十一月の第一木曜。俺は生徒会室へと廊下を急いでいた。学園祭は十日後、

今日は寸劇の総仕上げだ。まず自己紹介を済ませておこうか。俺の名前は葛城穣

(かつらぎゆずる)。県立松沢高校の二年生で生徒会書記の肩書きを持っている。

身長百七十センチ、体重六十キロ、趣味は……、

「おっと、ご免よ」

 ぼんやり考えながら歩いていたらヘルメットを被った工事のおじさんにぶつかって

しまった。今、学校は改装工事の真っ最中で、放課後になると業者のラッシュアワーに

なる。昨日は遅れてばかりいる大時計の修理業者が来ていたし、今日は壁の塗り替え

業者と、廊下の内装工事、明日は古くなったトイレの改築業者といった具合だ。全部、

創立三十周年の学園祭を目指してのことだったけれど、そんな外部の出入りがルーズな

状況がこれから起こる殺人事件の容疑者の範囲を広げて警察を手こずらせることになる

なんて、もちろん誰も知る由もなかった。四階の廊下を端まで歩くとちょっと狭い階段が

あって上り切ったところが生徒会室だ。

 何の話をしていたっけ。そうそう、俺の趣味だ。人間観察と謎解き。ミステリーを読み

ながら犯人を推理したり、教室で起きる小さな事件――失せ物、いざこざ等々――にすぐ

首を突っ込みたがるというあまり褒められやしない癖を持っている。推理の成果の方は

五分五分といったところかな。見事に命中することがあるかと思うと、まるで的外れなことも

あるといった具合だ。

 階段を駆け上がると小さな踊り場に出る。引き戸を開ければそこが生徒会室だ。中を覗くと

生徒会長の交野徹が窓から外を眺めていた。

「なんだ。まだ誰も来ていないんだ」

 俺の声に交野は振り返った。俺と似たような背丈なのに五キロは軽いから、やたらひょろっと

した印象を与える。親父さんは県警の警部でその血を引いたのか正義感が強い。ただ、

やたらに堅くて融通が利かないので話していて疲れる時がある。大体、髪を七三に分けている

高校生なんてこのご時勢、ギャグかコントのネタにしかなりゃしない。

「あら、まだこれだけ」

 背中で声がした。振り向くと副会長の安田香代が立っていた。同じく二年生。俺と大して背が

変わらないから女の子としては結構上背のあるほうだ。交野に負けず劣らず正義感が強く男勝りな

彼女は、一部の男子生徒からは敬遠されている。見ていて小気味よいので俺は結構彼女の人柄を

気に入っているが、運動部長の矢野昌司などは、はっきりと彼女を嫌っているようだ。

「たるんでるわねえ」

 ご自慢のショートカットを振り振り大げさに肩をすくめた。

「すいません。遅れてしまって」

 安田の後ろで消え入りそうな声がした。階段を駆け上がって来たらしく、水野由布子は肩で息を

していた。安田と同じく細身ながらすらっと背が高いので大阪の京橋にあるビルを連想して俺は

秘かにツインタワーなどと二人ワンセットの渾名を付けている。

「大丈夫よ。君が最後のわけじゃない」

 安田が豪快に肩を叩いて慰めた。

「ほら、ちょうど三時になったところよ。今より後に来る奴が遅刻なの」

 壁の時計を指差して言ったが、水野はまだおどおどした目で何か言おうとしていた。不意に彼女の

後ろで低いうめき声のようなものが聞こえて、彼女の肩はぴくんと震えた。会計の本田圭治が

戸口から顔を出して「ウォッス」と、妙な声を絞り出したのだ。 彼は俺にとって一番未知数の多い

人間だ。もともと口数も少なく、その目は何を見ているのかいつも細められている。他校の

不良グループと付き合いがあるだとか、生徒会費を横領しているだとか、暗い噂ばかりが立っている

気味の悪い存在だ。

「後は、矢野君だけか」

 安田の言葉には険があった。彼女も彼のことは虫が好かないようだ。絵に描いたような犬猿の仲

といったところか。

 三時五分を過ぎても矢野は現われないので、先に練習を始めようかと話している矢先だった。

生徒会室の奥でバンという大きな音がした。ここの奥はまた踊り場になっていて梯子を上がって

屋根裏のような物置に上がれるようになっている。今のはその物置の扉――船のハッチのように

上に持ち上げる奴だ――が勢いよく閉まる音に聞こえた。

「誰かいるのかしら」

 安田が奥に続く扉を見ながら言った。

「ちょっと見てくるよ」

 気軽に言って俺は立ち上がった。踊り場に出て梯子を上がり始めると皆も興味があるのか下に

集まってくる。

 樫材の重い扉を持ち上げると、むっとするような熱い空気が流れてきた。扉を倒して身体半分程を

物置のなかに乗り出した。どういう訳か部屋の真ん中に置いてある大型の石油ストーブが焚かれて

いて盛んに熱気を放出している。ストーブの上では用務員室から持ち出してきたのだろう。やかんが

湯気を吹き出していた。窓は開いていたが、気温を下げる役にはあまり立っていないようだった。

 何かの紙片が扉の閂に紐でいくつも結わえてあって放射状に床に広がっていた。そして……、

部屋の隅に矢野が倒れていた。

 俺は部屋の中に飛び上がった。矢野の傍に駆け寄ったが、一目でもう手遅れだと悟った。

滅多刺し――。彼の上半身は黒いTシャツの上から一面に刺し傷だらけだった。出血の一番ひどい

腹の辺りが最初の一撃だと思われたが、素人目にもそれだけで充分致命傷になっただろうと

推測できた。

 だが犯人はそれに飽き足らず、矢野を刺し続けたようだ。しまいに刃が折れてしまったのだろう。

矢野の胸に柄をなくした包丁の刃が深く刺さっていて、柄の方は矢野の傍らに転がっていた。

 俺は吐き気を必死で押さえながら這うようにして梯子に戻って行った。

「一一〇番してくれ」

 俺は梯子を下りながら叫んでいた。

「誰も上がっちゃいけない。矢野が殺されてるんだ」

 こういう場合、現場を荒らしちゃいけないという事くらいは俺も知っている。



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