今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第二夜 人魚姫の殺意
《3》

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「おう本田か。……、ええ?グラブ?ちょっと待ってや」
 足元のボストンバッグを探る。
「おっ、ホンマやすまんすまん」
 一頻り話して携帯を切るとバリキは立ち上がった。
「連れのグラブ間違えて持ってきてしもた。ちょっと持って行って来るから始めといて」
 言うだけ言うと店を飛び出して行った。
「すみません。落ち着きのない兄貴で」
「でも、私に言わせれば弟思いだし、気の良い青年だと思いますよ」
「つか、頭堅いっしょ。言い出したら。人の言うこと聞いてないし……」
「確かにな。ちょっと胃が痛い言うただけで病院行けの検査受けろのしつこく言うし、飲酒運転のサラリーマンの件もやりすぎや。いつか大怪我するんちゃうかとこっちがハラハラするわ」
 ユウやんが二人組との悶着を説明した。
「あーあ。相変わらず馬鹿じゃん」
 言葉とは裏腹に学は酸っぱいものでも口に含んだような顔になった。
「俺が二歳の時、お袋が飲酒運転の車に撥ねられて死んだんですわ。気持ちはわかるけど誰彼かまわず喧嘩売るような真似してたら身がもちませんよね。んとに、馬鹿だ」
「お父さんは健在なんですか」
「胃癌で死にました。医者嫌いで検査受けた時は手遅れだったそうです」
 どうやら先日バリキは立て続けにトラウマを引いてしまったらしい。
「ま、そう言われたら病院行け言われたことかて悪気があったわけやなし邪険にしたわしの方が悪かってんけどな」
「けど、悪気がないって一番(たち)の悪いキャラだと思いませんか?親父が死んだ時兄貴は二十歳で高専卒業したばかりでした。親代わりになったつもりかしらんけど、俺の学資捻出するために高いギャラ取って試合の助っ人のバイトやってみたり、今度の事件でも子供扱いされて、悪気がない分正直しんどいです」
 一頻り言って学はハッと顔を上げた。
「すみません。初対面で愚痴聞かせてしまって。でも、喋ったら少しすっきりしました」
 ジョッキを空にして二杯目を頼むと学はメニューを探した。主人の後ろのホワイトボードには

 お品書き
 春が来た

 と書かれていた。
「今日は春らしいもんをいろいろ揃えましたいうこっちゃ。お勧めで一品出させてもろてええかな」
 主人の言葉にお願いしますと学は答えた。ユウやんが揚げ物を、センセが何かさっぱりしたものを、しのぶが魚料理を頼んだ。
「脱線してすみません。事件の話をします」
 自己紹介をした時はふざけたり冷やかしていた客達が学の愚痴には口も挿まず黙って聞いてくれた。バリキと常連達の信頼関係が学にも伝わってきて学は彼らに好感を持ち始めていた。
「ことの起こりは、この葉書なんです」
 学は後ろに置いたリュックから一枚の葉書を取り出した。客達が集まってきて覗き込む。
「クセのある字やなあ、ええと。京都市左京区……、えっ、松崎って?」
「俺らの名字ですけど。あれ?兄貴から名字聞いてませんか?」
「いや、みんなバリキとしか呼ばへんから」
「差出人の住所も左京区やな。名前は佐橋……、下の名前、クセがきつくて読めんで」
「あのー」
 ユウやんの後ろで背伸びをしながら覗き込んでいたしのぶが片手を挙げていた。
「はい、しのぶさん」
「裏側に差出人の方の住所と名前が印刷されてるんちゃいます?」
「なんやて、どれどれ」
 ユウやんが葉書をひっくり返す。
「あ、ホンマや。なんやこれ引っ越しましたのお知らせかいな」
 葉書の裏側にありふれた転居案内の文面が印刷されていた。
「ええと、『さばしさとる』でええんかな。佐橋ってさっき言うてた被害者か?」
 ユウやんは名前の覚えが速い。
「裏が印刷やてようわかったな」
「へへへ」
 しのぶが妙な笑い方をした。
「あっ、またしょうもないこと言う気やろ」
「ちゃいますて。ただの勘ですけど、表書きが手書きやからダイレクトメールではないなあと考えて。最近葉書をもらうこと少ないじゃないですか。お年賀や暑中見舞いの頃でなかったら『結婚しました』か『赤ちゃん生まれました』か『引っ越しました』くらいかなあと。で学生さんやったら『引っ越しました』の可能性が高いんちゃうかと思うたんです」
「お、マトモやん」
「どうもギャグはスランプで……」
 残念がるしのぶを放っておいてセンセが尋ねた。
「で、この葉書が事件に関係するんですね」
「いえ、ぜんぜん関係ありません」
 吉本新喜劇なら総コケするようなボケ方である。
「ようわからんなぁ。関係ないんやったら、わしらに見せた意味あらへんのちゃうん」
「まあ雰囲気作りつか、サスペンス劇場とかだとそれらしい小道具が出てくるじゃないですか。現場の遺留品とか謎の手紙とか。警察がそんなん貸してくれるわけないし。手ぶらも味気ないしなあって」
 やっぱりバリキの弟やなどと口々にぼやきながら常連たちは自分の席に戻った。
「けど、この葉書が来てなかったら俺が事件に巻き込まれることもなかったというのはほんとです」
 言って学は話し始めた。
  *
「おう、なんぞ食うもんないか。今月金欠でな、食料が底ついて……」
 悪友の篠原が熊みたいな低音で唸りながら遠慮なしに扉を開けて入ってきた。
「ふぉい……」
 学は振り返るのも億劫気に生返事をした。ゆるゆると振り返った学の情けない目を見て来る場所を間違えたと悟ったのか篠原はみなまで言わず口を噤んだ。
「しかし、きっちゃない部屋やなあ。ちっとは片付けや」
 篠原は床に散乱するレポートの束や参考書を掻き分けて自分の座るのスペースを作った。
「どこかに食料でも残ってないかいな」
 レポートをひっくり返して覗く仕種がいじましい。
「ん?なんやこれ」
 篠原は参考書の下から一枚の葉書を引っ張り出した。
「ええと、引っ越しました……。なんやお前、佐橋と仲良えのんか」
「ふえ」
 相変わらず生返事の学は葉書を覗き込んだ。
「ああこれか、まるきり知らん。こいつ誰やって首ひねってたとこや」
「やろな、学科は一緒やけど地味で存在感ないもん。受講は模範的で授業をサボったりはせんから、いっつも教室にいてるんやけど目立たへんねん。……、そう言えば俺のとこにもこの葉書来とったな。もしかして学科の連中全員に出したんかいな。律儀なやっちゃ」
 学科の学生は四十人ばかりいる。律儀というより気の回し方がズレている気がする。
「お近くにお越しの際には是非お立ち寄り下さい―か。」
 常套句の文面を読んで篠原がにっと笑った。
「ほな、立ち寄らせてもらいに行こか」
 笑っている顔が既に意地汚い。
「って、この佐橋のこと知らのんちゃうん」
「これからお友達になればええやん。山野の話によると佐橋が誰かと喋ってるとこてほとんど見たことないらしい。社交性限りなくゼロや」
「あのな。厚かましいにも…」
「学、その社交性のない奴がこうやって積極的にアプローチしてきてるんやで。その気持ちを汲んでやらんでどうする。それにな、佐橋はどこぞの会社役員の御曹司やそうや」
 熱弁をふるう篠原に引き摺られるようにして学は下宿から出た。掃き残された桜の花びらを踏みながら、葉桜並木の下を二人は歩いて行った。
  *
「で、俺は携帯持ってないから篠原にかけてもらって佐橋がいるのを確かめた上で、今から遊びに行くって押しかけたんです」
 学は鰆の焼き物をほぐしながら言った。西京焼きのアレンジで西京味噌に木の芽が和えてある。口に入れるとすっと冷たくなるような独特の風味が小気味良い。和風ペパミントと言ったところか。
「すまん、すまん。ダッシュで帰って来てんけどどこまで話した?」
 そこへバリキも戻ってきたので学は続けた。
  *
「ヴィラ・サンガって、ここでええよな」
 二人は巨大な高層マンションの前で立ちすくんでいた。
「2609号ってホテルの部屋番号みたいなやから変やなあと思ってたんやけどここの最上階やんか。ホンマ入るんか」
 学は既にマンションに気圧されて腰が引けている。目の前にはオートロックの自動ドアが立ち塞がっている。
「いや物は考えようや。晩飯一回くらい奢ってもろても心苦しうない気がしてきた」
 篠原は何の躊躇いもなくインターフォンを鳴らした。暫く間があって、
「はい」
 と、なんだか頼りない返事があった。
「篠原です、同じ学科の。引っ越しましたの葉書もろたんで遊びに来ました」
「恥ずかしいやっちゃな」
学が呟く。
「あ、ああ、今開けます」
 ふためくような声に続いてすっと自動ドアが開いた。躊躇いなくエレベーターに向かう篠原に続いて学はマンションに入った。

 

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