里菜と続編図書館<7>
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「どうしてみなさん続編を読みたがるんでしょう?」
「それは……、その物語が好きやからやん」
 言って里菜はドキリとした。当たり前過ぎる答だったのでトナエが怒るか笑うかと思ったのだ。けれど、トナエは黙って続きを待っているようだった。背中を押される気持ちで里菜は続けた。
「本を読んでいると特別な一冊に出会うことがあるんよ。読み始めたら周りから音も光も消えて代わりに物語の世界が立ち上がってくる。干し草の香りも、風の音も直に肌で感じられるくらい感覚が現実味を帯びて、主人公達の笑い声や叫びが耳元で本当に聞こえる気がすることがある」
 里菜はチョコレートをひとつつまんだ。
「けど、それは夢なん。本を読み終わったら一瞬で消えてしまう夢やねん。そんなことわかってる。わかってても……、いや、わかってるからこそ、ページがあと少しになってくると息が苦しくなるんよ。もうすぐお別れや。最後のページを閉じたらこの世界の時間は止まって先に進むことはなくなる―そんな思いが現実味を帯びてくるから」
 チョコにくるまれていたナッツを噛む。カリッと大きな音がした。
「その本を読み返すことはできる。けど、何回読んでも同じ時間を繰り返すだけで、だんだん味気なくなってくる。新しい時間を新しい物語を味わいたいと思うようになるやん。だからたくさんの人が続編を読みたがるんやと思う」
 トナエはじっとカウンターの上の本を見つめて黙っていた。奥にクビキさんがいるんだろうか?本を積み重ねたり、ワゴンを動かしたりする音が聞こえてくる。
「この本はクローズド・ブックです」
 首を傾げる里菜にうなずいてトナエは続けた。
「そちらの空気に触れてしまったから、今ここで封を切って本を開いた瞬間、そちらの世界で続編が生まれます」
 だから、一般書架には置かずに封をして保管してあるのだという。
「そちらの世界の空気に触れた時点で物語は変化することを止めていますから、本を開く前からどんな物語になるかは既に決まっています。でも、本を開かない限り誰もその物語を知ることはありません。一人一人の読者が自由に想像する余地が残っているのです。本を開けば―大げさな言い方になりますがナオヤやシンシアの運命は決まってしまいます。その覚悟があるならどうぞ封を切って下さい。里菜さんにはその権利と資格があります」
 『どういうこと?』と里菜は尋ねた。
「あの日、里菜さんがこれを見付けてすぐにぼくに報せてくれたからこの本は生まれずに済みました。『ディアフォレストの風』は発売から一カ月しか経っていない新刊書です。この作者のファンなら注目度も高い。早々に誰かの目に止まっていてもおかしくはなかった。あんなに早く回収できたのは里菜さんのおかげです。だから里菜さんが本を開いても構わないと思うのなら開く権利があります」
 トナエはカウンターの上の本を指で叩(たた)きながら続けた。
「そして、里菜さん自身もあの時この本を開かなかった。この物語に興味を持っていて開いてみたいという誘惑もあったのにとうとう開かなかった。安易な好奇心に打ち勝てたあなたにはこの本を開く資格があります」
 聞いていて里菜はこそばゆくて仕方がなかった。いやいや、開かなかったのは本をバサバサ落してしまってたまたまなんやけどな。
 トナエは『続・ディアフォレストの風』を里菜の方に押しやった。
 風使いのシンシア、剣道とアーチェリーの達人の直也、二人の新しい冒険の物語がここにある。新たな危機がディアフォレストに迫って再び直也があの世界に向かうのだろうか?いや、今度はシンシアが渋谷にやってくるのかもしれない。あるいは直也が実はディアフォレストの出身者だったという設定はどうだろう?彼の命を守るため、次元を越えて赤ん坊の直也は今の両親に託された。直也の父は身を守る術として剣道で彼を鍛えた。やがて、直也はシンシアの実の兄であることがわかる―そうなれば悲恋だ。いっそ二つの世界がどんどん混ざっていくというのはどうだろう。渋谷の空をガルが飛び回り、109の前をオーク達が徘徊する―なんて姿は不気味だけど圧巻だ。僧団の騎士達はちょっと休憩と言ってマクドナルドでハンバーガーを食べているかもしれない。それとも……。
 あれ?あれれ?里菜の中に物語が溢れ出す。止まらない、止まらない、次から次へと新しいストーリーが湧(わ)いてくる。この図書館に通いつめているうちにいつの間にか物語の続きを考える癖(くせ)が付いてしまったようだ。
 目の前の本を見下ろす。『続・ディアフォレストの風』と書かれた赤い装丁の本。この中に書かれているのは、今想像した物語のどれかと似ているのだろうか?それとも全く別の物語なのだろうか?どちらにしても、この本を開いてしまえば、ここに書かれている物語以外はシンシアや直也の物語ではなくなってしまう。たった一本の物語を除いて彼らが経験することはなくなってしまう。続編が生まれるということの意味を里菜はようやく理解した気がした。

 続編が生まれたら、読者は物語の続きを想像することができなくなってしまう―。

 どの物語も味わってみたい―そう思うことは欲張りなんだろうか?
 里菜は大きく息を吸い込んで目を閉じた。たっぷり時間をかけてよく考えた。そして目を開くと赤い本をトナエの方に押し戻した。
「やっぱり止めとく」
 トナエが戸惑った顔付きで里菜を見る。
「続編がないことの幸せがなんとなくわかった気がするから」
 里菜は本を手に取るとトナエの手に載せた。トナエはまじまじとその本を見ていたが、やがて口元をほころばせて笑うと後ろの棚に本を戻した。その背中を見ていた里菜は、ふと本棚の横の壁に入口と同じ張り紙を見付けた。
「あ、それ」
 里菜が指差す方を見てトナエも『ああ』と言った。
「今日が締切日です。今から手続きをしましょう」
 カードを出すようにトナエは促(うなが)した。が、里菜はポケットに手を入れずに首を横に振った。
「いろいろ考えたんやけど、もうここに来るのはやめといた方が良いと思う。良くないことの意味もようわかった。これ以上、架空の続編を読み続けん方が良いと思う」
 カードの更新のことがなくても、里菜はディアフォレストの風を最後に来るのを止めるつもりでいた。
「でも、カードを更新しなければここへの道も閉ざされてしまいますよ」
 トナエの言葉に里菜は一瞬迷ったが、すぐにきっぱりと言った。
「いろいろお世話になりました。今日で最後にさせてもらいます」
 声を聞きつけたのだろう。奥からクビキさんが顔を出した。里菜の説明を聞いて『おやおや』と言った。
「そいつは名残惜しいが是非(ぜひ)もなしか」
 古めかしい言い回しをつぶやくと、『お元気で』と言ってクビキさんは深々とお辞儀をした。里菜も慌てて立ち上がるとお辞儀を返す。
「何かあればいつでも来れますし、カードの更新だけはしておいたらどうでしょう?」
 釈然(しゃくぜん)としない顔でトナエが言ったが、『また来たくなるからやめとく』と言って里菜はトナエにも丁寧に挨拶をした。
 かばんを肩にかけるともう一度『お世話になりました』と言って里菜は背中を向けた。通路を曲がって玄関に向かおうとした時、トナエが追いかけてきた。
「里菜さん、忘れ物」
 封を切ったばかりのチョコレートの箱を手に持っている。
「あげるわ。おせんべつ」
 笑って里菜は手を振った。

 眼下に白い建物が見える。すっかり見慣れた続編図書館は今日も濃い影を落していた。風に乗って漂ってくる草の香りが里菜の鼻をくすぐった。今も、これからも、人が物語を紡(つむ)ぐ限り、続編が現れあの書架に並ぶことだろう。そして多くの続編は生まれることもなく元の物語と共に歴史の中へ消えてゆく。その悠久(ゆうきゅう)の営みを思うと……くしゃみが出た。
 樫の扉の前に立って見送ってくれているトナエは里菜と目が合うとお辞儀をした。里菜もまたお辞儀を返す。
 白い建物に背を向けると里菜はもう振り返ることはせず、丘を降りて鉄の扉をくぐった。すぐ後ろで大きな音を立てて扉が閉まった。

「里菜ちゃん、何書いてるのん?」
 放課後、かばんを下げた桃ちゃんが里菜の席に寄って来た。
「うん……、ちょっとな」
 原稿用紙に書き物をしている里菜は生返事をしたばかりで顔を上げない。何やら取り込み中と察して、さすがの桃ちゃんもそれ以上声をかけずに空いている席に座って里菜を待った。
「うわっ、この栞(しおり)かわいいやん。小犬の絵なんか写真みたいに精密やし」
 手持ちぶさたの桃ちゃんが里菜の机の上から赤いカードをつまんで歓声を上げた。『あげへんで』相変わらず里菜は顔を上げずに言った。
 時々、里菜は続編図書館のことを思い浮かべる。面白い本や映画に出会った時などはついどんな続編があの書架にならんでいるんだろうと思って心がうずくことがある。
 ふと思い立って、里菜はあの図書館のことを物語に書いてみることにした。題名は『里菜と続編図書館』。小説を書くのなんて初めてなので最初はかなり苦労した。結局、自分が経験したこと、思ったことを書き連ねた作文のようなものに仕上がった。
 今、最後のページを書き進めている。これを書き終えた時、あの書架にまた新しい本が並ぶのだろうか?
『続・里菜と続編図書館』
 なんだかくすぐったい気持ちになりながら里菜は最後の一行を―今、書き終えた。
 −完−

 


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