今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第二夜 人魚姫の殺意
《2》

「Gの書斎」に戻る


 

『しのぶちゃん来店時。次回来店可能な日時を確認の上連絡乞う。相談あり』
 電報のようなメールが主人の携帯に入ったのは三十分後のことである。バリキと入れ違いに店に来たしのぶは首を傾げながら液晶を見つめた。
「いつでも良いですけど相談って何でしょ」
 目の前には熱燗の二合徳利と鶏胸肉の南蛮漬けが並んでいる。銀縁メガネが曇りそうな程の燗酒をふうふう言いながら呑む姿は相変わらず中学生の飲酒のように見えて、そこはかとなく背徳感が漂う。
「あれちゃうか?さっきバリキの携帯にかかってきよった電話」
 向こう正面のユウやんが焼酎の湯割りを呑みながら言った。
「ああ、傷害事件がどうのと言っていた」
「ええっ、バリキさん傷害事件起こしたんですか。うわっ、被害者の人かわいそう」
「ちゃうちゃう。バリキの携帯にそういう連絡があってな。口調からして警察関係ちゃうか、あの電話」
「えっ、警察に追われてるんですか?」
「ちゃうちゅうてるねん。弟さんがどうのと言うとったけどな」
「兄弟で捕まらはったんですね。そしたらこのメール刑務所から?うわっどないしょ、相談って脱獄の手伝いちゃいますのん?」
「勝手に実刑判決下しないな」
 まだ何かボケようとするしのぶにユウやんの隣のセンセが口を挿んだ。
「恐らくバリキが相談したい相手は今のしのぶさんじゃない気がします」
「そうそうわしもそれが言いたかってん。相談するんやったら大ボケの方やのうて、シリアスな方ちゃうか」
「ひっどお。あたしはいっつもシリアスですぅ。そやのうてやっぱ脱獄ですわ。あたし刑務所に潜入するために銀行強盗せんとあかんのやわ……。どこの銀行が良いと思います?けど困ったわ。あたし先端恐怖症なんです。タトゥするくらいやったら死んだ方が……」
「勝手に困っとり」
「で、返事どないしょ」
 キリがないと見切って主人が割り込んだ。
「あっ、お任せで良いですと伝えて下さい」
 しれっとしのぶが言う。十分後、バリキから三日後の午後六時にと返事があった。

「事件の捜査は警察の仕事っつたろ」
 改札を抜けたバリキの後ろから不貞腐れたような顔でついてくる(まなぶ)がぼやいた。
「弟を容疑者扱いされて黙っとれるかい」
「容疑者じゃねぇって。ただの参考人」
 面倒臭そうに言いながら学はバリキの後について階段を降りていく。バリキより頭一つ低く見えるが、そもそもバリキが180センチを超えるガタイなので充分標準的な背丈だろう。ノンブランドのTシャツに腰履きしたジーンズ。足元は茶のローファーだ。
「で、どこに行くの?」
 住宅街に入っていくバリキに不安げな声で尋ねる。
「変な宗教団体とかだったら帰るし」
「ちゃうて、俺の行きつけの店や」
 こんな住宅街に―と、言いかけた学の目に赤提灯が映った。
「バリキさん」
 店の格子戸に手を掛けようとしたバリキを後ろから呼び止める声がして振り返る。すぐ後ろに銀縁メガネをかけた中学生くらいの少女が立っていた。少女は馬鹿丁寧にお辞儀をする。桜色のリボンでまとめたポニーテールが白いうなじの上で揺れた。
「しのぶちゃん丁度良かった。今からか?」
「はい」
 バリキ達に続いて彼女も店に入る。バイトにしては若過ぎる。店の娘かなと思った。
「いらっしゃい」
 小太りの店主が顔を上げる。店には二人の先客がいた。ひょろりと背の高い男性とパンチパーマの小柄な男だ。
「お待ちしてましたよ」
「遅いやん」
 口々に声をかけるところを見ると馴染みらしい。
「俺が相談にのってくれ言うたんはしのぶちゃんだけやねんけどな。あっ、しのぶちゃん今日は俺の奢りやから好きなもん頼んで」
 言いながら、バリキがパンチの隣に座ったので学はその横に腰を下ろした。娘はどういうわけかカウンターの隅に座ってしまった。
「そんな私人様の相談に乗れるような知識も経験もありませんし……」
 眼鏡の奥で一重の小さな目がおどおど動く。
「ましてやご馳走して戴ける程、き、期待に応えるなんてとても……」
『無理です』と声は尻すぼみになる。
「かまへんて。話聞いてもらうだけでもええねんから」
「でも……」
「ほんまにかまへんて、何呑む」
 まだ逡巡するしのぶを見て学はイラっときた。とろそうな女やな。俺やっぱ年下は無理。そんな考えがよぎった。えっ?呑む?
「えと、あのじゃあ熱燗をお願いします」
 答えた少女をぎょっとした目で見ながらバリキの肘を突つくと小声で囁いた。
「兄貴、未成年に酒はまずいって」
「やっぱりお前もそうきたか?無理もないけどな、こう見えてしのぶちゃんは二十歳で、れっきとした大人や。お前、四月生まれやから三カ月も年上やねんで」
「冗談」
「しかも大学で事務の仕事してはるOLや。学生のお前よりよっぽど呑む資格がある」
 雪平でつけた熱燗の徳利がしのぶの前に置かれる。意を決したようにしのぶは徳利をぐっと傾けて猪口に一杯目を注いだ。白い縁に小さな唇をあてがうと一息に煽る。微かにその目尻に朱が差したように見えた。
「で、今更どういう相談ですんやろ」
 甲高い声が店に響いた。学は慌てて後ろを振り返ったが無論誰もいない。学は改めてしのぶの口元をまじまじと見つめた。
「どこの刑務所に入ってはるんやろとか。同じとこ入ろ思うたらどこの銀行襲たらええのやろとか。日本の裁判は時間かかるからドラマみたいにはスームースにいかんのとちゃうやろかとか悩んでたのに。とっとと脱獄してきはるんやもん。あたしの立場は……」
「ちょっ、ちょっと待ち。なんの話やねん」
「だから、プリズンブレイク」
「しのぶちゃんは黙っとり。話がややこしくなるだけや。まずバリキの話を聞こや」
 ユウやんが仕切る。
「おおきに。改めて紹介するわ。弟の学や。京大の二回生やで」
「げっ、鳶が鷹言うか、遺伝子操作言うか兄弟でこの差はただごとやないで」
 ユウやんが仰け反る。
「何を専攻されているんですか」
 センセが尋ねる。
「バイオテクノロジー関連を考えてます」
「ええっ、あのゾンビが出てくるゲーム?」
 しのぶが頓狂な声を上げる。
「そらバイオハザードや」
 面倒臭そうにユウやんがツッコむ。
「そか、じゃあキノコ食べて大きくなる」
「マリオブラザーズって離れて行ってるて」
 学は二人の掛け合いには無関心で付け出しの小鉢を箸で突ついている。
「あっ、お前蓮根嫌いやったな」
 小鉢には蓮根をスライスして素揚げにしただけの手抜き料理に見える肴が盛られている。
「騙された思うて一口食べてみ」
 主人がじっと学を見て言った。学はしぶしぶ箸で一枚摘んで口に入れた。蓮根は口の中でさくりと砕けて、独特の香ばしい風味が鼻をついた。
「薄くスライスした蓮根をにんにく醤油に漬けて揚げてるねん。単純やけど旨いやろ」
 主人はにっと笑った。認めるのは癪だったが後を引く味に引きずられてあっと言う間に小鉢は空になる。
「初来店の大サービスや」
 名残惜しそうにしている学の前に主人は同じ小鉢を出した。
「あっ、すみません」
 素直な礼の言葉がするりと口をついて出たのが自分でも意外だった。少し気分が解れた。
「こいつの友達がな、この前の日曜日に自分のマンションで刺されたそうやねん。ところが、頼んない京都府警は第一発見者のこいつを容疑者にしてしまいよった」
「ただの参考人だっつてるだろ」
 面倒臭そうに言って学は顔を上げた。
「すみません。粗忽な兄貴で。俺、別に犯人扱いされたわけじゃないんですよ。まあ、第一発見者ですから、突っ込んだ質問はされたけど。それをただの身元確認の電話なのに身柄引き受けと勘違いして、すっ飛んで来るし。今日も相談にのってくれる人がいるから詳しいこと説明してくれって言われてついて来たんですけど。こんな大げさなことになってるやなんて……」
「まあ、そこはバリキの弟思いから出たことですから」
 ひょろりと背の高い男がやおら立ち上がる。と歩きながら話しだした。
「それに今日のメンバーに私が入っていたのはラッキーだったと思いますよ。申し遅れましたが私大学で物理学を教えていまして皆からはセンセと呼ばれています。ただそれは仮の姿。学内で起こる失せ物、いざこざを快刀乱麻を断つ如く解決する。人呼んで」
 センセの指が学の鼻先で止まる。
「理学棟のホームズ」
「まあセンセの与太は置いといてわしがおるから安心し」
 ユウやんが割り込んだ。
「競馬の神さん呼ばれたわしの勘は天下一品や。この事件の犯人もぴたりと当てたるで」
「いや、当てものじゃないし」
「あのう、めっちゃ基本的なこと聞いて良いですか」
 しのぶが生徒のように手を挙げた。
「はい、しのぶさん」
 すかさずセンセが当てる。
「傷害事件なんですよね。いうことは被害者の方は生きてはるわけで、その人が学さんを犯人やないて言うたら終わりちゃいます?」
 もっともな意見である。
「そうもいかないんすよ。被害に遭ったのは佐橋(さばし)いうやつなんですけどね。正面から腹刺されてかなり危なかったんですわ。今は安定しているらしいけどまだ面会謝絶。それに、警察の説明だと事件前後の記憶をなくしてて犯人のことも覚えてないそうです」
「うわっ、またベタな展開やな。そないなドラマみたいなことホンマにあるんかいな」
「さあ」
 学も首を捻るしかない。
「ともかく集まってもろたんんやし。何があったか説明してくれや」
 バリキに促されて学が口を開きかけた時ロッキーのテーマが鳴り響いた。

 

「Gの書斎」に戻る
inserted by FC2 system