次の日曜日、人気のない校庭に彼女を呼び出した。部活は相変わらず

禁止されていたので見渡すかぎり誰もいない。鉄棒にもたれて待った。

約束に五分程遅れて、水野由布子が現われた。校庭の隅からゆっくり

こちらに近付いてくる彼女の姿を見て、俺は唾を飲み込んだ。

「遅かったじゃないか、ワトスン君」

 俺は明るく言った。

「捜査の進展はどうかね、ホームズ」

 彼女は笑った。俺は次の言葉を吐くためにゆっくり息を吸い込んだ。

「犯人が分かったよ」

 心なしか彼女の頬が強ばったような気がした。

「本当?」

「うん。犯人の用意したトリックも全部分かった」

「聞かせて」

「警察の質問に答えているうちに俺の中にいくつかの疑問が湧いてきた。

まずなぜあの時、矢野の悲鳴は聞こえなかったんだろうということだ。普通

あんな殺され方をすれば被害者は大声で叫ぶと思う。それに続いて矢野が

床に倒れる音が、聞こえなくちゃおかしい。扉が閉まる音があれだけはっきり

聞こえたんだから、悲鳴や倒れる音も聞こえないとおかしいはずだったんだ。

これが第一の疑問」

 俺は指を一本立てた。

「次に現場はなぜ密室じゃなかったんだろうと思った。窓はともかく俺が犯人なら

扉の閂は掛けてから逃げる。物音に気付いて人が上がって来たら鉢合わせに

なる事だってあるじゃないか。少しでも人が現場に入り込むのを遅らせようとする

のが犯人の心理だと思わないか。だが、閂は掛かっていなかった。なぜか?
これが第二の疑問」

 指を二本立てた。

「それから、犯人はなぜあんな派手なトレーナを着て逃げたんだろうということ。

まるで逃げているところを目撃して下さいと言わんばかりじゃないか。これが

第三の疑問」

 指を三本立てる。

「いろいろ考えたけど、最初の二つの疑問にぴったり当てはまる答は、一つしか

思い浮かばなかった。扉が大きな音を立てて閉まったあの時には、矢野の死体を

除けば物置には誰もいなかった――。つまり、実際に殺人があったのはあの時

じゃなかったんだ。多分、まだ誰も生徒会室に来ていない時間に殺人はあった

んだよ」

「じゃあ、どうして三時五分過ぎに屋根裏の窓から犯人が飛び降りたっていう

目撃者がいるの?」

「その疑問は、俺が挙げた三番目の疑問の裏返しなんだと思う。三番目の疑問の

答えも一つしかあり得ないんだ。犯人は誰かに目撃してもらいたかった。言い換え

れば故意に目撃者を作るために派手な服を着たんだよ」

 俺は慎重に言葉を選びながら続けた。

「目撃者の証言の中に俺は一つひっかかるものを感じた。時間がはっきりし過ぎ

ているってことだ。個人差はあるけど、人間は時計を眺めて暮らしているわけじゃ

ない。だのに目撃した生徒は何を以て三時五分過ぎと答えたんだろう」

 俺は目を上げて生徒会室を見た。嫌でもその横の大時計が目に入る。

「走っていく犯人を目で追いながら、あの大時計を見たんだと思う。あの時計は

遅れてばかりいたから俺らは正しい時刻は指している時刻よりいくらか後だと思う

癖がついている。その生徒が時計を見たとき、針は三時より前だったんじゃない

かと思うんだ。でも、事件の前日に時計屋が来て修理していったから、それは

正しい時刻だったんだよ。そんな心理的な効果まで犯人が計算していたかどうかは

分からないけど、結果は犯人に味方した。もっとも、目撃者が二時五十分だったと

言っても、十分程の誤差はあまり問題視されなかったと思う。要は三時前後の俺達

五人が生徒会室にいた時刻に、犯人は大きな音をさせて扉を閉めると窓から飛び

降りて逃げ去った――という図式を警察に信じ込ませることができればよかったんだ。

実際に起こったことは……、多分こうだったんだ。テーマ・カードは授業が始まる

前に引き裂かれて閂に結ばれていた。たった一枚を残してね。ストーブも部屋の

温度の上がり方からすると、早い時間から焚かれていたんだと思う。最初俺は、

壁の釘と閂の間をテーマ・カードで結んでおいて、ストーブを使ってカードを焼き切る

ことで無人の部屋で扉を閉めるトリックを構成したのかと思った。だが、実際に調べて

みるとカードは全部同じように裂かれているだけで焦げたものはないということだから、

犯人は別のトリックを使ったことになる。第一、紙を焼き切るなんて乱暴な方法じゃ

犯人がトリックを仕掛けてから稼げる時間は数秒程度だってことに思い当った。

この前屋根裏に上がった時、ストーブの上のやかんが用務員室に返されてなく

なっているのを見て気が付いたんだ。ストーブの上にやかんが乗っていても当たり

前にしか見えないけど、わざわざ用務員室から持ち出してきたということはそれが

絶対必要なものだったからだ。二時四十分頃、あの暑い屋根裏で犯人は矢野が

上がって来るのを待っていた。矢野は部屋の中を訝しむ暇もなかったんじゃない

かな。恐らく部屋に上がり切ったところですぐに刺されたと思うんだ。犯人との

体力差を考えるとチャンスはその時しかないよ。それから犯人は、じっと待っていた。

生徒会室に人が集まって来るのを、目撃者の錯覚で架空のアリバイが作り出される

タイミングを、じっと待っていたんだ」

 暑い部屋の中、死体の傍にじっと立っている犯人を想像して俺は身震いした。

「やがて交野が生徒会室を開け、俺との話し声が聞こえてきた頃に犯人は最後の

仕上げにかかった。何か口実を設けて矢野に持って来させたトレーナを自分の

トレーナーの下にでも押し込んで、ヘルメットを被ると、壁の釘と扉の閂をテーマ・

カードで結んで蒸気を上げているやかんの口にカードをあてがっておいて、窓から

脱出した。それから屋上を駆け抜けて、階段の途中にヘルメットと矢野のトレーナーを

残して行ったんだ。蒸気でふやけたテーマ・カードは俺達五人が生徒会室にいた時刻に

樫材の扉の重みでちぎれた。そして扉は大きな音を立てて閉まった。ふやけた切り口は

熱気ですぐに乾く、物音を聞きつけて上がっていって死体が転がっていたら、誰だって

犯人は今逃げて行ったばかりだと考えるよ。こうやって犯人は鉄壁のアリバイを作っ

たんだ」

「犯人は誰なの」

「犯人は生徒会執行部のメンバーしか知らないようなことをよく知っていた。物置にしまっ

てあるものに熟知していたし、俺達があの日何時から練習を始めるかも知っていた。

アリバイの一件さえなければ俺達五人は警察のブラックリストのトップだったはずなんだ。

だから、犯行時間が実はもっと早い時間だと分かった時から、犯人は俺を除く執行委員

四人の中の誰かだと俺は確信していた。じゃあ、四人のうちの誰だったのか?ヒントは

二つも目の前にあったのに俺はずっと気付かなかった。大馬鹿者さ」

 俺はもう一度、唾を飲み込んだ。いよいよ、大詰めだ。

「第一のヒントは、犯人がなぜ矢野のトレーナを着て逃げたのかということだ。アリバイ

工作上、派手で目立つ服装でなきゃいけなかった、――それは確かだったけど、なぜ

わざわざ矢野に持って来させてまであのトレーナに拘ったのか?私服は足がつく可能性が

あるから論外としても、やろうと思えばどこかの部活のユニホームを失敬して着ることだっ

てできたはずだ。あのトレーナと違ってユニホームには必ず予備があるものだし、一着

なくなっても、すぐには気付かないと思う。犯行の後すぐに戻しておけば永遠にばれ

ないし、警察の目はその部活に向くはずだ。けど、犯人はそうしなかった。……多分、

特定の人物に容疑が掛からないように気を配ったんだよ。矢野のトレーナを着て

いれば、少なくとも服装から犯人を特定することはできなくなるだろ。この事は、

犯人を指し示す決め手にはならないけど、その性格を知る手掛かりになった。

きっと、犯人は本来優しくて人を思い遣ることを知っている人物だ」

 俺は少し目を細めて水野を見た。

「第二のヒントは、なぜ犯人はヘルメットを被って逃げたのかということだ。この間

気付いたけど、生徒会室の窓から校庭を歩いて行く人間はとても小さく見えるんだ。

後ろを向いていたり、屋上を走っていたりしたら、とても顔は判別できない。だから

犯人は顔を隠すためだけなら、ヘルメットを被る必要はなかったはずなんだ。それに、

実際に屋根裏の窓から飛び降りて思ったんだが、何も被っていなくたって結構恐かった。

まして、重くて視界の狭くなるヘルメットを被ればなおのことだと思う。それに、重くて

ぶかぶかのヘルメットは屋上を走って逃げるのにも不向きだ。むしろ顔を隠すだけなら、

屋根裏に置いてある演劇部の仮面の方を選びそうなものじゃないか。でも、犯人は敢えて

ヘルメットを選んだ」

「何故?」

「犯人はこう考えたんだと思う。トリックは所詮トリックだ。発覚する可能性を常に胎ん

でいる。そして、発覚すれば俺と同じ筋道を辿って容疑は生徒会執行委員に向けられる。

その時の用心のために犯人はあることを隠さなきゃならなかった。執行委員の背格好は

よく似ているからそこからは特定が難しい。けど、顔立ちが分からない程の距離からでも

はっきり分かることもある。犯人は目撃者にこう言われるのを恐れたんだ。『犯人はポニー

テールをしていました』――俺達五人の中ではっきり髪型が判別できるのは君だけだ。

だから、仮面ではなくヘルメットである必要があったんだ」




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