今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第二夜 人魚姫の殺意
《4》

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「遊びに来てくれたのは、君たちが初めてなんだ」
 おどおどびくびくした声音で、それでも嬉しそうに佐橋は迎え入れてくれた。なるほど人見知りが激しそうだなと学は思った。しかし、部屋の中身も圧巻である。3LDKで無駄に広い。サイドボード、液晶テレビ、オーディオ一式、でかい冷蔵庫にでかいキッチン……こいつ所帯持ちか。
「食べるものがほとんどないんだよね。お酒はあるんだけど」
 言いながらキッチンに回り込む佐橋に「お構いなく」と言いながらいそいそと篠原が付き従う。
「おっ、チーズやらハムやら良えもんがぎょうさんあるやん」
「うん。でも僕、料理全然だめなんだよ」
「ハムやチーズに料理はいらんやろ」
 居酒屋でバイトをしている篠原が手際よく大皿に盛り付けて即席のオードブルを作った。
「これだけだったらお腹空くよね。そうだ、ピザ取ろうよ。好きなの選んで」
 ピザ屋の広告を二人に渡すと、佐橋はサイドボードの上のコードレスホンに手を伸ばした。
「あっ、ピザの出前をお願いします。ええと、トリプルミートスペシャルのLサイズと……、あ、ちょっと待って下さい」
 広告を左手に持って注文をする佐橋はそのままキッチンに回って冷蔵庫の脇に貼ってあった小さなメモを取ってきた。
「住所は左京区……」
 電話を終えた。佐橋はメモを戻しながら「まだ、住所が覚えられないんだよね」と、はにかむように笑った。
ガラステーブルに大皿を置き、サイドボードから出されたスコッチでグラスを満たして三人は酒宴を始めた。
「けどなんやな。こないでかい家に住んでて落ち着かんことないか」
 ショットグラスでストレートのバランタインを煽る篠原の舌は滑らかである。
「うん。でももう慣れちゃったかな」
「そっか、引越しましたの葉書もろたん3月の末やもんなあ。篠原とさっき話しててん。あの葉書って学科全員に送ったんかなあて」
「うん。それが礼儀かなって。でも、ほんとに遊びに来る人がいるとは思ってなかったからびっくりしちゃった」
 学と篠原は曖昧に笑った。水割りをちびちび舐めている佐橋の口調は少しずつ滑らかになってきたようだ。
「けどここ、家賃が馬鹿にならんやろ?やっぱ親父さん持ちか」
「父さんは関係ないよ。元々親の世話になりたくなくて引っ越したんだから。家族にはここの住所も知らせてないし。一昨年、お婆ちゃんが亡くなってね。僕も遺産を相続したからそれで賄ってるんだ」
 佐橋はウィスキーを次ぎ足しながら言う。
「両親と言っても今の父さんは母さんの再婚相手なんだ。本当の父さんは小学生の時に病気で死んだ。今の父さんには息子が二人いて再婚した時いきなりうちは五人家族になったんだ。父さんはめったに家にいないし、いても会話のない人なんだよね。義兄さん達同士は仲良くしてるけど僕にはよそよそしくて滅多に話しかけてこない。母さんもあの人達に遠慮してるんだろうけど、壁一枚向こうから話しかけてくるみたいな感じ。僕、家の中に居場所がなくなっちゃったんだ」
「けど、お互いに遠慮のし合いっこしてる言うこともあるんちゃう。もうちょっと歩み寄ってみたら……」
「君はあの人達のことを知らないからそんなことが言えるんだよ」
 佐橋はぼそっと言って俯いた。
「ま、誰にかて触れられたくないことはあるわな」
 学が取りなして大学の話題に切り換えた。厭味な教授に対する鬱憤、来週の試験のヤマ、篠原のバイトの役得、コンパでの失敗話。佐橋はどうも第一印象で損をしているだけだと学と篠原は気付いた。サシで呑めばごく普通の男だった。
「おわっ」
 トイレに立った篠原が洗面所で妙な声を上げた。『どないしたん』学と佐橋が覗き込む。
「どうでもええこっちゃけど、この歯ブラシ勿体なくないか」
 見ると空っぽのゴミ箱にどう見ても下ろして間もない歯ブラシが一本転がっていた。
「あ、それは色が気に入らなくて買い直したんだ」
 赤い柄の歯ブラシから目を上げて洗面台を見ると色違いの緑色の歯ブラシが立っていた。
「ま、人それぞれやわな」
 としか、言いようがない。
「それだけちゃうねん。見たって」
 洗面台の横を見るとコードレスホンが立ててある。篠原が指さす先を見るとユニットバスにも電話があった。
「これはいらんのちゃうん?」
「でも、お風呂に入ってる時に電話がかかってくるかもしれないし」
 いらん心配やと二人は呆れた。
「ちなみにそっちの部屋は何?」
「そこは開かずの間。物置に使ってて普段は鍵をかけてる」
 照れくさそうな顔で佐橋はしれっと言った。やっぱり普通の男とは言い難いか―。
  *
「結局、ボトル二本空けて、その晩は佐橋の部屋で雑魚寝したんです。あっ、何かウィスキーあります?」
 話を中断して学は主人に尋ねた。
「豪快なことしよるなぁ。初めて行ったクラスメイトの部屋でそこまでたかるか」
 ユウやんが呆れたように言う。
「それだけ盛り上がったんすよ」
「バーボンやったらあるな。メジャーやないけど旨いで」
 主人が冷蔵庫からボトルを一本出した。
「クレメンタインっすか」
 学がラベルを指でなぞる。
「クセが強うないから飲み易いと思う」
 学はシングルのストレートで頼んだ。主人はショットグラスに1フィンガー注ぎタンブラーにチェイサーを入れて添えた。
「おっちゃん、俺も同じやつとなんか合いそうなアテ頼むわ」
 バリキが言った。
「で、それからどうなったんですか?」
 センセに急かされて学は続きを話し出した。
「そこまでご馳走になってお返しなし言うわけにもいかんし、次の日曜に予定してた女子大の子らとのハイキングに誘ったんすよ。丁度、男が一人足りなくて、アテはあったけどまだ声かけてなかったし」
「ハイキングか、ええ響きやなぁ。なんや、コンパというと不純異性交遊って感じやけどハイキングっていうたら青春て感じがするわ」
 ユウやんが妙な感想を述べる。
「で、佐橋に話したらえらい乗り気ですぐに話は決まったんです」
「このバーボン旨いやん。お前にはもったいないわ。その女子大の幹事ってもしかしてあの娘か?この前言うとった(はるか)ちゃん」
「やかまし」
 正月に戻った時、酔った勢いで本命をばらしたのは近年稀に見る痛恨事である。バリキは面白がって意図的に呑ませたようで学は何を喋ったかまるで覚えていなかった。
「えっ、学さん好きな娘がいてはるんですか?ええなあ、青春やなあ」
 しのぶが言うと近所のおばちゃんの世間話に聞こえる。
「ともかく、次の日目が覚めたら実はもう夕方近かったんですけどそれから佐橋のマンション出て帰りしなに遥ちゃんに佐橋のこと電話で伝えときました」
 学は気を持たせるようにウィスキーを一口呑んだ。
「ところが当日の朝になってアクシデントの応酬くらったんですよ」

 

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