今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第五夜 籠城ゲーム
《3》

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主人はちょっと身構えて受話器を持ち上げた。
「はい。酔鏡です。……はい?テリーさん?……、……。もし、もしもし」
 また一方的に切られたらしい。
「加藤の身柄は押さえた。もう逃げ場はない。悪あがきは止めて顔出せ、やそうです」
 テリーは三白眼を細めて主人の言葉を聞いていたが、やおら立ち上がると素早く店の入口に移動して格子戸の前で身を屈めた。
「お嬢ちゃん……。ええと、しのぶちゃんか。手鏡持ってないか?」
 言われたしのぶは、手提げ鞄に手を突っ込んでしばらく探っていたが、やがて赤い背の丸い手鏡を取り出してテリーの傍らに寄った。
「えらい古風やな」
「お母さんの形見です」
 渡された赤い鏡をまじまじと見詰めながらテリーは『おおきに』と呟くと身を低くしたまま鏡を差し上げて外の様子を探った。
「ああっ」
 再度、甲高い叫びを上げるしのぶに客達がまた振り向く。
「こんなことしてる場合やなかった。心霊写真ですわ」
 テリーは我関せずと脇の小窓を細く開くと鏡をかざして腕を伸ばした。
「あれが生霊やいう決定的な証拠があるんです」
 席に駆け戻ったしのぶは再び手提げ鞄の中を探る。
「親爺、ごちそうさん。俺、行くわ」
 声に三人が振り返るといつの間にかテリーがしのぶの傍らに立っていた。壁からコートを取って羽織ると札入れから札を出す。
「騒がしうした詫びや。釣りは取っといてくれ。又、落ち着いたら顔出す。だいぶ先かもしれんけどな」
 テリーはしのぶに手鏡を渡しながら『ありがとう』と言った。
「ええっ、もう行かはるんですか」
 名残惜しげにしのぶが言う。
「それらしいのはおらん。近所のおばちゃんが立ち話してるくらいや。場所変えるんやったら今しかない」
 言いながらテリーは素早く格子戸に向かいかけて、ふと立ち止まった。
「餃子はみんなで食べてくれ」
 律儀である。もう一度『ごちそうさん』と言ってからテリーは格子戸をくぐり抜けた。客達は弛緩したような溜息をついた。炭火の上のドラフトの響きがなんだか間の抜けた音に聞こえた。
 その溜息を吹き飛ばすかのように、何かがぶつかり合う不穏な音が店の外で涌いた。『なんじゃ、おんどれ』テリーのドスの利いた声が響く。
「しのぶさん危ない」
 センセの声をよそにしのぶは格子戸に寄って外を見遣った。ショールを羽織った老婆とカーディガンを着た小太りの主婦がテリーに組み付いている。巨漢のテリーに二人の小柄な女がまとわりついている構図はシュールでユーモラスにさえ見えたが、二人の身のこなしは尋常ではなかった。一方がテリーの腕を固めにかかるともう一人が他方の腕を押さえて反撃を阻止する。相手の隙を突いてテリーが攻撃にかかると、待ち構えていたようにもう一人が死角から襲いかかる。とても、年配の女性の動きには見えなかった。
「ああっ」
 しのぶが大きな声を立てた。二人の大柄な男が走ってくるのが見えた。あの二人が敵なら万事休すである。しのぶはセンセとユウやんに状況を伝えようとしたが、こういった際の彼女は清々しいくらいに役立たずである。
 テリーは暴れ牛の如く身を捩って二人の追従を緩めた。素早くコートを脱ぐと老婆の顔に被せて視界を塞ぐ。コートごとその頭を押さえたまま背後に蹴りを飛ばす。主婦が道の向こうに吹っ飛んだ。
「かっこええ」
 自分がそう呟いたことにも気付かぬまま、しのぶは格子戸に齧り付いていた。
 テリーは体を丸めて飛び掛かってくる二人の男を紙一重でかわすとそのまま道を転がってきた。慌ててしのぶが格子戸を開くとその隙間からよろぼうように這い込んでくる。しのぶが大急ぎで戸を閉めた。
「お早いお帰りで」
 カウンター越しに覗き込みながら主人が言った。『一分てとこかな』ユウやんが脇から畳みかける。しのぶがそろそろと顔を上げて外を覗くと店の前には誰もいなくなっていた。テリーは息を弾ませながら身を起こすと格子戸の(さん)を押さえてネジ式の鍵に手を伸ばした。
「ちょ、ちょっと何してはるの」
 慌てるユウやんをよそに鍵をねじ込んでいく。
「ちょっと待ち。そういうことしはるんやったら出て行ってもらいます」
 主人の口調が硬く尖った。テリーは片手で主人を制して元の席に座った。
「すまん。十分で良えから時間くれ。ちょっと考える時間があればなんとかなるから。あと、さっきと同じバーボンのロックを頼む」
 主人はまだ何か言いかけたが結局口を噤んだ。
「あいつら予想以上に手強い。それに連携技も知っとった」
 皺くちゃになった背広を脱ぐと壁のフックにかけながらテリーが言った。
「あたしもびっくりしました。とてもおばちゃんとお婆ちゃんに見えんかった」
「いや、あれ二人とも男や。しかも若い。あの格好で立ち話を装うとったからうっかり引っ掛かった」
 出されたウィスキーに口をつけながらテリーは続けた。
「けど分かったこともある。向こうの指揮官はこの店が見える位置におる。飛び掛かってきたタイミングが見事過ぎるわ。あの二人、俺が店出た時は背中向けててんで。扉を見張っとった別のやつが指示を出したとしか思えん。あと、連中はインカムで連絡取り合うてるな。結構、ハイテクや」
「なんだか話が素人離れしてきてませんか。やはりここは警察に出頭して……」
「よけい話がややこしくなる」
 テリーは頑なに首を横に振った。
「ほな、やっぱり当事者間で話し合ったらどうやろ。テリーさんにかて言い分はあるんちゃいます?わしで良かったら付き合いますよ。おっ、旨そうやな」
 ユウやんが皿を受け取りながら説得にかかる。
「秋刀魚の蒲焼や。常々思うんやけど、蒲焼が好きな人って、鰻が好きというよりあのタレが好きな人が多い気がするねん。ホンマに鰻が好きやったら白焼きの方が楽しめる。だったら別に魚は高い鰻である必要ないやんと考えてるねん。あ、ユウやんの言う通りやで。今すぐそこから出て話し合うべきやと思う」
「二人とも事のついでのように説得するのは止して下さい。何だか気が抜けてしまってまるで説得力がありませんよ」
 センセが酒のお代わりを頼みながら口を挟んだ。
「あたしさっきからすっごい気になってるんですけど……」
 しのぶの前には里芋の(きぬ)かつぎの皿が出された。しのぶは『あつっ』と言いながら指を擦り合わせては皮を剥くのに余念がない。
「オーソドックスな塩、柚子味噌、梅肉の三種類に味付けしてみた。バラエティーに富んでる方が楽しいやろ。センセには秋刀魚の竜田揚げや。辛い方がお好きやろうから、鷹の爪入れて紅葉の錦を濃くしてあるで」
 言いながら主人は揚げ物を盛った皿をセンセに渡し、ぐい呑みに秋晴れを注ぐ。
「どないします?料理出しましょか?」
 センセに日本酒を注ぎ終えて主人はテリーに向き直った。
「ああ、頼むわ」
 主人は頷くと蒸籠から料理を皿に盛り始めた。
「あたしさっきからすっごい気になってるんですけど……」
 しのぶが同じセリフを繰り返した。
「お店の電話にかけてきてはる方って誰なんです?」
「さあ、ようわからん。低い男の人の声で『そこにがたいの良い強面の男がおるやろ。ちょっと伝言してくれ』言うて、一方的に喋ると電話切りよるねん」
「うわっ、それきっと竹内力ですて」
「あのな。俺はトイチの借金なぞしとらん」
 何気にテリーもノリが良い。
「けど、お金絡みで追い詰められてるんでしょ。ミナミの帝王の世界ですやん」
 テリーはフンと鼻を鳴らした。主人がテリーの前に白い平皿を出した。
「蒸し餃子や。飲茶的で蒸留酒にも合うで。もともと中国では蒸しと水餃子が主流で焼き餃子は残り物を焼くくらいらしい。ポン酢に辛子でどうぞ」
 テリーは箸をつけ掛かったが気が変わった様子で、急いで携帯電話を取り出すとまたどこかに電話をかけ始めた。
「……。おう大林か、俺や。お前今日素面か?……。よっしゃ。ちょっと頼みがあるねん。ハヤブサ宅配便の冷蔵車を一台押さえて今から言う住所まで運転してきてくれ。……。そう、河野といっしょにな」
「しのぶさん、これをテリーさんのグラスに」
 センセはそっとしのぶに小さな錠剤を渡した。
「なんです?これ」
「軽い入眠剤です。眠ってしまう以外害はありません」
「ええっ、でも」
「乱暴なやり方ですけど、このままでは怪我人が出かねない。彼を眠らせておいて警察に通報すべきです」
「まあ、そうですねえ」
 なおも逡巡するしのぶにセンセはいつになく真剣な眼差しを向けた。気押されてしのぶは錠剤を取って振り返ったが、間の悪いことに立ち上がって話しているテリーがグラスを持ち上げてしまった。
「それから俺の分のユニフォームと一番でかいダンボールを調達してきてくれ。……。よっしゃ、二十分後な」
 住所を伝えてテリーは電話を切ってしまった。小さな錠剤は行き場を失ってしのぶの手の中に残った。
「今度は何しますのん」
 ユウやんが蒲焼を箸で裂きながら訊く。
「二十分後にハヤブサ宅配便の配達車が店の前に停まる。時間が時間やから普通車やったら怪しまれるかも知れんけどクール便やったら飲食店やし違和感ないやろ。ドライバー二人が降りて来るけどそれは俺の身内や。で、二人は荷物を持って店の中へ入ってくる。荷物の中身はハヤブサのユニフォームや。俺はそれに着替えて大林いうやつとチェンジしてこの店から脱出するいう寸法や」
「けど……」
「あ、大林は俺とどっこいの体格やから着替えたら見分けはつかんで。ま、店に残ってもらわなあかんけど、あいつにはマージャンの貸しがあるからな。それチャラにしたる言うたら二つ返事やった」
 意外に周到である。

 

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