里菜と続編図書館<6>
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 二人は干し草の上に引っ繰り返ってしばらく笑った。
「ゴルドバがいなくなったらなんだか気が抜けちゃった」
 シンシアがぽつりと言う。
「ああ」
 二人が黙り込むと草のざわめきや川の流れる音がやけに耳についた。
「いよいよ、今日だね」
「……ああ」
 言ったきり二人はまた黙り込んだ。
「心配ないよ。キルト様はカミュを破った程の魔道師だもの。きっとナオヤの世界に続く道を開いてくれる」
「俺は……、帰って良いのかな」
「良いに決まってるじゃない。ナオヤのふるさとだよ」
 言ってシンシアは笑った。
「いや、そういうことじゃなくて……。つか、普通もうちっと名残惜しそうにするとか、『行かないで』ってすがり付くとかあるだろ」
 ナオヤは不貞腐れたようにシンシアに背中を向けた。不意にぐっと肩にしがみつかれて、背中にシンシアの体温を感じた。
「行かないで」
 消え入りそうな声が耳元で響いた。
「なあんてさ。言うと思う?」
 シンシアは仰向け(あおむけ)にひっくり返ってけらけら笑った。『柄(がら)じゃないよ』と呟く。
「あのさあ」
「ん、なに?」
「背中が濡れちゃって冷たいんだけど」
 シンシアは顔を背けると小さな声で『ばかっ』と言った。
「あのさあ」
 ナオヤはシンシアの方に向き直った。シンシアはすねたように背中を向けている。
「一緒に行かないか」
 シンシアの肩が震えた。
「ちゃんと親父にも紹介してこれからのことを相談する。どうやって暮らしていく気だって訊かれてもまだ答えられないけど必ず答を出す。俺、シンシアに傍にいてほしいんだ」
 言ってナオヤは仰向けになると星空を見上げた。幾千万もの星々を眺めていると二人のこれからの暮らしの悩みなど他愛(たあい)ないことのように思えた。シンシアは黙りこくっている。ひんやりと冷たい風が干し草の上を幾度も吹き過ぎてナオヤは大きく身震いした。
「じゃあ、ナオヤがここに残りなよ。父さんにきちんと話す。ナオヤがここで暮らしていけるようにする。わたしだって……」
 強い風に紛(まぎ)れてシンシアの言葉はかき消された。

 あと一冊だけ。
 里菜は心の中で呪文のように唱えた。
 あと一冊だけ―こんな終わり方はいやだ。最後の最後にあんな呪われた運命が待っていたなんて……。
 もうしばらくは行かないでおこうと思っていたが、里菜はまた丘の上に立っていた。見慣れた白い建物は今日も濃い影を落としていた。
 樫の扉を押して入ると見慣れた案内板の下に張り紙がしてあった。
『図書館カードの更新を行います。まだの方は受付までお越し下さい』
 締切日は今日になっていた。あとで行こうと心に決めて一般書架に急いだ。ポケットから赤いカードを取り出すと何となくシフォンの頭の辺りをなでてから本の題名を唱えた。
「ディアフォレストの風」
 シフォンが―駆け出さない。小首を傾げるともう一度言えと催促(さいそく)するように短く吠(ほ)えた。どういうこと?
「ディアフォレストのかぜ」
 今度はゆっくり言ってみた。シフォンが後ろ足で頭をかいて、また短く吠えた。
「でぃあ、ふぉ・れ・す・と・のぉかぁぜ」
 なんだかからかわれているみたいで、いらついたのでつい声が大きくなった。と、シフォンが足元を掘る仕種(しぐさ)をした。木の立て札のイラストがぬっとシフォンの前に現れた。
『おそれいりますが、受付までおこし下さい』
 立て札には赤い文字でそう書かれていた。しばらく里菜はじっとカードを眺めていたがそれ以上は何の変化もない。とりあえず受付に行かなければならないらしい。
 受付のカウンターにはトナエがいた。そしてカウンターの上にはいつか町の図書館で見かけたあの本―ここへ来るきっかけになった『続・ディアフォレストの風』が置いてあった。
「あの……」
 里菜はカードを差し出して説明しようとしたが、黙ってうなずくトナエを見て事情は全部伝わっているらしいとわかった。
「この本、覚えていますか?」
 トナエに尋ねられて里菜は黙ってうなずいた。口調はいつもと変わらないのだが、心なしか厳しい表情をしているように見えた。
「この本はクローズド・ブックになったのです」
 『クローズド・ブック』=『閉じた本』ってどういう意味だろう。カウンターの上の本はよく見ると細い金色の糸で何重にも縛ってあって簡単に開かないようにしてあった。
「この図書館がどうして生まれたかわかりますか?」
 里菜は首を傾げた。里菜の住む世界とは異なる空間に建っているのだろうと想像するだけで、この図書館ができた理由や意味など深く考えたことはなかった。
「そちらの世界の人達が物語を手に取ります。読み終わった後、物語はその後どうなったんだろうと想像を巡らせます。想像の中身は読んだ人の数だけ様々です。その想像を整理して一つの物語にまとめるためにぼく達が生まれました。そして、まとめた物語を仕舞っておく場所としてこの図書館が生まれたのです」
 なんだか物置か倉庫みたいだ。
「新しい読者が現れれば新しい想像が生まれる。同じ読者でも時が経てばまた別の想像をすることがある。ここの物語はいつかそちらの世界で生まれるまで、そういった新しい想像を呑み込んでその姿を刻々と変えていくのです」
 言ってトナエはカウンターの上の本を見遣った。
「今さらやけど、トナエってむちゃくちゃ長いこと生きてへん?」
 里菜がおそるおそる訊いた。
「ぼく達に時間の概念はありませんから」
 トナエはこともなげに言った。
「何が起きたら続編がそちらの世界で生まれると思いますか?」
「そりゃあ小説が大ヒットして、出版社が会議で続編を作るかどうか決めて……」
 トナエがくすくす笑い出したので里菜は驚いた。もしかしたら、笑うのを見るのは初めてかもしれない。
「みなさんほんとに……。ほんとに同じことをおっしゃるのですね」
 笑いはなかなか引っ込んでくれないらしく、トナエは苦しそうな顔をしながら言った。
「もっと単純なことです。この図書館の本をそちらの世界に持ち込んで開けば良い」
「それだけ?」
「はい、それだけ。開いた瞬間にその本は消えて、そこに書かれていた物語が作者に宿ります。出版社は自然と続編を作る準備を始めるのです」
 いやいやいや、魔法やないんやから―口まで出かかって止めた。この図書館自体が魔法みたいなものだ。
「ここの本がそちらの世界の空気に触れると続編の物語は変化するのを止めます。そして、本を開いてしまったらもう後戻りはできなくなります」
 続編が生まれるのです―。
「だから貸し出しできなかったんだ」
 里菜の言葉にトナエはうなずいた。
「でも、どうしてこの本があっちの図書館にあったの?」
 金色の糸で縛られた本を見つめながら里菜はさっきから気になっていることを尋ねた。
「タチの悪いいたずらです。こちらの本をこっそり持ち出して、大勢の人目に触れる図書館や本屋に置く人がいるんです。誰かが知らずにその本を開いてしまうのを見て笑うらしいのです」
「くっらあ。何の得にもならへんやん」
「それどころかまだ生まれるべきでない続編でそんなことをしたら物語世界の秩序(ちつじょ)が乱れます。下手をするとオリジナルの物語世界が崩壊してしまいます」
 平家物語や人魚姫を思い出した。あの本が実際に出版されたら読んだ人はどう思うだろう。そういえば有名な小説の続編が出た時、作るべきじゃなかったと強く批判されたこともあった。あれはもしかして、そうやって無理やりに作られた続編だったのだろうか?
「本来、物語は一冊で完結するものです。たとえ続編が作られたとしても、それは前の作品とは全く別の物語として語られるべきです」
 トナエは疲れたような溜息を吐いた。
「この仕事をしているといろいろな声が聞こえてきます。この本の続きが読みたい、あの本の続きが読みたいって、そりゃ熱心に望む人がいます。ところがいざ続編が出ると、がっかりした声が聞こえてくるんです。一作目と雰囲気が違うとか、こんな展開になるとはおもっていなかったとか、ストーリーの質が落ちている、感動が薄れた、設定に矛盾がある、登場人物の性格が違っている―とどのつまりは前作を超えられていない」
「いやいやいや、そんな意見ばっかりちゃうでしょ。喜んでくれた人もたくさんいたんちゃう?」
 里菜がとりなしたが、トナエは眉間(みけん)にしわを寄せたままだった。
「もちろん励みになる声もたくさん聞こえますが、理解に苦しむのは否定的な声です。たとえばお気に入りの登場人物が死んでしまって悲しんでいた人が、実は死んでいなかったという話にして下さいと願うことがあります。ところが、続編で実は死んでいなかったという筋になっていると急に怒り出すんです。ご都合主義だって。その人はいったいどんなストーリーだったら満足するのでしょう?」
 トナエには悪いと思いながら里菜はその人の気持ちがなんとなく理解できた。思い入れの深い登場人物には死んでほしくない。でも、その生死を安易に扱われるのはもっと耐えられない。ファンってそういうものやし。
「すみません。取り乱したことを言ってしまいました」
「良えやん。なんか初めて人間臭かった気がするし」
 笑って里菜はかばんからさっき買ったチョコレートの箱を出して封を切った。トナエは肩をすくめて素直に差し出された箱から一つつまんだ。

 


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