良夫君と真理子さんは、息を呑んで少女の口元を見つめました。

 「その日は、朝から小止みなく雪が降っていたので二人の足跡もすぐに消えてしまい、逃れるもの

にとっては恵みの跡隠しの雪となりました。

 その日の夕方頃、もう一人の旅人がその村に辿り着きました。小泉和彦様です。和彦様は、村に一

軒の旅館に部屋を取るとすぐに居酒屋に出かけました。この辺りは、当時から保養地として開け、温

泉も湧いたので村とはいいながら、旅館や居酒屋もあったのです。

 和彦様はお酒を呑みながら亭主を相手に、自分は許婚を救いに来た、明日夜が明けたら悪者から取

り戻すのだと盛んに息巻きました。挙句には、店に来ていた村人に絡んで喧嘩になり、一発で殴り倒

されてしまって、村の駐在所に担ぎ込まれたのです。

 一方、東京の白沢家では涼子様の蒸発で大騒ぎになっていて、伯爵は心当たりには全て使いを出し

ておりました。避暑のための山小屋のあるこの土地にも東京から使いが来ていて、丁度駐在所に居合

わせたのです。何度もお屋敷でお見掛けしておりましたので、その使いの人が和彦様の身元をすぐに

保証しました。和彦様は正体なく酔って取り留めのないことばかり申しておりましたが、それでもそ

の話をまとめると、和彦様と昵懇だった白沢家の女中から二人の駈け落ち先を知ったこと、何とか涼

子様を取り戻そうとここまで追ってきたこと、吹雪があまりにひどいので今晩はこの村に泊まって明

日避暑小屋に向かおうと考えていたことが分かりました。更に、その日の朝二人を見掛けたという村

人も見つかり、二人がこの小屋に向かったのは間違いないようでした。

 使いの人は、その足ですぐにこの小屋に向かおうとしたのですが、既に夜は更けており、吹雪は一

向に止みそうもなくてどうすることもできません。夜明けを待って駐在さんの案内で、和彦様ともど

も向かうことになったのです。

 翌朝は、昨夜の吹雪が嘘だったような好天で、三人は雪道を半時ばかり歩いてこの小屋に着きまし

た。もちろん小屋の周りは、足跡一つない新雪でしたが、小屋は内側から閂式の鍵が掛かっていまし

たので、誰かが中にいることは確かのようでした。ですのに、何度戸を叩いても返事がありません。

とうとう扉を壊して中に入ることになったのです。三人が最初に入ったのは、左手の手前のこの部屋

でした。

 扉を開けると窓から差し込む朝日が、床に倒れた二人を照らしていました。志郎様が仰向けに倒れ、

それを庇うように涼子様が俯せに重なり合って倒れていたのです。急いで駐在さんは、脈を取ってみ

ましたが、そうするまでもなく随分前に冷たくなってしまったことは明らかでした。

 使いの人と駐在さんの二人がかりで涼子様を仰向けにしてみるとその胸には、薄刃のナイフが深々

と刺さっていて、彼女の死因を物語っておりました。志郎様もこの人と――。」

 言って少女は少年の方をちらりと振り返りました。

 「同じようなえんじ色のセータを着ていて少し分かり難かったのですけれど、胸に同じ刺し傷があり、

それが致命傷になっておりました。

 駐在さんはなかなか目端の利く人で、部屋を見回して二人が死んだのは、小屋に着いて間もなくの

ことだと見て取りました。荷物が解かれていませんし、暖炉も使われた跡がなかったからです。薪は

この山小屋の裏に薪小屋があるのですが、後で調べてみるとその小屋すら開けられていないことが分

かりました。

 それから駐在さんは、青くなって震えている和彦様と使いの人を外に出して、手際よく小屋の中を

調べました。ところが、不思議なことに残りの三室――二つの寝室と食堂です――にも誰一人おらず、

窓は全て内側から鍵が掛かっていたのです。入り口は先程壊した扉しかありませんので、もし二人が

殺されたのだとすると、二人を殺した犯人は宙に消えてしまったことになります。二人の荷物に食料

と衣類がふんだんにあって、ここで暫らく暮らすつもりだった様子に駐在さんは首を傾げましたけれ

ども、心中と判断するより他はなかったのです。


 東京に悲報が伝えられて愁嘆場の中、二人の遺骸は引き取られていきました。二人のご葬儀が済ま

された頃、一つの噂が社交界の中でひそひそと囁かれておりました。

 『和彦様があのお二人を殺して心中に見せ掛けたのではないのか。』

 『いやそれどころか、お二人を殺しておいて平気な顔で村に現われ、駐在や白沢の家の使用人と一

緒に二人の死の発見者に成り済ましたに違いない。』――和彦様を良く思っていない人々は口を揃え

てまるで真実を語るように中傷し合いました。

 けれども、密室から脱出する方法を説明できるものは誰もなく、そんな噂話も尻つぼみになってい

ったのです。

 お二人の死は悲しいできごとでしたけれど、時が移るにつれて社交界の人々にとっても、白沢家や

小泉家の人々にとってさえもそれは一つの思い出話に変わっていきました。けれども、雪深いこの土

地の人々は今でも二人の悲しい恋物語をロミオとジュリエットのように、冬の夜話として時折り語る

のです。こうして、見知らぬお客さまを迎えた夜などにはね。」

 少女は真理子さんの目をじっと見つめていました。

 「『十二月二十四日。もし、若い男女がこの小屋を訪ねてきたなら、お茶をご馳走して遇してあげ

なさい。そして、もし追っ手が来たならば必ず匿ってあげなさい。そのふたりは、愛し合っているの

に両親にそれを許してもらえなかった恋人達、涼子様と志郎様の生まれかわりなのだから。』

 ――これが、この小屋を守る者の言い慣わしになっているのです。」

 語り終えて少女は、また深いため息をつきました。

 「あら、話に熱が入りすぎて、お茶を切らしてしまいましたね。」

 言って少女は立ち上がろうとしました。

 「待って。」

 真理子さんが急いでそれを引き止めました。

 「そんなはずないわ。その二人がそんな形で心中するはずがない……。」

 「でも、……。」

 「たとえ、すぐに後を追うつもりでも、愛する人が死んでいく姿をじっと見ているなんてできるは

ずがないわ。ナイフで胸を貫いて死ぬのなら二本用意して、二人同時に死ねるようにすると思う。

 でなければ、毒を用意して一緒に呷るとか……。ともかく、涼子様は恋人の亡骸を前にして決して、

一人でまだ生きているなんてできないはずよ。」    

 真理子さんの肩が震えました。それをじっと見ていた少年は、少女の方を振り返って小さくうなず

きました。


「Gの書斎」に戻る

inserted by FC2 system