里菜と続編図書館<4>
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「じゃあ、ここの本の数が減ることは絶対にないの?」
「いえ」
 トナエはこともなげに首を振った。
「元の物語が消えてしまえばここの本も消えます」
「物語が消える?」
「考えてもみて下さい。千年前に生まれた物語が今も全部残っているわけではありません。語られなくなったり、忘れられたり、火事や戦争で本が燃えてしまったり、長い時間が経てば消えていく物語の方がずっと多いのです。元の物語が消えれば、その続きの物語も消える。だからこの図書館の蔵書(ぞうしょ)の数は案外にかわらないんです」
「じゃあ、結局わたしの世界で生まれずに消えちゃう続編もあるのん?」
「というか、ほとんどの続編は生まれることなく消えていくのです」
 トナエはきまじめに答えた。
「次に、ここにある間、本の中の物語は定まりません。絶えず変わり続けているのです」
「どういうこと?」
「たとえば、ある日『続・桃太郎』という本を開いたら桃太郎が新たな敵から村を守る物語が書かれているかも知れません。でも、次の日に同じ本を開くと桃太郎が都に上って出世する話になっていたりするのです。元の物語に対する読者の想い、続編に対する期待、その時々の時代背景や世相、そういったものの影響を受けて続編の物語は変化し続けます。そして、そちらの世界で生まれた時、初めて物語は定まるのです」
 夢中でしゃべっていたトナエは、はっと我に返ったような顔になった。
「話がちょっと横にそれましたね。この図書館の利用ルールを説明します。一般書架にある本は閲覧自由です」
「ちょ、ちょっと待って」
 里菜は慌てて説明を遮(さえぎ)った。
「閲覧自由って言うても、この中から桃太郎の続編を探すのはかなり無理があると思う」
「ご心配なく。そのために図書館カードがあるのです」
「ねえ、やっぱり気になるねんけど、その係の人みたいな口調はなんとかならんの?」
「そういわれても、ぼくは係の人ですから」
 表情を変えずに言うトナエに里菜は肩をすくめた。話に割り込むとよけいにややこしくなりそうだからとりあえず話を聞こう。
「この犬の絵に向かって元の本の題名を言って下さい」
 トナエは小犬に向かって『桃太郎』と言った。すると小犬はカードの中で背を向けて駆け出して行った。小犬の姿はすぐにごま粒ほどに小さくなって消えカードは赤一色になる。しばらくすると本をくわえた小犬が戻ってきた。元の位置に戻ると小犬は軽く首を振った。本がカードから飛び出してトナエの手に載る。本の表紙には『続・桃太郎』と書かれていた。
「返却」
 トナエが言うと本はカードの中に吸い込まれた。小犬は跳び上がってそれをくわえると駆け出していく。駆け戻ってきた小犬はひと鳴きしてまたちょんと座り込んだ。
「うわっ可愛い。やってみたい」
「閲覧は館内のみ。持ち出しは禁止です」
「ちょっと、人の話聞いとらへんやろ」
「利用時間は午前九時から……」
「人の話を聞けって」
 里菜の抵抗虚(むな)しくトナエは案内を続けた。
「……以上。何か不明なことがありましたら受付までどうぞ」
 言い終えてトナエは背を向ける。
「ちょ、ちょっと待って」
 里菜は慌ててトナエを呼び止めてポケットからチョコレートを取り出した。
「お近づきのしるし」
「館内での飲食は……」
「堅いこと言わんの」
 包み紙をはがすと小さな粒をトナエの口に押し込んだ。トナエは目を白黒させたが、口の中でチョコレートが溶けだすとうっとりとした目になった。それを見て里菜はにっと笑った。
 トナエが戻って行って一人になる。人のいない図書館は深い森のように静かだった。里菜はポケットからカードを出してさっそく試してみた。
「桃太郎」
 小犬がカードの中を駆けて行く。指先からさっきのチョコレートの匂いがして、今朝食べたチョコレート・シフォンの味を思い出した。本をくわえて小犬が戻ってくる。ふかふかの毛並みがシフォンケーキみたいに見えた。シフォン―よしこの子の名前はシフォンにしよう。そう決めた時、里菜の手の上に『続・桃太郎』が載っていた。
 窓際の席に座って里菜はさっそく読んでみた。桃太郎に壊滅的な打撃を受けた鬼の一族は鬼ケ島を再建しながら復讐の機会を窺(うかが)っていた。そして二十年の歳月が流れた。村の様子を探りに来た鬼の若頭領は美しい村娘と恋に落ちる。しかし、その娘こそあの桃太郎の一人娘だったのだ―。
 なんかベタな展開やなあ。村の長老に収まった桃太郎は頑固爺さんの見本みたいで悪者っぽいし。元の話の方がシンプルで良えかも。
 次々に本を取り寄せては読んでみる。『続・フランダースの犬』―ほんまにあるんやと思いながら里菜は本を開いた。美しく成長したアロアは村の青年に求婚されるがネロの死が未だに負い目となっていて自分だけ幸福になることをためらう。そんな折、ネロが描いていたコンクールの絵が高名な画商の目に留まって―って、オリジナルとは別の話になってるし。まあ、ネロが生き返るよりはマシかな。
 いやいやいや、もう少し無理のない続編があるだろう。里菜は今まで読んだ本を思い出そうとしたが意外に思い出せない。読み終えた時には主人公達と、もっと同じ時間を過ごしたいと思った本がたくさんあったはず。名残惜しくて何度も読み返した本があったはず。ええと、いざというとなかなか思い出せないなあ……。あっ、一つ思い出した。
「ぐりとぐら」
 シフォンがカードの中を駆けて行く。駆け戻ってきたシフォンがくわえていたのは『ぐりとぐらのおたからさがし』という題名だった。海に出かけたぐりとぐらが宝の地図を拾う。それに導かれて海底に沈む海賊船を探検する話だ。すごい。本当に読んだことがない新作だ。里菜は夢中で読み進んだ。懐かしい―。最後に見付けた宝物が『とくべつなカステラのレシピ』というのも、ぐりとぐららしくて里菜は思わずにやにやした。
 なんだかすごく得をした気分だ。食べ尽くしたと思っていたビスケットの箱を覗(のぞ)くと、まだまだビスケットが残っていたような気分。
 次は何を読む?自分に尋ねながら気が付くと手の平に少し汗をかいていた。
「シャーロック・ホームズ」
 最近ちょっとハマっているシリーズの名を告げた。シフォンが一冊の本をくわえて駆け戻ってくる。里菜の手に『シャーロックホームズの潜伏』という本が現れた。作者はアーサー・コナンドイルになっている。もう死んじゃった人なのにどうやってあっちの世界で生まれるんだろう?あとでトナエに訊いてみようかな。
 背表紙の粗筋を読むと、モリアーティー教授と対決後、復活するまでの事件を後にワトスン博士が聞き書きした物語という形式らしい。『注文と違う料理が出てくるのに文句を言わないレストランの客』、『ハイドパークで連続して起きる鳩の射殺事件』、『キュー植物園に隠された莫大な遺産のありかを示す暗号の謎』といった煽(あお)り文が躍っている。全部で六編―どれもおもしろそうやん。里菜は窓辺の椅子に本腰を入れて座り込んだ。誰も知らない物語―それを世界で一番最初に読んでいると思うと胸が躍った。
 おなかが―空いた。気が付くとお昼をとうに過ぎている。名残惜しいけどそろそろ帰らなきゃ。
「返却」
 と唱えるとシャーロックホームズはカードの中に吸い込まれた。次は何を読む?ぼんやりとそんなことを考えていたらシフォンの鳴き声に驚かされた。なんや中毒になってしまいそう。
 一般書架を出ると受付に回ってクビキさんに『帰ります』とあいさつをした。
「帰り方はわかるね。あの鉄の扉がこっちとあっちをつないでいるから。こちらに来る時はあの扉に図書館カードをかざしなさい」
 クビキさんが本の整理の手を止めて教えてくれた。里菜はお礼を言って図書館を出た。『あっ』丘を上ったところで里菜は声を立てた。トナエにあいさつしそびれたな。足元には鉄の扉が見える。振り返れば続編図書館の白い姿が午後の陽差しにくっきりと浮き上がっていて草原に濃い影を落していた。それを見ていたらくしゃみがひとつ出た。

 とうに陽は落ちて割れた天窓から月の光が差している。ガルは鳥目だからとりあえず、空襲の危険は去った。長期戦に持ち込むつもりだろう。見張りを残してオーク達も撤退したようで唸(うな)り声も消えている。
「ごめん」
 シンシアがぽつりと言った。ナオヤはシンシアの膝に頭をのせてじっと目を閉じている。
「……じゃなくて、助けてくれてありがとう」
 シンシアが言い直す。その肩が震えていた。
「ごめん……」
 ナオヤが口元だけで笑った。
「今度はどうした?」
「わたしヒーリングの魔法の勉強をサボってばかりいたから、ナオヤの傷を治せない」
 ナオヤの笑みが深くなった気がした。
「もう少しこっちに来て」
 シンシアは体をずらせてナオヤの体を引き寄せ天窓の真下に顔がくるようにした。
「顔を見せて」
 青白い月の光に照らしてシンシアはナオヤに顔を近付ける。それから傷口に目を凝らすと用心深くガラスの欠片(かけら)を引き抜いた。ひとつ、またひとつ、気が遠くなるような数の欠片をシンシアは引き抜いていく。
「動いちゃだめ」
 痛みに顔を背(そむ)けようとするナオヤの顎を強い力で摘(つま)んでシンシアが言った。ナオヤがそっと目を開くとすぐそこに怖いほど真剣な眼差しの緑の瞳があった。
「痛(いた)っ」
 声を上げてシンシアが指を唇に当てる。指の先から赤い筋が細く伝っていた。ガラスで指を切ったのだろう。
「もうよせよ。筋を切ったらリュートが弾けなくなるぜ」
「いや、止めない」
 シンシアは目尻に涙を浮かべながら、それでもガラスの欠片を抜き続けた。

 放課後、ピアノのレッスンがない日、土曜日や日曜日、里菜は時間を作っては続編図書館に通い続けた。手提げかばんの中には『読みたい続編リスト』が入っている。家の本棚や学校の図書館の本とにらめっこしながら作ったのだ。

 


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