六月の花嫁

                   

 「ついてないな。」

 若葉は、ほうきにあごをのせて、ため息をついた。となりで、机をごしごし拭いていた

雪江ちゃんがくすくす笑う。

 「若葉ちゃん、今日さんざんだったもんね。」

 まず朝寝坊して、遅刻しそうになったのがいけなかったわね。心の中で一つ指を折る。

 あわてて、家を飛び出して国語の教科書を忘れた――、これが二つ目。

 数学で、難しい問題をあてられて黒板とにらめっこ。三つ目。

 英語の宿題を忘れてた。四つ目。

 また、大きなため息が出た。

 「でも、宿題忘れるなんて若葉ちゃんらしくないね。」

 「うん――。昨日は、それどころじゃなかったのよ。母さんがまた倒れてね。入院す

ることになったの。」

 雑巾がけの手を止めて、雪江ちゃんはまじまじと若葉の顔を見た。

 「なら、先生にそう言えば良かったのに。」

 「だって、忘れたことには変わりないもん。」

 のんびり言って若葉は床を掃きだした。

 若葉は、ちょっと変わった女の子だ。まだ13才だのに、大人の女の人みたいに落ち着

きはらっている。小さい頃からお母さんが病気がちだったので、料理や洗濯といっしょに

いつのまにかそんな雰囲気が身についてしまったのかもしれない。

 「拓ちゃん。」

 教室の隅にかたまってる男の子たちに若葉は声をかけた。

 「ちゃんと掃除しなくちゃだめよ。」

 言っていることはお母さんみたいだのに、のんびりと若葉が言うとまるで小学生が中学

校のお兄さんをたしなめているように聞こえる。――バランスがとれてていいじゃない。

雪江ちゃんならそう言いそうだ。

 「雨降りそうだね。若葉ちゃんかさ持ってる。」

 「ううん。」

 若葉はまたため息をつきそうになった。今日が掃除当番だったこと――若葉の心の中

でついていないことは、とうとう「ぐう」になってしまった。

 ゴミを教室の真ん中に掃き集めながら、若葉は男子たちに声をかけた。

 「ちり取りくらい持ってても、ばちは当たらないと思うよ。」

 背高のっぽの安井君がめんど臭そうにロッカーからちり取りを出して来て、若葉の集め

たゴミの前に置く。

 「ちゃんと傾けてね――。上手く掃き込めないから。」

 手際良くちり取りに掃き込みながら若葉は言った。気の早い男子たちが、教室の後ろに

寄せていた机を元に戻し始める。

 「若葉、いいもんやるよ。」

 背中から声がしたので、手を止めて若葉は振り向いた。

 「なあに、拓ちゃん。」

 若葉は、見上げながらちょっと首をかしげた。チビすけの若葉は、拓也の首のあたりが

目の高さになってしまう。

 拓也は、若葉の隣の家に住んでいる男の子で生まれた時からの知り合いだ。――「正確

に言うと、若葉ちゃんの方が拓にいちゃんより半年お姉さんだから、せいご6ヵ月からの

知り合いね。」

 などと、拓也の妹の靖っちゃんなら言いそうだが……。

 「これやるよ。」

 拓也は、チョコレートの箱を若葉に手渡した。

 「どうして。」

 不思議そうに若葉は、拓也の顔を見ながら、箱のふたを開いた。

 「キャッ。」

 ふたを開いた途端、指に強い電気が流れて若葉は、チョコレートの箱を放り出した。

 いつのまにか、周りで息をつめて見ていた男子たちが歓声をあげる。

 「よくできてるだろ。」

 足先でふたを閉じて箱を拾いながら拓也は得意げに言った。

 「乾電池の電流を交流に変えて、増幅装置っていう部品で強くするんだ。今月の小遣い

全部使っちゃったけど……。」

 ――若葉は、じっとうつむいたまま顔を上げようとしない。言いかけで、拓也は口を

つぐんでその顔をのぞきこんだ。

 どうしてなのか、若葉にもわからなかったけれど、涙があふれてきて止まらなかった。

こらえようとしても、のどがヒクヒク鳴った。こめかみがジンとうずいて生温かい涙が後

から後から頬を伝うのがわかった。

 すっかりぼやけた焦点に拓也の顔が映った。何か言おうとしているらしいのだが、何を

言えばいいのかわからない風だった。

 『何でもないよ。大丈夫だから。』

 のどがつかえて、それだけの言葉がなかなかしゃべれない。目の前で一所懸命あやまろ

うとしている拓也を見ていられなくて若葉は横を向いた。――別に拓ちゃんのせいじゃ

ないんだよ。――ヒクヒク鳴る自分ののどが歯がゆい。

 だから、やっとの思いで拓也が若葉の肩に手をかけたとき、ビクンと体を震わせた若葉

はそのまま教室を飛び出してしまった。泣き声がとうとう口をついて出る。こんなとこ、

みんなに見せられないもん。

 歯を喰いしばってこらえながら若葉は廊下を駆け抜けた。



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