今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第五夜 籠城ゲーム
《7》

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「すごい。なんだか本格的ですね。器によそって出てくるのだと思ってました」
「俺の拘りやねんけど雑炊なんかは土鍋から蓮華で掬って食べた方が美味しいと思うねん。出汁におろし生姜を利かせてあるからあったまるで。九月いうても夜は寒い。なんせ入口があれやしなあ」
 主人は口を開けたままの入口を見遣る。
「センセには岡わかめの天ぷらや。名前の通り火を通すとわかめみたいにぬめっとした食感になるから味噌汁の実なんかに使われるねんけどな、天ぷらも旨いで。ちょっと大葉に似てるかな」
 センセは珍しそうに濃い緑の天ぷらを箸で挟むと軽く塩を付けて口に入れた。
「庭に植えとくと夏場は良え日除けになるそうや。それでちょくちょく摘んでは汁の実にしたりするお得な野菜やねんて」
「ユウやんには……」
 主人が言いかけた時、入口の方で木枠が軋む音がした。皆が振り返ると妙にさっぱりとした顔の吉田のおばちゃんが立っていた。おばちゃんは少し居心地悪そうにその大きな体をもぞもぞさせていたがやがて意を決したように居住まいを正すと丁寧に頭を下げた。
「今日はうちの旦那がしょうもない騒動を起こしてすみませんでした。ここの勘定は全部うち持ちにさせてもらいますし堪忍したって下さい」
「いや、そこまで奢って頂くいわれは……」
 センセが慌てて顔の前で手を振る。
「ええねんて。今日は特別な日やねんから。あ、それから大将、入口のこと堪忍な。明日大工さん寄越すよってに」
 言っておばちゃんは店の中に入ってきた。それからぽっかり空いた入口越しに声をかける。
「ほれ、遠慮せんでええから入ったって下さい」
 その声を合図に四人の男たちがぞろぞろと店の中に入ってきた。体格は様々だが一様に身のこなしに隙がない。男達と顔馴染らしいユウやんはカウンターの端に席を移して彼らを隣に座らせた。
「あれ?佐山君はどないした」
「一旦、劇団に戻る言うてはりました。それから合流されるそうです」
 小柄な男がユウやんの質問に答えた。
「ちょっとバリキどいてんか」
 バリキを強引にユウやんが座っていた席に移動させておばちゃんはしのぶの隣に割り込んだ。
「しのぶちゃん、堪忍な。一番怖い思いさせてしもたなあ。ホンマにあのヘタレが……」
 言いながらしのぶの肩を抱こうとして大人バージョンになっていることに気付いたおばちゃんは慌てて手を引っ込めた。
「先程も話していたのですが、私には何が起きていたのかさっぱりわからないんですよ」
 センセの質問をおばちゃんは手を振って制した。
「あ、説明はちょっと待ってな。むっちゃお腹空いてるねん。大将、耕作ちゃんに出す予定やった料理ちょうだい。どうせ耕作ちゃんはしばらく復活できへんし」
 おばちゃんがしれっと言う。
「ユウやんお待ちどおさん。熟し柿の羊羹や」
 透明な小鉢に賽の目に切った柿がこんもりと盛られている。濃い橙の肌がぬめぬめと光っていた。
「ちょっと待ってな」
 主人はユウやんの目の前に小鍋を差し出した。中でアルコールが燃えているのか青白い炎が揺れている。小鍋の中身がたっぷりと柿に注がれて、しばらく青い焚き火のように炎を上げていた。
「ドライジンや。よく混ぜて二、三分置いてから食べて。見た目に反して案外さっぱりした甘さやで。それから、おばちゃんにはこれや」
 主人はフライヤからキツネ色に揚がった塊を深皿に移した。その皿をおばちゃんの目の前に置くと上から湯気を立てている餡を回し掛ける。揚げ物がじゅっと音を立てた。
「へえ、餡かけのお焦げってどうやって作るんかと思うてたけど揚げるんかいな」
 おばちゃんは感心しながら海老や烏賊が艶やかに光っている透明な餡を突ついた。
「それでな……」
 蓮華の中身に息を吹きかけて冷ましながらおばちゃんが口を開いた。
「夕べちょっと呑み過ぎてしもてな。耕作ちゃんにエッチの話をしてしもてん」
 『それはまずいでしょう』、『そらあかんて』とセンセとユウやんが口々に言った。
「なんで二人がその話知ってるねん」
 バリキがビールのお代わりを頼みながら訊いた。
「いやな」
 主人が口を挟んだ。
「おばちゃんここんとこ、この店で会う人、会う人みんなにその話しよるねん。おかげで俺は耳にタコができた」
 言われたおばちゃんはくふふふとドスの利いた笑いを漏らす。『あほらし』とバリキはおおぎょうな溜息をついた。
「で、よう覚えてへんねんけど、耕作ちゃん、なんやぶっ壊れたような顔してた気がする」
 小学校時代の悪夢の再来である。
「朝起きたら、耕作ちゃんの布団がきちんと畳まれとった。自分で朝ご飯の支度をして食器も洗うてる。ご丁寧に洗濯機まで動いとった。これはプチ家出しよったなとピンときてん」
「中学生かいな」
 ユウやんが呆れた。
「家出する時は耕作ちゃん、必ず身の回りの片付けしていくねん。礼儀正しいやろ」
「威張りないな。いうか、そないしょっちゅう家出してはるのん?」
「ま、ここしばらくはなかったな。放っといてもお腹が空いたら帰ってくるから心配してへんかってんけど、この店の名前もしのぶちゃんのことも喋ってしもてたからそれだけ気になっててん。ああ見えて気にしいやから絶対顔出すやろし、しのぶちゃんと鉢合わせる可能性も高い。それで心配になってきてん」
 おばちゃんは眉間にちょっと皺を寄せて宙を仰いだ。
「しのぶちゃん口説かれたらヤやなあて」
「って、そこかい」
 バリキがツッコむ。
「それが耕作さんが今日、この店に来られた理由だったんですね」
 しのぶが土鍋に蓮華を戻しながら言った。
「わたし、耕作さんがこの店に来られたのと籠城することになった理由は無関係のできごとなんじゃないかと思ったのですけど……」
「そらそうや。耕作ちゃんの使い込みが発覚したんは今日の昼過ぎのことやもん」
 不意におばちゃんの声が不穏に低められた。
「あたし、五百円玉貯金やってるねんけどな」
 一杯になると十万円貯まるという貯金箱にせっせと入れていたという。
「いよいよ使う時が来たから引っ張り出してきてん。ところが持ってみると微妙に軽い気がする。慌てて開けてみたらな……」
 おばちゃんは焼酎を煽ってから続けた。
「中身が全部百円玉になっとってん」
 一瞬、無言の間が空いた。
「ええと、ただくすねるだけやったら申し訳ないから百円だけでも補填したとか」
 おそるおそるバリキが尋ねる。
「そんなわけないやん。すぐにバレんようにするための姑息なフェイクや」
「なんや巧妙なんか底が浅いんかコメントに迷う隠蔽工作やな」
「なるほど、資産価値が五分の一になったというのはそのことだったんですね」
 センセが感心したように言う。
「で、すぐにでも耕作ちゃんつかまえてシメてやりたかってんけどな」
 おばちゃんが話を戻した。
「迂闊に携帯に電話したりしたら姿くらませるんは目に見えてる。ここは一つ確実に身柄を押さえんとあかん。夕べの一件があるから十中八九、耕作ちゃんは今晩ここに来る。ここやったら確実に耕作ちゃんを押さえられる。決戦の場はここしかないと確信してん」
「いや、そないにきっぱりと確信されても困るんやけど」
 主人の声はどうもおばちゃんに届いていない。
「それでも二つほど心配事があってん。それで、すぐユウやんに連絡して手伝うてもらうことにした」
「心配事って何です?」
「一つは耕作ちゃんをスムースに投降させられるかや。最悪はこっちから店に乱入することも考えたけど店内の乱闘は極力避けたい」
「極力やのうて、絶対に避けてくれ」
 主人が釘を刺す。
「もう一つは他のお客がパニクって警察に通報されたりしたらかなわん。そうならんように誘導する人間が店におる必要があってん」
「そこが一番の謎なんですけどね。最初からかず子さんが店に来て耕作さんを連れ出せば無用の誤解が生じることもない。なぜ、耕作さんの正体を謎めかして隠す必要があったのです?」
「耕作ちゃんの正体がバレるのは一番避けなあかんことやってん」
 おばちゃんはちょっと言いづらそうにしのぶの方をちらちらと見遣った。
「六月の時もしのぶちゃん、えらい耕作ちゃんに同情的やったし。正体がバレて耕作ちゃんの味方につかれたら嫌やもん」
 『それだけ?』一言そう呟いてセンセは絶句した。
「そんなわたしはいつだって……」
「あたしの味方か?」
「いえ、正義の味方です」
 妙にきっぱりとしのぶは言った。

 

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