里菜と続編図書館<1>
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 直也は運命のとびらの前に立っていた。
 雑居ビルの間の狭い路地。目の前に赤錆(さび)の浮いた古い鉄の扉(とびら)が立っている。戻ろうか―一瞬そんな思いがよぎったが、路地の入口の方に高坂(こうさか)達が立っていて笑い合いながら早く行けと身振りで囃(はや)し立てている。
 この扉が異世界につながっている―馬鹿馬鹿しい噂(うわさ)に付き合ってしまった自分に舌打ちしながら直也はノブに手をかけた。思いの外ノブは軽く回って扉は軋(きし)むことなく開いた。
「えっ」
 扉の向こうに抜けるような青空が広がっている。足元は―地面がない。どうなってるんだ?直也は身を乗り出した。
 それを待ち受けていたかのように低い唸(うな)りを上げてつむじ風が巻き上がった。『うわっ』バランスを崩した直也はそのまま扉の中に倒れ込んだ。墜ちる―と思った瞬間、何か柔らかいものの上に着地して体が弾んだ。
「ぐうっ」
 体の下で誰かが悲鳴のようなうめき声を上げた。見ると白いブラウスを着た金色の髪の少女が自分の下敷きになっている。二人は干し草の山の上にいるようだ。ぷんと枯れた草の匂いがした。うめきながら目を開いた少女と今にも額(ひたい)がくっつきそうな程の距離で目が合った。彼女の緑色の目が大きく見開かれた。
「えーと……」
 言いかけた直也の右頬に痛みが走った。そのまま干し草の山を転がり落ちて何かにしたたか顔面をぶつける。牧童が羊を追うのに使うのだろう。太い杖(つえ)が目の前に転がっていた。ひっぱたかれた上に突き落とされたと理解するまでしばらく時間がかかった。『あにすんだよ』直也は抗議の声を上げながら半身を起こしたが辺りの異様さに言葉は尻すぼみになった。
 ここは―どこだ?草原が緩い起伏を描きながらどこまでも続いている。そこここに牛や羊がいて草を食んでいる。遠くに石造りの家が見えた。はっと気付いて自分が墜ちてきた空を見上げる。あの古ぼけた扉が宙に浮いていた。扉はまるで直也をからかうみたいに蜃気楼(しんきろう)のように霞んで―消えた。
「ゴルドバだ」
 少女が叫んで立ち上がった。彼女が睨む方向を見ると丘の向こうから土煙を立てて何かが近付いて来た。馬に乗った数名の男達がみるみる迫ってくる。
「シンシア、今日こそは一緒に来てもらうぞ」
 髭面(ひげづら)の太った男が声を張り上げた。男達はあっという間に干し草の山を―シンシアと直也を取り囲んだ。
「誰が行くもんか。さあ、切り裂かれたいのは誰?」
 彼女は小さな声で何か唱えるとしなやかに腕を振った。干し草が舞い立ち彼女の指先からつむじ風が巻き起こる。つむじ風はうなりを上げて目に見えない鞭(むち)となり手前の男達を馬上から叩き落とす。返す腕で第二波が飛んだが男達は慌てて馬を下げ、かろうじてかわした。しかし、シンシアの攻撃は読まれていたらしい。
「やれ!」
 髭面が間髪入れず命令を下すと、三方から分銅のついた細い鎖が飛んできて彼女の腕ごと体に巻き付いた。シンシアは懸命に身もがくが三人の男達が鎖の根元を締め上げていて容易に解けそうにない。
「腕を封じちまえば風も使えまい」
 髭面が不敵に口元を緩めた。
「うわりゃあ」
 奇声を張り上げて直也は干し草を駆け上がった。不安定な足元にふらつきながらもシンシアの前に仁王立ちになる。手には牧童の杖を持って髭面を睨んだ。
「女の子一人に男が寄ってたかって、恥ずかしいとは思わねえか」
「ああん、おめえ誰だ」
 不意を喰らった髭面は不機嫌そうに言った。直也はそれには答えず杖を地擦(じず)り八(はっ)双(そう)に構えると間合いを計る。『きええっ』声を張り上げると鎖を握る男の小手を正確に打ち据えた。次々に鎖が放されシンシアは身をよじって体にまとわりついた鎖を振りほどいた。
「北山流師範代、北山直也だ。覚えとけ」
 杖を髭面に突き付けて直也は言った。

「りーなちゃん。何読んでるの?」
 桃ちゃんが言ったが里菜は気付いていないみたいだ。
「里菜ちゃん」
 桃子ちゃんがどんと背中を叩く。里菜はびくっと背筋を伸ばした。
「何するん、桃ちゃん」
 里菜は声をとがらせた。
「だって、ぜんっぜん気付かへんねんもん。何読んでるん?……あ、これかあ」
 桃ちゃんが里菜の手から本を取り上げる。『ディアフォレストの風』というタイトルが読めた。
「渋谷でバイトしてた高校生が剣と魔法の世界にまぎれ込むいう話やろ。まあまあやったな」
 桃ちゃんは本を返しながら言う。
「そう?結構おもしろいで」
 里菜は本を開くとまた続きを読もうとした。桃ちゃんは慌ててまた本を取り上げる。
「そやのうて、ちょっと聞いて」
 里菜は本を取り返そうともがいたがすぐに諦めた。桃ちゃんが『聞いて聞いて』と言い出したら聞き終えるまでは返してくれまい。
「すっごい話、聞いたんよ」
 放課後の教室に残っているのはもう二人だけだった。本に夢中になって気付かなかったけれどいつの間にか日が傾いている。―そろそろ帰らなきゃ。
「バイクを追い越してくお婆ちゃんの次は何?」
 桃ちゃんは最近、都市伝説にハマっている。
『友達のお姉ちゃんが学校で聞いたらしいんやけど』という風に桃ちゃんの話はいつもなぜか直接誰かから聞いたということがない。話の中身は夕方に道路で待ち伏せしているマスクの女みたいな妖怪染みた話から、ピアス穴を開けるのに失敗して目が見えなくなったなんていう変にリアルな話までいろいろだけど、後で落ち着いて考えると他愛のない作り話ばかりだ。それでも話自体は面白いから里菜は桃ちゃんの話を聞くのが好きだった。
「友達の友達がおじさんから聞いた話らしいんやけどな。町のどこかに秘密の図書館があるらしいねん」
「噂になってる時点で秘密やない気がする」
 もっともなツッコミだ。
「ま、ええやん。そこな、物語の続編ばっかりが置いてある図書館なんやて」
「どういうこと?」
「あのな。たとえばロミオとジュリエットとかフランダースの犬とかの続編って聞いたことがないやろ」
「言うか、あったら怖い気がする」
「そういう実際には出版されてない幻の続編ばっかりが、ずらっと並んでるんやて。どうよ?あったらちょっと読んでみたいと思わへん?」
「まあ……、興味がないでもない」
「よっしゃ、決まりやな」
 桃ちゃんは威勢よく机を叩いて立ち上がった。
「ちょっ、ちょっと何が決まりやの」
「だ・か・ら。その秘密の続編図書館を探しに行くんやん」

 中学二年ともなるとブレザーの制服も様になってくる。二人は慣れた足取りで夕日の差す大通りを並んで歩いていた。身長百七十センチの桃ちゃんと並ぶと里菜は頭一つくらい低い。後ろでくくった長い髪を揺(ゆ)らしながら遅れないように里菜は早足で歩いて行った。
「で、どこに行くん?」
「駅前の雑居ビルの脇に細い路地があるやろ。そこに古ぅい鉄の扉があるねんけど……」
「それって、ディアフォレストのパクリやん」
「たまたまやて。普通、図書館って聞いたらつい一つの建物やと思うわな。けど、それはフェイントや。そんなんやったらどこに建ってても秘密にはできんやろ。一見その向こうに何もないと見せかけておいて……」
「見せかけんでも誰も探さへんし」
 里菜の言葉を尻目に桃ちゃんはどんどん歩いていく。マクドナルドの前を過ぎ、ショッピングモールの中を通り抜け、エスカレーターを二階分下がって外に出ると―五階建ての雑居ビルが目の前にあった。
「ほら、あの扉。いかにもやと思わへん?」
 ビルの正面を回り込んで脇の狭い路地を入っていくと確かに鉄の扉が見える。
「ただの古い扉にしか見えんけど」
 扉の前に立って里菜は感想を述べた。元は灰色のペンキが塗られていたらしい扉はところどころ赤錆(さび)が浮いてまだらになっている。
「そう見せかけて扉の向こうに真っ白い壁の秘密の図書館があるんやて。ほな行くで」
 桃ちゃんがノブに手を伸ばした。開かないんじゃないかな―予想に反してノブは軽い音を立てて回った。
 ぎぃぃ―扉は里菜の大嫌いな金属が軋(きし)む音を盛大に立てて向こう側に開いた。コンクリートの剥き出しの床が見える。
「あっ」
 コンクリートの床の向こうには急な上り階段があった。見上げるとビルの隙間に夕暮れ空が見えた。が、光はここまで差してこないので薄暗い。階段のてっぺんにはまた鉄の扉が見えた。
「行くの?」
「当然」
 気乗りしない里菜を引っ張って桃ちゃんが階段に足をかける。二人の後ろで大きな音を立てて鉄の扉が閉まった。きっとどこかお店の裏口につながっていて、お店の人に叱(しか)られるいうオチやと思うんやけど……。桃ちゃんにぐいぐい引っ張られて行きながら里菜は嫌な予感しかしなかった。

 


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