今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第六夜 十一月にふる雨
《3》

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「しかし、技術屋が営業の部署に行くってのはよくある話なんですかね。会社のことはよくわかりませんが、まるで畑違いの人事のような気がする」
「会社からしたら空気の入れ換えのつもりやったらしい。あの業界は技術の動向が激しいやろ。営業マンではツッコんだ会話についていくのが厳しいらしい。かというて、商談の度にSE連れていくんでは経費がかかってしゃあない。ほな、いっそSE経験者を営業マンにしてしまおう言う発想やな。そういう目的やから、SEやったら誰でも良えいうわけにはいかん。ベテランで腕が立つ必要があるから、白羽の矢が立ったんはむしろ胸張って良え話やねん。それに、西本はしゃべりも巧いし、わしに言わせたらうってつけの的を射た人事に見えますわ」
「めっちゃ素朴な疑問ですけど、なんでそんなに事情に詳しいんです?」
 しのぶが空になったジョッキを差し出し、熱燗を注文しながら尋ねた。
「そら、西本繋がりでそこの会社に友達がいてるもん。そいつらにいろいろ事情を教えてもろてん」
「お待ちどおさん」
 料理が客たちの前に並べられていく。
「台湾の屋台ではメジャー商品らしいで。牡蠣のオムレツや」
 しのぶの前の丸皿には鮮やかな赤のチリソースがかかったオムレツが載っている。牡蠣は卵に隠れているらしく見えないが三つ葉の緑がアクセントになって彩りが楽しい。
「これはなんですのん?」
 卵の下の半透明のゼリーのようなものを箸で突つきながらしのぶが訊く。端のカリカリに焼けている部分が特に旨そうだ。
「水溶き片栗で作った生地やな。本場もんはさつまいもの粉で作るらしい。要は屋台の料理やから単価を抑えんとあかんやろ。嵩増やしにしか思えへんねんけど、リアルに拘って付けてみてん」
 早速しのぶは箸で切って口に入れてみる。
「あ、卵がすごい。牡蠣の風味が濃厚で、あたしこんな味初めてかも……」
 歓声を上げるしのぶの隣のバリキには大皿に大盛りというよりは特盛に見える炒飯が出て来た。上にハーブらしい緑の葉と糸唐辛子が盛られていて薄茶色のタレが添えられている。
「そのタレをかけてよう混ぜて食べて」
 主人に言われた通りにして蓮華で混ぜながらバリキは炒飯を口に入れた。
「確かに変わってるな。炒飯いうたらパラッとしてるのが身上やと思うねんけどわざわざタレをかけてべしゃっとするというのにちょっと違和感がある。だいたいこのタレ、俺の好みからしたら甘過ぎや」
 珍しく料理が不評である。が、数秒後。
「か、からいからい」
 主人がニヤニヤ笑いながら水を差し出した。
「飲むんは自由やけど、飲んだらもっと辛くなるで」
 主人は意地の悪いことを言う。
「前言撤回。これ良えわ。この甘さが辛さをぐんと引き立てよる。これクセになるわ」
 バリキは出された水は脇に追いやって猛然と皿に蓮華を突っ込んだ。
「ユウやんにはサプライズな料理出したろ。さて餃子の中身は何でしょう?ポン酢で食べてみて」
 四角い平皿に小振りの餃子が並んでいる。ユウやんは小首を傾げながら一つポン酢に浸けて口に放り込んだ。
「はるほとはひや」
 裏返った声でもごもご言うので、他の客達から日本語を喋れとブーイングが出た。
「まるごと牡蠣や。餃子一粒に牡蠣一粒使うてる。生姜と葱が良え仕事してるで」
「先に生姜と葱と一緒に牡蠣をさっと炒めてから皮に包んで焼いてるねん。せやから、えぐ味が少なくてさっぱりしてるやろ」
 ユウやんは頷きながらグラスを煽る。
「あの、さっきの話やねんけど」
 バリキが口を開いた。
「遺書はなかったんやろ?何で自殺と断定されたんやろ。事件の可能性もあるんちゃうん?」
「ああ、それな。その屋上は密室やってん」
「鍵がかかってたいうことか?やったら、その西本さんはどうやって入ってん」
 ちょっと待ってと手で制して口の中の物を落ち着かせてからユウやんは口を開いた。
「事件があったんは、わしがこの前この店に顔を出した日やから二週間くらい前や。えらい雨が降った日やな。死亡推定時刻は夜の八時から十時くらい。死体は人通りの少ない路地にあったから次の日の朝、九時過ぎまで発見されへんかった。で、問題の屋上やねんけど、夜の七時から朝の七時までは鍵がかかってるねん。今のところ西本が鍵の開いてるうちに屋上に入って、死亡推定時刻に飛び下りたというんが有力な線や。これが殺人事件やとしたら、死亡推定時刻の時間帯はもう鍵がかかってるから西本を突き落とした後、犯人は屋上から出られへん」
「その屋上から飛び下りたのは間違いないのですか?」
センセが生春巻きを口に持って行きながら訊いた。
「ああ、西本の靴が屋上の端に揃えて脱いであるのが後で見つかったんですわ」
「屋上の鍵がかかってる時間がめっちゃ中途半端なのが気になるんですけど。普通、かけっぱなしにするもんちゃいます?」
 と、しのぶ。
「それなあ。西本の会社でも去年、喫煙スペースをなくしよったらしいねんけど、それ以来屋上が隠れ喫煙スペースになってたらしいねん。で、守衛さんにかけあって昼間だけ開けさせとってんけど、今大問題になってるわ」
「保安もへったくれもないな」
「ほんまに。それが又、かけあったんが偉いさんやったらしいから示しがつかへんねん」
 店に入って初めてユウやんは薄く笑った。
   ※
 雨は降り続いている―
 電話が鳴っている。翔を寝かしつけていて一緒にうとうとしていた弥生は飛び起きた。せっかく寝てくれたのに―大急ぎで子機に飛び付く。
「もしもし。……。あ、お姉ちゃん」
 弥生はまだ焦点の合わない目を擦りながら言った。
「みなさん元気?……。うん。相変わらずよ。どうしたん?……。え?今晩?普通に家にいてるけど。……。ええっ、お父さん預かってくれて。そんなん急に言われても……」
 弥生は翔が眠る奥の部屋を見返りながら言った。康男はまだ帰っていない。窓の外を見遣ると雨は本降りになってきたようだ。
「え?(たく)くんが……。うーん。それやったらしゃあないね。……。うん、わかった。着いたらインターフォン鳴らして。エレベーターのとこまで迎えに行くから」
 電話を切ると、我知らず『あーあ』と愚痴のような溜息を弥生は漏らしていた。
   ※
「で、その口振りやったらユウやんは自殺説に納得いってないんやろ」
「まあな。衝動的にて言われたらそれまでやけどどうもしっくり来ん。密室の件がなかったら殺人の可能性も充分あると思うてる」
「けど、殺人やったら犯人がいてるわけやん。容疑者いうか怪しいやつはいてるん?」
 炒飯をさらえながらバリキは言った。あれだけあった料理はあらかた片付いて、『さっぱりしたもんを』と次の皿を注文している。
「実は、ビルのセキュリティの関係で容疑者はある程度絞れるねん。ビルの出入りは朝の七時から夜の七時までは正面玄関が開いとって、まあ出入り自由や。社員以外に付き合いのある業者の人間も出入りする。出入りの激しい時間帯やったら無関係な人間が出入りしてもわからへん。問題は夜や。午後七時に正面玄関が閉まってそれ以降は通用口からしか出入りできん。ここは入るんも出るんも社員の持ってるICカードがないと戸が開かん。更に、ICカードを使うた記録はコンピュータに残るという仕掛けや。犯人がもし社員以外やった場合、それでも正規の入館証を発行してもらっとけば七時以降にビルから出ることは可能や。けどこれから人殺すのにその日自分がそこに居てましたいう記録は残したくないやん。わしやったら、七時までに正面からこっそり入って屋上で待ち伏せする作戦を選ぶ。けど、これやと犯行後、次の朝に正面玄関が開くまでビルに潜んどかんとあかんわけや。これは犯罪心理学的に考えてあり得へんやろ。結果的に死体の発見は朝やったけど、夜中に発見される可能性ももちろんある。そしたら近辺のビルは軒並み警察の捜査が入る。そしたら袋の鼠や。そないな危ない計画立てへんよな。そやから容疑者は、死亡推定時刻の午後八時から十時に近い時間帯にビルを出た社員の中におる」
 ユウやんは言い切ると、焼酎を煽るように呑んで豪快にむせた。
「センセ、どう思わはります?」
 バリキがおそるおそる訊く。
「春に紹介した病院では脳波までは取らなかったはずです。早急に検査の手配をすべきでしょう」
「やっぱり……」
「ちょ、ちょっと、何の相談をしとるねん」
「ああっ」
 しのぶが頓狂な声を上げる。
「もしかして、ユウやんって双子……」
「だから、何の話や」
「いえいえ、ユウやんの説明があまりにも整然としてはったから、病気説と別人説が浮上してまして……」
「やかまし。間違いなく本人やし至って健康や」
「じゃあ、いつものぐだぐだは?」
「あのなあ。今日はお仕事モードや。放っといたら夜が明けそうやから話を進めるで。そうやって容疑者を絞ると怪しいのが三人いてる。ただ、状況からすると西本を恨んどったというより西本に恨まれてもおかしないと思えるやつばっかりやねんけどな」
「なんやそれ」
「ま、聞いてや。三人とも西本と同じ部署の人間で通称桃太郎トリオと呼ばれてるらしい」
「なんや楽しそうなトリオですやん」
「全然楽しうないねんな、これが。まず、西本の上司の内村(うちむら)一義(かずよし)。万年課長で、能力的には担当者と変わらへんらしい。業績は西本に頼りっきり、トラブルが起きたら西本に丸投げして『僕、何もできません』って顔で逃げ回るらしい。で、営業に誰か異動させなあかんて話が来た時も考えなしに西本を推したらしい」
 ユウやんは牡蠣餃子を一つ口に放り込む。
「おるなあ、そういうタイプ。下手したら異動した後も、『西本さん、助けてえ』って営業に駆け込んどったりして」
「いや、ほんまにやりかねんらしいで。ともかく、そいつがやや猿顔やねんて」
「やや猿顔って……、どんな顔やねん?」
「まあ、とりあえず次な。交野(かたの)秀夫(ひでお)、西本の同期や。こいつがやや犬顔」
「だから、どういう顔やねん」
「自分の仕事の枠を勝手に決めてしもて、それ以外は一切仕事をせんタイプ。西本の異動で西本の持ち分を担当せえて言われた時も、それは自分の仕事やないて言い切ったらしいから筋金入りや。人がやることはやたら批評するんやけどな、自分でやってみいて言われたらへらへら逃げ回るから、陰で評論家って言われてるらしい。技術屋はそういう口だけのやつを一番嫌うからちょっと浮いた存在みたいやな」
「そいつ、定時になったらいつの間にやらおらんようになってるんちゃう?想像つくわ」
「で、最後が山内(やまうち)沙恵(さえ)
「やや(きじ)顔か?」
「いや、やや雉似らしい」
 コメントのしようがなかったらしく、バリキは曖昧に笑った。

 

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