「それよりさ、どこかななこの行きたいところにつれてってやるよ」 ふうふうと、息(いき)を切らせてくやしがるななこちゃんがかわいそうになったのか、イダテンくんは木のてっぺんから風のように飛び下りてきて言いました。 「どこに行ってみたい?」 「海を見たい」 まよわずななこちゃんは言いました。 「よし、おぶされ。しっかりつかまってろよ」 ななこちゃんがイダテンくんの肩(かた)をしっかりにぎっておぶさると、イダテンくんは地面をけりました。 「あんまり前に出るなよ。落(お)っこちるから」 イダテンくんの声に顔をあげたななこちゃんは目の前のけしきを見て声が出せなくなりました。ななこちゃんとイダテンくんは高い高いがけの上に立っていたのです。はるか下の方にお日さまの光をはね返しながら青い水が広がっていて、空のはてまで続いていました。 「あれが海だ」 ななこちゃんは、おそるおそる体をのり出して海をのぞきこみまし た。青い水は底(そこ)がはっきり見えるほどに透明(とうめい)で、じっと見ていると吸(す)いこまれてしまいそうです。よく見ると海の色はいく万もの色 ガラスをまき散(ち)らしたように少しずつちがっていて、まばたきする度にまた別の色に変っていくのです。 「あれが波(なみ)?」 「そうさ。よく知ってるな。おっ、くじらだ」 イダテンくんが指さす方を見ると、水の上に大きなイチョウのよう な黒い尾びれが見えます。尾びれが水面(みなも)をたたいてしぶきを上げると、そのむこうに大きな黒い体があらわれました。その背中(せなか)からふん水 のようにしおがふき上がるのを見て、ななこちゃんは『はあ』とため息をつきました。 「ほかの海も見せてやろうか」 イダテンくんにそう言われた時、ななこちゃんはここをはなれるのがもったいない気がしてためらったのですが、知りたがり屋のむしに背中(せなか)を押されて立ち上がりました。ほかの海ってどんなだろう? 「魚をとる船のみなとだ。ほら、とってきた魚を下ろしてるだろ」 イダテンくんの指さした方を見ると、コンクリートの地面に横づけされた船から、男の人たちがいくつもの大きなはこを下ろしているところでした。はこの中で大きな魚がはねて、銀色のうろこが光っています。 「ここらへんは、もうすぐ夜になる」 「冬になるんじゃないの」 「うん。冬の間じゅうここでは朝がこないんだ。一年の半分は夜のままだ」 イダテンくんの話はあまりにふしぎで、ななこちゃんはすぐには信じられませんでした。ほんとうに、何か月も朝が来ない場所なんてあるのでしょうか。 「かせひいても知らないぞ」 もどって来たななこちゃんをイダテンくんはあきれたように見なが ら言いました。それから二人は、砂で大きな山を作ったり、トンネルをほったり、きれいな貝がらをひろったりして遊びました。手も服も砂だらけになって、手
でこすったほっぺたにまで砂がくっつきましたが、二人は気にもかけませんでした。そして、お日さまが海に近づいて真っ赤になるころ、またあの黄色い菜の花 の原っぱにもどって来たのです。 「ねえ、あしたもいっしょに遊ぼうよ。明日の朝、おべんとう作ってここに来るから。ゆびきりげんまん」 ななこちゃんは、そういうと小指を立てました。イダテンくんはその小さな指をじっと見ていましたが、あわてたように手を背中(せなか)にかくてしてしまいました。 「だめだ。指きりなんてできない」 「どうして?」 首をかしげるななこちゃんから目をそらせて、イダテンくんは横を向きました。 「言ってることがわからないよ」 「ななことはここでお別れだ。元気でな」 そう言うとイダテンくんはくるりと後ろを向いてしまいました。ななこちゃんは小指を立てたまま動けなくなってしまいました。 |