今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第六夜 十一月にふる雨
《4》

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「一見そつなく仕事をこなすように見えるけど、経験のないことや、やりとうないことが回ってきたらヒステリーを起こして全力で拒否するらしい。西本の異動にも最後まで反対してたらしいんやけど、これは自分が内村の面倒見させられるんちゃうかと考えてのことらしい」
「内村って誰やったっけ?」
「猿顔」
「あ、万年課長か」
 分かり易い。
「で、総括するとその三人の動機は何なんです?」
 センセが空になった皿を戻しながら訊く。何か軽めのものを―と注文した。
「動機は特にない」
 ユウやんが言い切る。
「でも、それでは容疑者とは言い難い」
「普通に考えたらその通りや。けど、西本の死因は転落死なんですわ。毒を盛られたり拳銃で撃たれたんと違うて、これが殺人やとしたら犯人と容疑者は格闘いうか揉み合い必至になる。返り討ちに遭ってしまう可能性は充分あります。西本が恨み言の一つも言いとうなるとしたらこの三人や。揉み合ううちに誤ってという可能性はあるわけです」
「なるほど」
「ちなみに、その三人は事件の夜は残業してはったんですか?」
 しのぶもオムレツを空にして皿を返しながら訊いた。おまかせで何か辛いものを―と注文する。
「納期が近いとかで全員十時前後にビルを出たらしい。ちなみに、死亡推定時刻の八時以降、ビルを出た人間は三十一人。その中で西本と面識があったんはその三人だけや。ビルに入ってきたんは十一人やけどこっちはよその部署の人間で面識がない。……、あ、わしがなんでそんな情報まで掴んでるかは訊かんといてな。答えられへんから」
 言って最後の餃子を口に入れる。見慣れたへらへらした笑いになんだか凄味が感じられる。今宵のユウやんは一味違う気がした。
「あの、今さらやねんけど」
 バリキが口を開いた。
「この状況って俺らに事件の推理をしてくれて、期待してる?」
「そやで」
 ユウやんはあっさり頷く。
「いろいろ考えてみたけど事件のポイントは密室の謎や。それが解ければ少なくとも桃太郎トリオの誰にでも犯行可能や。一人で考えても(らち)があかんと思うてな。ここへ来てん」
「いくつか教えてほしいねんけど」
「はいどうぞ。あ、ちょっと待って。大将わしなんぞ甘いもんちょうだい」
 餃子の皿を戻しながらユウやんは言った。
「出た。毎度毎度よう胸焼けせんこっちゃ。ええか?質問するで。そのビルは何階建て?」
「十階建てや」
「屋上の鍵ってどんな構造のやつ?合い鍵が作れるかどうかとか、中からは鍵がないと開かんけど屋上側はポッチになっとるだけで開け閉め自由とか」
「普通に鍵穴に差す鍵やな。どっち側からも鍵がなかったら開け閉めできへん構造や。鍵自体はありきたりなもんやから街の鍵屋でスペアも作れると思うけど、犯人がスペアを用意しとったいうのは疑わしい。それって、計画的に屋上に呼び寄せて殺したということやろ。誰が犯人やとしてもこの事件ってもっと突発的な事故に近い気がわしはするねんな」
「あと、屋上のフェンスがめっちゃ気になる。普通そないに簡単に転落するような造りになってへんのんちゃう?もし、よじ登らんと落ちへんような頑丈な造りやったら突発的な事故説はなしや」
「フェンスなんてあらへんで。屋上の縁に七十センチくらいのコンクリートの囲いがあるだけや」
「げっ、それって無防備過ぎるやろ」
「そやかて、隠れ喫煙スペースになるまでは鍵かけっぱなしやったし、基本的に工事業者しか立ち入らん場所やもん。街ん中見渡してみ。なんもない屋上の方がよっぽど多いで」
「なんや工場勤めの俺には想像できへん不用心さやねんけどな。まあ、それやったら揉み合って誤って転落いうのんも頷ける」
「いうか普通そんなとこで揉み合わへんけどな」
「私からも一つ聞いて良いですか」
 センセがご丁寧に挙手してから口を開いた。
「なんですやろ」
「事件当日の西本さんの足取りが気になるのです。仕事を終えてから、その……転落するまでどこで何をしていたかはわかっていないのでしょうか?」
「最後に見掛けられたんは、六時半頃に『失礼します』いうて事務所を出たとこらしい。西本は十二月に異動になる身やからな。ここんとこは引き継ぎと身の回りの整理が主な仕事や。桃太郎トリオが抱えてるプロジェクトとも当然関わってないし、定時早々に引き上げとった。自殺説の動機付けとしてはそういう生活が閑職に追いやられたちゅう気分にさせたんちゃうかという考えもあるらしい。残業して当たり前の業界やからな。桃太郎トリオは自分らはこないに残業しとるのに定時で帰りよってて、筋違いな愚痴をこぼしとったらしいけどな」
 ユウやんは湯割りを呑み干して又薄く笑った。
「それが西本の最後の目撃情報や。通用口の出入りには記録されてないからそのままビルの中に残ったか、ビルから出たとしても七時までにビルに戻ったと考えられる。で、七時までに屋上に上がったんやろうというのが一番有力な説や」
「はい」
 律儀にしのぶも手を挙げる。『はい、しのぶさん』いつも通りセンセが指名する。
「二つ気になってることがあります。一つは西本さんの生命保険ってどうなるんでしょう。自殺やったらおりへんとかやったら関係者の利害関係が変わってくると思うんですわ」
「お、鋭いとこ突いてくるやん。わしも気になったから弥生ちゃんに確かめてん。今の保険に入ったのは翔君が生まれた時やから、もう三年経ってる。自殺でもおりるそうや」
「あちゃ、保険会社の陰謀説はなしか」
「そんなん考えとったんかい」
「二つ目は考えられる自殺の動機って異動のことだけなんでしょうか?プライベートとかで悩んではったことはないんでしょうか?」
「そういうのは本人でないとわからんもんやろうけどな。強いて言うたら弥生ちゃんのお父さんが認知症を患うとってそれなりに負担やったみたいや。弥生ちゃんはお姉さんと二人姉妹で、交代で世話してるらしい。けどなあ、それかて主に世話してるんは弥生ちゃんなわけで、西本がそれを苦にしてっていうんは持って回った動機やわな」
 ユウやんの目の前に小振りのガラスボウルが置かれた。
「ええっ、これってマンゴープリンか。さすが大将や。明日にでも香港に酔鏡二号店、オープンできるで」
 適当なことを言いながらスプーンを取ると山吹色のゼリーを掬い取る。意外に奥行きのある複雑な味に歓声があがる。
「わりと単調な味になり易いデザートやからな。生クリームからスキムミルクまで乳脂肪分の違う数種類の乳製品を使うて奥行きを出してるねん。ま、その比率に秘密があるわけや。ええと、バリキにはさっぱりしたヘルシーなシューマイや」
緑色のシュウマイが出てきた。
「お、これチャングムに出て来たやつちゃう?白菜のシュウマイ。シュウマイの皮の代わりに白菜使うやつ」
「よう知ってるな。観てたん?」
「弟がな。俺はたまたまその回を観ただけや。けど、これ食べてみたかってん」
 バリキは嬉しそうに箸を伸ばす。
「おっちゃんって本格的なデザートも作れるんや。奥が深い言うかどこで修行したん?」
 シュウマイをポン酢に浸けながらバリキが訊いた。
「ま、見よう見真似いうやつやな」
 不敵な笑いを浮かべて主人はしれっと言う。
「センセには屋台料理っぽくないけど、今日のお薦めや。キムチと鮭のルイベの薄造りを出さしてもらお」
 透明な平皿に薄造りにした鮭のルイベが扇型に盛り付けられている。扇でいえば(かなめ)に当たる部分に細切りにしたキムチがこんもりと盛られていた。トラウトサーモンの薄い紅からキムチの真紅にかけて織りなすグラデーションが美しい。微かに胡麻油が香った。
「ルイベでキムチを巻いて食べてみて下さい」
 主人が説明する。
「これは……。紹興酒を下さい」
 ほとんど叫ぶようにセンセは注文した。主人は頷きながら、しのぶの前に小鉢を出した。
「ポッサムキムチ。別名、『王様のキムチ』と言われるキムチの最高級品や。いつも行ってる市場でセールで出とってめっちゃ安かってん」
「へえ、何が入ってるんやろ。……、ええっ?なにこれ、牡蠣ちゃいます?牡蠣がまるごと入ってますやん」
「今日は牡蠣尽くしにしたろ思うてな。他にも帆立ての貝柱、烏賊、海老、松の実、梨、栗、ナツメなど山海の珍味がこれでもかて入ってますやて」
 主人はパッケージの解説を読み上げながら、センセの紹興酒とバリキの焼酎の支度にかかる。
「俺、思うねんけどな。密室なんて最初からなかったんちゃうやろか?」
 バリキがいきなり本題に戻った。

 

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