込まれそうになる。
「戦国武将みたいなたいそうな名前だな。そいつに何か用か?」
「おじさんには関係ないでしょ」
 その優等生めいた見てくれとぞんざいな口ききに大きなギャップを感じるんだが──。どういうしつけを受けて育ったんだ。
「いや、たまたまかもしらんが、俺の名前も加藤清正って言うんだ」
「うそっ」
 少女は頓狂な声を立ててのけぞり、それから脱力するように肩を落とした。
「ネットの情報とぜんっぜん違う。超イケメンって書いてあったのに。ハーフコート着たナマハゲのどこがイケメンだよ」
 えらい言われようだな。
「で、俺になんの用だ」
「仕事を頼みたかったんだけど……。デリケートな仕事ができそうな顔じゃないし……。どうしようかな」
「別に顔で仕事をしているわけじゃない」
 娘はそれでもしばらく迷っているようだったが、唇をきゅっと結んで顔を上げるとまっすぐに俺を見てきた。
「料理の再現をお願いしたいの」

 この仕事をする上で二つ決めていることがある。一つは客を選ばないことだ。金さえ払ってもらえば相手が高校生でも請ける。娘が差し出した封筒には規定の前金が入っていたので俺は彼女の話を聴くことにした。正直俺はちょっと驚いている。俺が再現する料理は精密なレプリカだ。だから相応の料金を戴く。興味本位で気軽に頼めるような額ではないし、ましてや高校生がポンと出せるようなものではない。この娘、名の通った家のご令嬢か何かじゃないのか?
「どんな料理でも一口食べただけで正確に再現できるってホント?」
 彼女ご指定のケーキショップの椅子に腰を下ろすと彼女はそう聞いてきた。厳密には違うんだが俺は黙ってうなずいた。
「やってみせて。ネットで評判なんだけどここのはどの店のとも違ってすっごく美味しいんだって」
 彼女はパウンドケーキの皿を俺の前に押しやる。強引にこんな店を選んだから妙だと思ったんだ。デモンストレーションってことか。
「卵二個、バター一四〇グラム……」
 ケーキを口にすると脳裏にレシピと焼き上げていく光景が浮かび上がってくる。
「特徴的なのは甘味に上白糖やグラニュー糖を使っていないこと。粉砂糖と水飴だけだ。焼き上がったらセオリーに反するが型からすぐ抜いて、予熱で表面の水分を蒸発させる。だから外はカリッと中はしっとり仕上がる」
 カウンターの向こうで店主が露骨に嫌な顔をした。
「すっごい。その才能で料理の再現師を始めたんだ」
 店主の顔を見て娘は歓声を上げた。俺は顔をしかめたくなった。別に俺は鋭敏な味覚の持ち主じゃない。ただ、料理やそれを作った調理器具に触れるとその料理の記憶ともいうべき調理の工程が脳裏に浮かぶという妙な異能を持っているというだけだ。それから──確かに金をもらえば料理を再現することもあるが、俺の主な仕事は依頼を受けてライバル店の看板料理のレシピをかすめ盗ること。立証のしようもないから警察のご厄介になることはないがほめられた稼業じゃない。そう手放しで感心されると居心地が悪い。
「仕事の話をしようか」
 俺は話を戻した。娘も黙ってうなずく。
「あ、自己紹介がまだだったね。わたし矢口雪子。年は……来月十七歳になるんだ」
「高校生か?」
 と尋ねると雪子は『えへへへ』と妙な声を立ててあいまいに笑った。答えたくないらしい。仕事をする上での決めごとの二つ目は客の素性をせんさくしないことだ──。俺はそれ以上何も聞かなかった。
「で、再現してほしい料理というのは、わたしが子供の時にお店で食べたビーフシチュー。小さな洋食屋さんだったけどすっごく美味しかったの」
「その店はどこにある?」
「ん? とっくにつぶれちゃったよ」
「じゃあ、そこの料理人はどうしてる?」
「ええと……、とっくに亡くなっちゃった」
 どうも話が読めない。それでどうやって再現しろってんだ。
「やっぱり無理かな? こんな味だったってできるだけ説明するし、二日……、ううん三日までなら待てると思う」
 百年待たれても無理だ。俺がつき返した前金の封筒を見ても雪子は手を出さなかった。唇の端を噛みしめて懸命に涙が溢れるのをこらえている。一瞬、その歯を食いしばるような泣き顔があの時の梢の表情と重なった。
「ちぇっ、名前倒れも良いとこじゃん」
 唐突に子供じみた捨て台詞を吐くと、封筒をひったくって雪子は店を飛び出して行った。
そのまま放っておいても良かったんだろうが、俺の胸の中で古い疵がうずいた。急いで代金を払うと俺は雪子を追って店の外に出た。
「いやぁ、放してよ。」
 いきなり、俺の耳に雪子の甲高い悲鳴が飛び込んできた。見ると地味なスーツ姿の男達に取り囲まれている。中の一人に肩口を押さえられて雪子はもがいていた。誘拐か? いや、そのわりには男達は雪子を宥めすかそうとしているように見える。雪子を押さえている男が「お嬢様」と言った。
 事情はよくわからないが、この男達に連れて行かれたら雪子の願いは終わってしまうのだろう。だが、まだ終わりにしたくないとその華(きゃ)奢(しゃ)な体が叫んでいるような気がした。
 ──たかが子供の頃に食べた料理になぜそこまで必死になる? 気が付くと俺の体は勝手に動いていた。体格を活かして男達の輪の中に割り入ると雪子の手をつかむ。男の一人を突き倒して俺は輪の外に飛び出した。
「来い」
 雪子の手を強引に引っ張って走り出す。勝手知ったる路地裏だ。連中を撒くのは造作もない。スポーツが苦手なのか、かなり苦しそうにあえぎながら雪子もなんとかついてきた。
「ありがとう……、って言えば良いのかな」
 喉(のど)をぜいぜい言わせながら雪子が声をしぼり出す。華奢な肩が激しく上下していた。
「礼などいらん。まだ用が残っていることに気付いただけだ。試しもせずに断ってすまなかった。やるだけ、やらせてくれないか」
 雪子の肩の動きが止まった。驚いたように目を見開いて俺を見上げてくる。
「そんな目で見るな」
 バツが悪くなって俺は目をそらせた。
「引き受けてくれるの? あんな無茶なお願いだったのに……」
「巧くいくかはわからんがな」
 目じりに涙をためて雪子は何度もうなずく。
「いずれにせよ今日はもう遅い。明日仕切り直させてくれ」
「あの……。わたし泊まるところがないんだけど……」
 言いだしそうな予感はしていた。
「ホテルを探せ。ホテル代くらいは料金から割り引いてやる」
 何か言いたそうに訴えかけてくる目。やがてしょんぼりとうつむいて、すぼめられた小さな肩。その仕草のいちいちが梢(こずえ)と重なって俺は顔をしかめた。
「軽々しく男の部屋に泊まろうとするな」
 八つ当たり気味の捨て台詞を吐くと、明日の待ち合わせ場所だけ告げて俺は逃げるようにその場を離れた。


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