今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第六夜 十一月にふる雨
《5》

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「どういうことや?」
「屋上が密室やと考えられてるのは七時に守衛さんが鍵をかけて、その後、鍵が守衛室にずっとあって誰も手を出せんかったからやろ?」
「ああ」
「それは、守衛さんが事件に関わっていないという思い込みがあるからちゃう?」
 誰かが、あっと言った。
「守衛さんが桃太郎トリオの誰かと共犯か、もっと言うたらトリオはそもそも事件に関係のうて、守衛さんが主犯やったら密室なんて最初からないわな。それに通用口の出入りの記録をいくら調べても意味のないこっちゃ。犯人は犯行後もずっとビルの中、守衛室におったんやもん」
「うわあ、なんや今日のバリキさんは一味ちゃいますねえ」
 しのぶが感嘆の声を上げる。
「動機はなんやろ?」
「そこまではわからん。ただ、守衛さんは体育会系出身の人間が多いと言うことは言える。
たとえば―あくまでも、たとえばやけど、七時に屋上の鍵をかけようと守衛さんが屋上に上がって行った。念のために屋上を一回り見回ったら、西本さんがなんぞ怪しい振る舞いをしとったとしたらどうやろ。押し問答の末に、揉み合いになったら、はずみで力が入り過ぎてっていうのはありそうな話や」
「あの……、センセ」
 しのぶがおそるおそる声をかける。
「わかっています。バリキの検査も一緒に……」
「やかまし。大きな声で密談やめい。これが俺の地やて」
 紹興酒と焼酎を二人の前に置きながら主人が口を開いた。
「バリキの意見に似てるねんけど、俺はもうちょっとシンプルに考えてみた。ユウやんの考えでは、その晩西本さんと誰かが口論の末、誤って西本さんが転落した。けど、西本さんを恨んでる人は誰もいてなかったから、その誰かが計画的にことを進めてた可能性は低いし、予めスペアキーを用意してる可能性も低い。せやから屋上を開け閉めする手段はなくて現場は密室やったと言うことやろ」
「その通りや」
「逆に考えたらどないやろ。西本さんを恨んでる人はいてへんかった。けど、西本さんはトリオの誰かを恨んでてもおかしない。だったら、スペアキーを用意したんも、その誰かを呼び出したんも、ことによったらその誰かを突き落としたろとまで考えとったかもしれへんのは西本さんの方ちゃうやろか」
 客達の箸が止まった。誰も何も言わない。
「結果だけ見たら正反対やけど、ホンマは別の誰かが転落して、西本さんは屋上の鍵をかけて逃走する筋書きやったんちゃうやろか。ところが、その誰かは西本さんを突き落としてしまった。そこで、西本さんの置き土産のスペアキーを使って逃走したと考えれば辻褄が合う」
 しのぶの手から割り箸がこぼれ落ちた。
「センセ……」
「わかってます、しのぶさん。検査は三人分必要です」
 センセはきっかりと頷くと、すっくと立ち上がった。それを見たしのぶは、わけもなく『ひっ』と喉の奥で息を詰まらせた。
「私はお二人とは少々違う意見です」
 手を後ろに組むとセンセはいきなり歩き始める。
「トリオの中のある人物は明確に西本さんに殺意を抱いていた。揉み合った末に転落させるなどという偶然に任せるリスクを背負う気はさらさらなかった。もっと巧妙な方法で、しかも自分は一切現場に立ち入らず西本さんを殺害したのです」
 何か意味があるのかセンセは壁のホワイトボードの方をビシッと指差した。
「ずばり犯人は雉似の山内沙恵。二人は不倫関係にあったが最近別れ話がこじれて揉めていたのです」
 まるで見てきたようにセンセは解説する。
「まず彼女は浮気現場を隠し撮りして脅迫材料にします。次に二人の顔がはっきり分かる写真を選んで大きく引き伸ばし竹竿の先にぶら下げて向かいのビルからこちらのビルに伸ばします。これで準備完了。七時少し前に西本さんの携帯に電話を掛けてすぐに屋上に来るように呼び出します。西本さんは既にビルの外に出ていたが慌てて引き返すと屋上に上がっていく。事情が事情ですから、人に見られないよう非常階段などを使って密かに屋上に向かったことでしょう。屋上の戸を開けると日はとっぷりと暮れてビルの十階は嵐のような強風。そして雨。それでも、夜のネオンの中にひらひらと揺れている何かを西本さんはすぐに見付けます。慌てて駆け寄ると不倫現場が大写しになっている写真が頭上で揺れている。なんとか竿からもぎ取ろうと必死で手を伸ばしますが写真には届きそうで届かない。このまま放置するという考えが一瞬頭をよぎりますが、翌日喫煙に来た誰かに見られたら自分は一貫の終わりであることに気付いて愕然となる」
 興が乗ってきたらしいセンセは紹興酒を一気飲みして続きを語った。
「一旦戻って何か道具を取ってこようと扉に飛び付いた西本さんに更なる追い打ちが待ち受けています。鍵が開かない。守衛さんが施錠してしまったことに気付きますが時既に遅し。吹き降る雨と風の中、さながら嵐の中のリア王のごとく半狂乱になる西本さん。激しい雨と風にすっかり体は冷やされ、その時点で西本さんは冷静な判断を奪われてしまっていたのです。『もう少し体を伸ばせば届くんじゃないか?』なんの根拠もないそんな思いに背中を押されて、一刻も早く雨風がしのげる場所へ戻りたかった西本さんはしてはならない体勢で写真に手を伸ばしてしまうのです。雨に濡れたコンクリートはことのほか滑りやすいものです。勢い余って西本さんは転落。山内沙恵がしかけた巧妙な心理トリックはまんまと功を奏したのでした。当の山内沙恵はこの間もオフィスにいてアリバイを確保。会社を退けた後、向かいのビルの屋上に上がり、写真を回収すれば証拠は何も残りません」
 センセは気を持たせるように言葉を切った。
「こうして、彼女は密室に一歩も足を踏み入れることなく彼を殺害するという離れ業をやってのけたのです」
「な、なんやセンセまでいつもとちゃいますやん」
 しのぶは怯えたように立ち上がると戸口ににじり寄った。
「まだ気付かないのかね、しのぶ君」
 いきなりセンセが死神博士の嗄れ声を出す。
「ここにいる者達はみな、我がショッカーが既に改造人間の手術を施しているのだよ」
「いやあ」
 しのぶが金切り声を上げる。
「センセ、なあてセンセ」
 もてあまし気味にユウやんが言った。
「やかましてかなわんし、しのぶちゃんイジるんはやめて」
 センセは素直に『はいはい』と素の声に戻って席についた。
「ええ、続きまして……」
 しのぶもちゃっかり素に戻って席につく。
「あたしもセンセと同じで犯人は計画的に西本さんを殺害したんやないかと思うてます。で、その後密室から脱出せんとあかんのですけど、それは守衛さんが共犯やったとか、西本さんがスペアキーを持ってたと言った邪道ではなく」
 いきなり、主人とバリキの説を邪道で切り捨てる。
「もっとスタイリッシュな方法やったんちゃうかと思うんです」
 猪口を煽って徳利から燗酒を注ぎ直して、しのぶは話を続ける。
「そもそもこの屋上が密室やと思われてるのはビルの中と外を繋ぐ唯一の扉に鍵がかかってるからです。でも実際にはその扉以外は密室どころか壁も天井も遮るもののない広い広い空間が広がってたわけです」
 いつ駄洒落が飛び出すかと固唾を呑んで見守っていた男達はいつもと様子が違うので、些か拍子抜けした。
「格闘の末、西本さんを突き落とした犯人は物陰に隠しておいた気球に飛び乗り……」
 男達が総コケする。
「って、そう来るんかい。準備良過ぎやろ」
 ユウやんがかろうじて立ち直りツッコミを入れる。
「明智君、また会おうってスタイリッシュに去って行くんです」
「ふっるう。どこがスタイリッシュやねん」
「ええっ、やっぱり古いですか?じゃ、じゃあ。胸元のスイッチを押したらババッてハンググライダーが広がって……」
 しのぶは豪快に両腕を広げる。
「悠々と大空を飛んで行く。それを追うメガネの小学生―」
「それ、明智君が江戸川君になっただけやし」
「あ、巧い。座布団一枚」
 男達はなぜかほっとしたような顔になって、口々に大仰な溜息をついた。
「ええ、続きまして……」
「まだ、あるんかい」
 投げやりにツッコんでユウやんはマンゴープリンに専念し始める。
 シュッと布の擦れるような音がする。
「御大にも登場してもらいましょ……」
 しのぶの言葉は途中で掠れて語尾がかき消えた。カウンターに何かが置かれる音がした。
「あの……」
 その声にユウやんはハッと振り返った。髪を胸まで垂らした二十歳の娘が思い詰めたような眼差しできっかりとユウやんを見詰めていた。その手元には銀縁メガネと桜色のリボンが置かれている。奥二重の瞳の上で微かに長い睫毛が震えているように見えた。

 

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