今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第二夜 人魚姫の殺意
《6》

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  「バリキは何か意見はないのですか」
 天ぷらをあらかた片付けたセンセは名残惜しそうに天つゆで冷酒を呑んでいる。
「そんなん考えられるくらいやったら相談もちかけてないて」
「わし、思うんやけど」
 ユウやんが筍を口に入れたままもごもご言った。
「これって単なる強盗未遂事件なんちゃうやろか」
「オートロック付きのマンションやで。そう簡単に入られへんやろ」
「学くんかて入れたやん。ようある話やけどコンビニから佐橋くんを尾けてきた犯人が住人を装ってエレベーターに乗り込むわけや。で、別の部屋の戸を開けるふりして佐橋君が自分の部屋を開けた途端一緒に押し入って『金を出せ』言う寸法やな。二人は揉み合いになって犯人のナイフが佐橋君の腹に刺さってしもうた。泡喰った犯人は何も盗らずに逃げたというわけや。間違いない、わしの勘がこの事件は単純な物取りやと言うてる」
「あっ」
 学が声を上げる。
「な、説得力あるやろ」
「いえ、言い忘れてたことがあります。凶器は佐橋の脇に転がっていたんで俺も見たんです。あれはキッチンにあった包丁です。ですから、犯人は佐橋より先に部屋に入ってないとおかしいし、部屋の間取りやどこに何があるか分かってる人間だと思います」
出端を挫かれてユウやんはうーんと考え込んでしまった。すぐ隣のセンセがすっくと立ち上がる。
「所詮、競馬の勘ごときではこの事件は荷が重すぎます。理学棟のホームズの推理が炸裂する時が来たようですね」
 意味不明の日本語で、高らかに推理宣言するとセンセは手を後ろに組んで歩き始めた。
「凶器や犯行状況からして犯人は普段からこのマンションに出入りしていて事件当日も佐橋君が躊躇なく部屋の中に招き入れる人物でなくてはいけません。少なくとも今我々が知り得た情報の中ではそういった人物は四人だけです。佐橋君のご両親と二人の義兄。家族の中に犯人がいることは間違いありません」
「けど、学が言うとったやん。引っ越し先は家族へも知らせてないて」
 チッ、チッ、チッ。センセが顔の前で人指し指のワイパーを振る。
「そんな高級マンションに保証人なしに入居できるわけないでしょう。しかも佐橋君は二回生で今は四月ですよ。恐らく未成年だ」
「病院で……」
 学が割り込んだ。
「佐橋の家族の方と少し話をしました。佐橋が家の中で孤立してる言うのは、やっぱり佐橋の思い込みいうか、一人相撲だったみたいです。四人とも普通の人らで、もちろん佐橋が妙に構えてるのも気付いていて何年もそれをほぐそうと苦労されてたみたいでした」
「そういう腫れ物に触るような気遣いは時に人の心をますます頑なにしてしまいます。で、気遣う方は『どうして私の気持ちがわからないんだ』と気遣いを憎悪に変化させることもまたありがちなことです」
 したり顔でセンセが頷く。
「そういうことじゃなくて。家族とのしこりは勘違いみたいでしたけど、引っ越しを知らせてなかったのはほんとだったんですわ」
 センセの足が止まった。
「そのお婆さん筋の親戚が保証人になってくれてたみたいです。佐橋はえらいお婆ちゃん子だったみたいで相談を持ちかけたら『悟はんももうすぐ二十歳や。一人立ちして当たり前でっしゃろ』とかいうわけのわからん理屈で実家には内緒で。どうも確執があるのは、佐橋のお母さんとその親戚の方みたいです。なので、佐橋の家族は誰も新しい住所も知らないしもちろん行ったこともないそうです」
「しかし、それは表面的なことでしょう」
 センセは粘る。
「その親戚が後から家族に伝えたということは充分考えられる」
「それはどうやろか」
 センセの反撃を黙って聞いていた主人が口を開いた。客達は普段は料理以外のことでほとんど口を挿まない寡黙な店主の突然の乱入にまじまじとその口元を見つめた。
「事件があったら、まずその身内は徹底的に調べられる。『息子の引っ越しのことは知りませんでした』いうのが嘘やったらすぐバレてしまうやろうし、バレたら後ろ暗いことがあるんちゃうかて、もっと追求されるで。事件に進展がないこと自体、家族の方が言うてはることがホンマや言う証拠やないかな」
 ユウやんに続いてセンセが、うーんと考え込みながら席に戻らざるを得なかった。
「あくまでも可能性の話やから、気い悪うせんと聞いてや」
 主人が生真面目な口調で続けた。
「篠原君が金曜の晩に君んとこに遊びに行ったんは偶然やろか?佐橋君の葉書を見つけたこと、成り行きで佐橋君にご馳走になったこと、成り行きでハイキングに誘ったこと、日曜の朝にいつまでも来うへん佐橋君を気にして君がマンショまで行ったこと、結果佐橋くんが早う発見されて犯行時刻が絞られたこと。これ全部、偶然やろか?」
「ええっ?篠原犯人説っすか?」
「もし、篠原君が佐橋君になんぞ恨みでも持ってたとしたらどうやろ。今言うたことは偶然でもなんでもなくて篠原くんが書いた筋書きやったとは考えられへんやろか」
「いやいやいや、篠原とは一年の頃からの付き合いですけどそういう緻密な計画が練れるキャラやないですて」
 戸惑いながら学が言う。
「いや計画的である必要はないねん。どれか一つでも予定が狂ったら決行を見送れば済む話や。筋書き通りになってもならんでも事件が起きるまでは何の問題もない。ポイントは警察に犯行時刻を絞らせること。アリバイができて助かったんは篠原君も一緒やで」
「けどなあ、そもそも金曜の夜、篠原と佐橋はまるで初対面でしたよ。ドア開けた瞬間に佐橋がきょとんとしてましたもん」
「けど、おっちゃんの言うてることにも一理ある気がするなあ」
 バリキが考え考え言った。言いながら三杯目のバーボンを注文する。
「佐橋君に覚えがないだけで、篠原君の方はよう知っとったということかもしれん」
「ま、証拠はないけど一つの可能性ですね」
 学もあまり深刻に考えるのは止めたようだ。
「けど、サスペンス劇場のオチとしては一番盛り上がるんちゃいます」
 しのぶが嬉しそうに言う。
「オチっていうなや。オチって」
「じゃあクライマックス?」
 男達はなんだか馬鹿馬鹿しくなってきて誰ともなく「あーあ」とため息をついた。
「やっぱホンマの事件の謎を解くいうんは無理があるわな。しのぶちゃんにはちょっとは期待しててんけど……」
「いや、まだ分からへんで」
 ユウやんが手に持ったコップをカウンターに置いた。
「ちょっと実験してみいへんか?」
 悪巧みをする目付きでユウやんは立ち上がるとカウンターを回り込んでしのぶの背後に立った。
「えっ、なんですのん」
 しのぶが忙しなく交互に首を振ってユウやんを振り返ろうとする。
「あっ、UFOや」
「えっ、どこどこどこ?」
 ユウやんが指した正面を向いたタイミングを図ってユウやんは素早く銀縁メガネを両手で摘んで外してしまった。そのメガネを持った指先で器用にリボンの結び目を摘むとシュッと音を立ててほどく。意外に長い髪が無造作に解けてしのぶの顔を覆った。
「あっ」
 しのぶが声を上げる。顔の前にふっさりとかかった髪をしのぶは強く首を振って左右に振り分けた。思いの外に大きな奥二重の瞳を焦点を合わせようとするかのようにしのぶは何度も瞬かせる。
 学は生まれて初めて開いた口が塞がらないという体験をした。一瞬前まで目の前にいた中学生は消え失せて同じ席に二十歳の娘が座っていた。ポニーテールをほどいた長い髪は緩いカールを巻いて胸元にかかっている。髪を後ろでまとめて強調されていた丸顔が今は頬にかかる髪で面長に見える。
「あの……」
 しのぶが何か言いかけたが、畳みかけるような学の言葉にかき消されてしまった。
「今、付き合ってる人とかいてます?初対面でこんなんいうのも照れ臭いけど、俺、マジっすから。コクってもいいですよね?」
「あのなあ学ちゃん、そういうコーナーやないから」
 ユウやんが釘を差してしのぶに向き直った。
「しのぶちゃん、なんぞ意見ないか?」
「あの……、警察ではもう犯人が分かっているんじゃないでしょうか?。あとは証拠を固めるだけという段階にきてるんじゃないかなと思うんです」
「しのぶちゃんも犯人がわかってるんか?」
 代表して主人が聞いた。しのぶはこくりと頷いた。
 

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