今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第五夜 籠城ゲーム
《2》

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「勘定を頼む」
言って男は立ち上がる。と、間合いを計ったように格子戸がガタガタ揺すられた。はっと男は全身を緊張させて格子戸に向かって身構えた。そのしなやかな動きは百戦を錬磨してきた武闘家のようだった。
「あちゃ、一番はやっぱり甘かったか」
 お気楽な声を出しながらパンチパーマの小柄な男がジャンバーのポケットに手を突っ込んだまま入ってきた。男はなお用心深く身構えている。
「えーと……」
 言いかけてユウやんはようやく異様な雰囲気に気付いたらしく言葉を切った。
「ユウやん久しぶりですやん」
 しのぶの全く空気を読まないお気楽な声が怪我の功名になったようだ。男は常連かという顔になって全身を弛緩させた。
「勘定を頼む」
 改めて男が口にするのと同時に店の電話が鳴り響いた。ありふれた電子音もこういう場面ではすこぶる心臓に悪い。センセとしのぶは顔を引き攣らせた。
「はい、酔鏡です」
 主人は目で男を待たせると素早く受話器を取って商売人の声を出した。
「はい、そうですけど。……。ええと」
 主人が男の方を見遣る。
「いてはります。代わりましょか?……。伝えてくれて。もしもし?もし……」
 電話は一方的に切られたらしい。
「おたくさんに伝えてくれやそうです。『居場所はバレてる。大人しく顔出せ』言うてはりましたで」
 男は大きく舌打ちをして革張りの丸椅子に座り込んだ。椅子が悲鳴のような軋みを立てた。
「バーボンのお代わりをくれ」
 男はぶっきらぼうに言って空のグラスを振った。ユウやんはしのぶの隣に腰を下ろすとチラチラ男の方を見遣る。
「なんぞ困ったことでも起きてはるんですか?良かったら……」
「ああっ」
 ユウやんの声を遮るようにしてにしのぶが大きな声を出した。
「さっき電話で隠し金がどうのって言うてはりませんでした?使い込みって、もしかして横領とか……」
 店の空気が一気に凍りつく。
「でも隠し金っていうくらいやからヤバい系のお金とかとちゃいますのん?……って、あれ?どないしはったんです?」
 言うだけ言ってしのぶはようやく客達の表情が引き攣っていることに気付いた。
「横領とは人聞きが悪いやないか」
 男はドスの利いた声で言った。三白眼を細めてしのぶを見遣る。
「ちょっと運用したろ思うただけや。何倍にもして返すつもりやってん」
「いやいやいや……」
 あまりにもベタなセリフにツッコミを入れかけたが、男の目がしのぶを黙らせた。男は出されたウィスキーを煽ると携帯電話を取り出して耳に当てた。
「おう、俺や。どうもヤバそうや。……。資産価値が五分の一に目減りしたから無理もないんやけどな。暫くほとぼりが冷めるまで隠れたいねん。どこぞ宿を押さえてくれ。……。あ、あと店も張られてる可能性がある。エキストラに十人ばかり寄越してくれ。……。そう。住所か?」
 男は灰皿の中のマッチを取り上げて住所を告げた。
「……。ああ、待ってるで」
 電話を切ると男はまたグラスに口をつけた。
「しかし、聞き捨てならない話です。その話が本当でしたら……」
 センセが切り出した。
「警察にでも通報するか?」
 男がセンセの方を面白そうに見遣りながら言葉を畳みかけた。
「好きにしいや。けど、後で困ったことになっても俺はよう責任持たんぞ」
 脅し文句とも取れる言いようにセンセは言葉を詰まらせたがそれでも気丈に眼鏡の奥から睨み返した。
「まあ、今からでもな遅ないし当事者同士で話し合うんが先ちゃうかな。誠意を持って謝ったら相手かて……」
「そんなもんが通用する相手やない」
 ユウやんの言葉を打ち消すように男はうっそりと言った。
「さよか。けど、交渉事が必要やったらいつでも言うて。わし、こういうトラブル事の解決を手伝うんが仕事やねん。あ、ユウやんいいます。大将、めっちゃ腹減ってるねん。なんぞ魚料理出して。あと焼酎の湯割りな」
 いつもと変わらないユウやんの口調にセンセも毒気を抜かれたように首を振った。
「ほい。お待たせ。銀杏のかき揚げ天蕎麦や。銀杏はまだ走りやからほくほくして旨いで。お酒呑まはるやろうから汁はごく少なめにしてある。それからこれも走り言うんかな。暦酒で秋晴れがもう出てるねん。味がしっかりしてるから料理に負けへんと思う」
 センセの前に小振りの丼とぐい呑みが並ぶ。
「あたし野菜でちょこっとお腹の膨れるもん下さい。けど、なんでそないなことしはったんです?」
 注文のついでのようにしのぶが聞きづらいことをさらっと聞く。
「家族を―喜ばそう思うてな」
「いやいや、そないなことしたかて家族は喜びませんて。お母さんが泣いてるぞお」
「お袋はとうに亡くなった」
「じゃあ、奥さんが……」
「キレることはあっても泣かん」
「でも、あなたの輝かしい前途に……」
「俺もう六十前や」
「ええと……」
 口籠もった。説得のネタがなくなったらしい。
「あ、しのぶです」
 男に目顔で聞かれた気がしたのでしのぶは名前を告げた。
「俺か?」
 男はしのぶの物問いたげな視線を感じて口を開きかけてなぜか逡巡した。
「……。そやな、テリーとでも呼んでくれ」
 カウンターの三人がノリ良くかくんとなる。
「いやいやいや、どう見てもテリーという顔ちゃいま……」
 睨まれてしのぶが慌てて口を噤む。
「ゆ、由来は何ですのん?」
 あまりのギャップにわけもなく吃りながら隣のユウやんが訊いた。
「テリー・サバラスって知らんか?」
「ああ、あの禿げ頭の……」
 睨まれてしのぶがまた首を竦める。どうもテリーは人を睨む癖があるらしい。
「そこを強調すな。刑事コジャックやってたやろ。あの渋い声にそっくりやて皆言うねん」
「それはテリーと言うより吹き替えの森山周一郎に似ているというべきですな。あ、センセと言います。大学の物理学教授をやっています」
 空腹だったと見えてあらかた蕎麦を片付けたセンセが次の注文にかかる。
「私も何か魚で揚げ物をもらえますか。あと、秋晴れのお代わりを」
 常連たちと主人のやりとりを聞きながらテリーは目を泳がせた。目敏く気付いて主人が声をかける。
「あ、うちはレギュラーメニューてないんですわ。何ぞこんな感じのもんが食べたい言うてくれたら作ります」
 それでもあぐねているテリーを見て、
「そやな……。ちょっと変わった餃子を出しましょか」
 と主人が助け船を出した。テリーが頷いたので主人は棚から小振りの蒸籠を下ろす。
「ああっ」
 不意にしのぶが頓狂な声を上げたのでテリーを含む客たちはぎょっとして振り返る。
「心霊現象のことすっかり忘れてました。聞いてください。あたし本物の心霊写真に写ってしまったんですわ」
 意味不明の日本語を口にしながらしのぶは手提げ鞄に手を突っ込んでごそごそ捜し物をした。
「あったあった。これです。見て下さい。これあたしが職場の友達と六甲山に登ったときのんですけどね」
 しのぶがカウンターに置いた写真を男達は覗き込んだ。六甲山ロープウェーの降車場を背景にしのぶと同年代の娘が写っている。写真の中のしのぶはもちろん素面(しらふ)なのだろう。少しおどおどした目付きでカメラに向かってピースサインを送っている。一通りしのぶともう一人の娘の周りを確かめてからセンセはしのぶに尋ねた。
「どこに写ってるんでしょう?肩に人の顔や手が写ってるわけでなし。背後の岩影が人の顔に見えるわけでなし……」
「いややわ、センセ。そないなゲテモンの心霊写真とちゃいます。ここにはっきりと写ってるやないですか」
 ゲテモノではなくむしろ王道だろうと思いつつ男達はしのぶの指す箇所を見た。しのぶの左手後方、少しピントがぼけているが赤いワンピースを着た女性が写っている。
「えーと、この女性が実は亡くなっていると?」
 センセが尋ねるとしのぶが目を剥いた。
「ひっどお。好美先輩は元気に生きてはりますよ。勝手に殺さんといて下さい」
 話が見えない。何やら不毛な予感を抑えつつ、センセは訊き直した。
「けどこれは心霊写真なんですよね」
「そう言うてますやん」
「それで、その赤いワンピースの女性が心霊現象なんですよね」
「はい。その通りです」
「でも、その女性は生きてるんですよね」
「生きてますて。さっき、失礼しますって大学出るときに挨拶してきましたもん」
「で、それのどこが心霊なのでしょう?」
 暫く間があった。
「ああっ」
 大きな声を出してしのぶは自分のおでこをぺしゃりと叩いた。落語でくらいしかお目にかからない仕種だ。
「すみません。説明不足でしたわ。その写真好美先輩の生霊なんです」
 その野菜、かぼちゃなんですと言うくらいの気安さで言って、しのぶは又手提げの中をごそごそ探し始めた。
「あ、めっちゃ気になってたんですけど」
 探し物をしながらしのぶがテリーに尋ねる。
「エキストラって何ですのん?ほら、加藤さんとの電話で話してはった」
「盗み聞きかい」
「人聞きの悪いこと言わんといて下さい。聞き耳立てとっただけです」
 意味は同じである。
「この店も見張られてる可能性があるからな。手の空いてるやつを十人ばかりここに来るよう手配してん。振りの客を装うてバラバラっと入らせるやろ。小一時間程で引き上げる時にそいつらに紛れて脱出しよう言う作戦や。頭良えやろ」
 自慢げに話すテリーにしのぶは遠慮なく手を大きく振った。
「いやいや、住宅街の中の居酒屋ですよ。短時間の間に十人以上お客が入って行ったらあからさまに怪しいですやん。ここを見張ってる人は絶対マークします。ましてや、それが固まって店から出て来たら分かり易過ぎです」
 にべもなく言ってしのぶは猪口を煽った。鞄を探る手はいつの間にか止まってしまっている。
「……一理あるな。よっしゃ。出る時もバラや。二、三人ずつ時間差で出てそのどれかに紛れて……」
「いや、その人数で出たら目立ってしゃあないわ。バレバレ言うやっちゃ」
 ユウやんがテリーの巨体を見ながら言った。
「……この作戦は中止やな」
 言ってテリーは携帯電話を取り出す。リダイヤルを探る指を店の電話の電子音が遮った。

 

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