「困ったことになったわ。」

 うら淋しい商店街を歩きながら女の子は言いました。

 「うん。真理ちゃんの顔にそう書いてある。」

 良夫くんは隣の女の子――真理子さんの横顔を見ながら答えました。

 「母さんがこの村に向かっているの。

 丁度、友達がグループで旅行に行く計画を立てていたから、わたしも彼女達と一緒に行くという話

にしてもらって、わたしは家を出る口実を作って来たの。ところが、母さんがすぐに疑い始めたらし

くて、その旅行の宿泊先を調べ出すと、そこへ連絡して宿泊予定者の名簿にわたしが載っていないこ

とを突き止めちゃったのよ。」

 良夫君は、それを聞いて吹き出しました。

 「真理ちゃんもあまり人のことは言えないな。ずいぶん間が抜けているじゃないか。」

 「だって……、まさかこんなにすぐに母さんが疑い出すとは思ってもみなかったのよ。母さんはそ

れから、手当たり次第にわたしの友達を問いただし始めたらしいの。

 家の方の動きが気になるでしょ。それで一番信頼のおける友達に、連絡先を教えて何かあったら電

話をくれるようにお願いしていたのよ。

 彼女には可哀相なことをしたわ。何か知ってると勘付いて、お母さんにずいぶん厳しく詰問された

らしいの。だのに、連絡先を喋ってしまったことを泣きながら謝るのよ。あんなこと頼むんじゃなか

った。」

 鼻を鳴らしながら真理子さんは言いました。

 「どちらにしろ急いだ方が良さそうだ。ほら、雪が降りだしたよ。」

 空を仰ぎながら良夫君は言いました。両親に内緒で旅に出た二人の肩に、一片、二片雪が舞いかか

ります。

 「旅館までどのくらいあるの。」

 「三十分くらいかな。給料日前で不便な宿しか取れなかったんだよ。」

 「駅前で旅館を取れば良かったのに。お金くらいわたしがなんとかするわよ。」

 言ってしまって、真理子さんは下を向きました。

 「ごめんなさい――。」

 呟くように言った真理子さんの肩を良夫君は優しくたたきました。

 「まあいいさ。それより本当に急ごう。吹雪くと厄介だよ。」

 「もうひとつ厄介なことがあるの……。」

 言いづらそうに真理子さんは口篭もりました。

 「母さんと一緒にわたしの婚約者が来るらしいの。」

 うつむいている真理子さんを良夫君はまじまじと見つめました。

 「何だって。」

 「ごめんなさい。今年の秋に無理やりお見合いさせられたのよ。先方がわたしをとても気に入って

くれて、それに父さんの得意先の社長の息子なんですって。何度嫌だって言っても父さんも母さんも

ちゃんと断ってくれないのよ。」

 「でも、見合いをしたってことは結婚する気があったってことだろ。いっそのこと、そのままそい

つと結婚してしまえばいいじゃないか。」

 ちょっと口を尖らしてからかうように言って良夫君はよそを向きました。真理子さんは立ち止まっ

て黙ったままです。良夫君は少し歩いてからもう一度ゆっくりと真理子さんに向き直りました。その

顔を見た途端、良夫君は言おうとしていた言葉を呑み込みました。

 真理子さんは頬を火照らせながら、涙をほろほろ零していたのです。

 「わたしが……、わたしが結婚する人は良夫ちゃんだけよ。そんなこと言わなくったって分ってる

でしょ。意地が悪いわよ。」

 泣きながらそれでも良夫君の目をじっと見据えて、きっぱり申しましたので、良夫君は慌てて謝り

ました。

 「ごめん悪かった。ちょっと、やきもちを焼いただけだよ。本気で言ったわけじゃないんだから…

…。」

 「本気で言ったのなら、ここからでもすぐに家に帰るわよ。」

 目で脅かしながら悪戯っぽく真理子さんは言って、べそをかいたまま笑いました。

 「そうね。確かに見かけは良夫ちゃんよりずっと素敵な人だったわ。」

 さっきの仕返しをしながら真理子さんは話を戻しました。

 「でもね、とても好きになれるような人じゃなかったのよ。初めは知り合いとお食事をするという

話だったの。ところが行ってみると先方の息子さんと引き会わされて――ああ、これはお見合いなん

だと気が付いたのよ。良夫ちゃんとのことがあったから母も焦っていたみたいね。わたし抜きでかな

り話を進めていたようなの。

 だから、その息子さんにレストランを出て二人でその辺りを散歩しませんかって誘われた時には、

わたしの気持ち以外はもう話が半分決まっているようなありさまだったのよ。

 本当に話し方も上手で、一緒にいてちっとも退屈しない人だったわ。」

 真理子さんはまた、良夫君の顔をちらっと見て少し意地悪く笑いました。良夫君は目をそらせて平

気な振りをしています。

 「おしゃべりをしながら歩いていたんだけど、レストランの角を曲がったところで、子犬が飛び出

してきたのよ。

 そしたら、その人さも当然というようにその子犬を蹴飛ばしたの。かわいそうにその犬、街路樹に

したたかぶつかって悲鳴を上げたわ。思わず駆け寄ろうとしたんだけれど、ふっとその人の目を見た

ら……。」

 言いながら、真理子さんは身震いしました。

 「とても恐い目をしていたわ。自分のやり方に逆らうならお前でも容赦しないぞって、言っている

ような敵意に満ちた目だった。

 わたし、射すくめられてしまって、子犬がびっこを引いて行ってしまうのを見ているだけだったの。」

 真理子さんは目を伏せて、唇を噛み締めました。

 「あの人が追って来ているのなら、のんびりしてはいられないと思うの。」

 言いかけて真理子さんは息を呑みました。

 「きっと、良夫ちゃんの取ってある旅館にもう連絡がいっていると思うわ。」

 「僕達が着いたらそこで引き止められて、君のお母さん達が追いつく。それで一貫の終わりってわ

けかい。」

 「たぶん、そうなるわね。駅に引き返しましょうか。次の列車で別の町に行くのよ。」

 「真理ちゃん。ここは僕らが住んでいるような大きな町じゃないんだよ。列車は二時間に一本しか

通らない。君のお母さんは次の列車でこちらに来れるだろう。今、駅に戻ったら鉢合わせだよ。」

 「あっ、そうか。でも他にこの村から出て行く方法はないみたいだし……、どうしたらいいかしら。」

 真理子さんは、すがるように良夫君を見つめました。

 「とりあえず、この村でなんとかするしかなさそうだね。まず、もう少し先まで行って君のお母さ

ん達をやり過ごせる場所を探そう。駅から旅館までは、一本道だから必ず通り過ぎるのを見届けられる。

それから駅に戻って次の列車で村を出ればいい。」

 「でも、列車の時刻がうまく合うかしら。お母さんきっと、旅館にいないと分かったらすぐ駅に戻っ

て来るわ。」

 「大丈夫だと思うよ。次の列車は下りの三十分後に上りが来るようになってるんだ。旅館までは、

片道三十分かかるから間に合いっこないさ。」

 二人は軽くうなづき合うと、白い息を吐きながら歩き始めました。雪が降りはじめた小さな商店街を

抜けて、肩をくっつけるようにしながら二つの人影は遠ざかっていきました。



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