今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第五夜 籠城ゲーム
《4》

「Gの書斎」に戻る


 

「あの、電話で言うてはった一番大きいダンボールは何に使うんです」
 しのぶが衣かつぎの最後の一個の皮を剥きながら尋ねた。
「一種の保険やな。万一、アクシデントが起きて失敗してもこれがあれば荷物に化けて集荷してもらえる。別の運転手を調達せんとあかんけどな」
 ますます周到である。
「しかし、よく宅配車やユニフォームを調達できましたね。ハヤブサ宅配便言うたら山通運輸でしょ」
 山通運輸は業界大手の運送会社である。
「どうちゅうことない。ちょっとしたコネや。あ、親爺」
 餃子が気に入ったらしくあっと言う間に半分以上平らげたテリーはもう一品何かご飯ものをと注文した。
「ウィスキーと相性の良えご飯ものはちょっと難しいですよ」
「あ、気にせんで良え。ウィスキーは俺にとったら水みたいなもんや」
「ほなちょっと変わったご飯もん出させてもらおかな。お焦げの餡かけでどないでしょ。あれ元々は中華の四川料理なんです」
「ここまでくると私は今日は揚げ物でまとめたい気分です。……何か野菜の天ぷらなど頂けますか」
 珍しくセンセは携帯のメールをいじりながら注文した。
「はいよ」
「あの、牡蠣とかあります?まだ早過ぎるやろか」
 しのぶが小首を傾げながら尋ねる。
「いやもう出回ってるで。実りの秋らしくお米と合わせて牡蠣雑炊なんてどない?」
「あ、それお願いします」
 しのぶが顔を輝かせた。
「わし、なんぞ甘いもんが良えなあ」
「出た。いっつもバリキさんが言うてはりますけど焼酎には合いませんよ」
「いや、甘いは旨いやから大丈夫や」
「和菓子系でも良えか?ホンマは俺のおやつにでもしょうかと思うててんけど……」
「なんや悪いな。けど良かったら頂戴」
 ユウやんの辞書に遠慮の二文字はない。
「はいよ」
「さて、待っとる間は暇やし、さっきの心霊写真の話でも聞かせてや」
 ウィスキーのお代わりを頼みながらテリーは言った。
「あ、そや。また忘れてました」
 しのぶは三度鞄の中を探って今度こそ目指す写真を見付けたらしい。『あったあった』と言いながらもう一枚写真を取り出した。
「これ見て下さい」
 沖縄だろう。先程の女性がサングラスにノースリーブのシャツで写っている。背後の家の屋根にシーサーが載っている。
「これが何か?」
 訝るセンセにしのぶは写真の右下を指した。
「日付をよう見て下さい」
 2007.8.3.となっている。改めて六甲山の写真を見てセンセは目を剥いた。こちらも2007.8.3.である。
「好美先輩って職場の先輩なんですけど、その日は間違いなく沖縄に旅行に行ってたはずなんです。それがあたしの後ろに写ってるやなんて。先輩よっぽどあたしに伝えたいことがあったんやろか?」
 だったら、さっき別れる時に言っているだろう。
「それともあたし、先輩に恨まれてるんですやろか?」
 しのぶは縋るような目でセンセを見詰めた。
「いやや。今晩帰ったらアパートの廊下にぼうっと立ってたりして。それともいきなり夢枕に立つとか」
 勝手にパニくるしのぶをセンセが宥める。
「いやいや、他人の空似ということも考えられるでしょう」
「それはないですよ。その赤いワンピース、今日も着てはりましたもん」
「肝心の先輩はなんて言うてはるん」
 横合いからユウやんが訊く。
「先輩いつもクールですもん。たぶん、霊の存在なんか信じてはらへんのですわ」
 殊に自分の生霊の存在は信じ難いだろう。
「その六甲山の写真見てクスって笑ってお終いですわ。端から相手にしてくれません」
 センセは『うーん』と言って次の仮説を考えているらしく黙り込んだ。
「そろそろ来る頃やねんけどな」
 テリーが時計を見ながら言う。その言葉を待っていたかのように店の前にテレビでお馴染みの宅配車が停まった。
「あ、その心霊写真の謎やったら。どうちゅうことないで。言うかそもそも謎でもなんでもないて」
 宅配車から目を離さずにテリーが言った。客達が見守る中、二人の男が降りて来るのが格子戸越しに見えた。二人は車の背後に回ると保冷庫の扉を開く。
「あちゃ、ユニフォームもあの中かい。凍りついとるんちゃうやろな」
 嬉しそうに軽口を叩くテリーの顔が次の瞬間凍りついた。
「なんでやねん……」
 格子戸に向かいかけたままテリーは呆然と立ち尽くした。
 格子戸の向こうで二人のドライバーは黒い服の男達に取り囲まれている。中の一人が携帯電話を取り出すと大林だろう、大柄な方のドライバーに渡した。大林は電話を耳に当てて何か話していたが、みるみる姿勢が直立不動になっていった。携帯電話を返すと大林は相方を促してそそくさと保冷庫の扉を閉めた。二人はまるで恐ろしいものから逃げるように慌てて車に乗り込むと去って行った。
「もしかして……」
 しのぶがぽつりと言った。
「寝返られたんとちゃいますか」
 ユウやんが後を引き継いだ。車はなくなった。ダンボールも手に入らなかった。一瞬にして宅配作戦は目の前から消えてしまった。
「あの対応の速さから見て、店はかなり大がかりに包囲されてるみたいですよ」
 センセが妙に冷静に意見を述べた。
 テリーは盛大に舌打ちをして丸椅子に座り込んだ。
「あの、どう考えても相手の方が一枚も二枚も上手ですわ。わしも付き合うたるから話し合いのテーブルを囲むべきやわ」
 ユウやんが珍しくまじめな口調で説得にかかる。
「いやこの執拗さはただごとやない。それだけ怒りが深い証拠や。こうなったらほとぼりが冷めるまで身を隠すしか手はない」
「いやいや、言うたら失礼やけどたかが金の問題や。どないやって弁償するかさえケリつければ……」
「そういう問題でもないでしょう。きちんと警察に行くべきです」
 ユウやんとセンセが二重奏で畳みかける。
「あ、UFO」
 いきなり、しのぶが大声を出して壁のパステル画を指した。そちらを振り向いたのはしのぶだけで男達は何事かとしのぶを見詰めている。
「おい、何するねん」
 テリーの声をよそに、目線は壁に泳がせたままテリーのグラスにしのぶは手を伸ばす。手から落ちた錠剤がウィスキーにダイブしてポチャンと間の抜けた音を立てた。
「何入れてん」
「え?何のことです?」
 白々しくとぼけながらしのぶはグラスの底を見て『あれえ?』と声を上げた。微かに気泡を発しながら錠剤が元の姿のままで沈んでいる。
「案外、溶けんもんなんですね。サスペンス劇場なんかやったら一瞬やのに。へええ、ひとつ勉強になりました」
「……。ま、ええわ」
 何か言いかけた言葉を呑み込んでテリーはうっそりと立ち上がった。
「勘定頼むわ。それから迷惑ついでにもう一つお願いや。そこの奥、親爺さんの住んではる生活スペースやろ。裏口から出させて欲しい」
「ようわからはったな」
「その蒸籠は嫁さんがネット通販で買うてるのを見た。関東でしか店頭販売してないそうやな。ということはパソコンがいるわな。それ以外にも商売に要りそうなファックスや留守電付きの電話が置いてない。厨房に料理に必要ないもんは一切置かんいう職人肌なとこは俺も好きやけど商売に必要なもんは傍に置いとかんと不便や。家の寸法からして奥に居住空間があるとみた」
 言われて主人はにっと笑った。
「当たりや。もう一つ言うと地下もありますねん」
「ええっ、秘密基地ですか?」
 しのぶが嬉しそうな声を上げる。
「なんでやねん。酒のカーヴや」
「ああ、なるほど」
 センセが声を上げた。
「長年の謎だったんですよ。冷蔵庫はそれっきり。だのに来る度に出される酒の種類が変わっていく。どこに仕舞ってあるんだろうと不思議でした」
「秘密基地の方が絶対良えのに……」
 未練がましくしのぶが言う。テリーはコートを羽織ると財布を出した。
「あ、お代はもう充分頂いてます」
 主人は手を振って断った。
「ご馳走さん。また落ち着いたら顔出すわ。お焦げの餡かけは皆さんで食べて」
 相変わらず律儀である。テリーは行きかけて立ち止まった。

 

「Gの書斎」に戻る
inserted by FC2 system