今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第五夜 籠城ゲーム
《8》

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「それであれは隠し金を使い込んで組織に追われる謎の男やった。結局は組織から逃げ切れず投降してその後はどうなったか誰も知らんという演出をすることにしたわけや。ま、素人のわしには荷が重いから知り合いの劇団の座長に頼んでんけどな……。まさか、店に入って数秒でバレとるとは思わんかった」
 ユウやんにしのぶの推理を説明されたおばちゃんは大仰に溜息をついて嘆いた。
「でも、そんな凝った演出を巡らせても耕作さんが名乗りを上げてしまえばそれまでだったのでは?」
「あ、それはあり得へん。耕作ちゃん見栄っ張りやもん。自分から名乗って『こいつが、あのエッチか』言う目で皆から見られるのんに堪えられるとは思えん。しっかし、偽名使うんやったらもうちょっとマシな名前にしたら良えのに。テリーって何なん」
 おばちゃんは笑った。
「せっかくやから、しのぶちゃん。何がどうなっとったのか解説してや」
 途中参加のバリキが興味津々でリクエストした。
「まず最初に耕作さんの携帯電話が鳴って使い込みがかず子さんに発覚したと伝えられました。この電話は耕作さんのお知り合いにかず子さんがお願いされたことですよね」
「うん、近所の遊び仲間に頼んだ。あの電話で耕作ちゃんが泡喰って店を飛び出したら話は簡単やってんけどな」
「その後、このお店で起きたことは大きく二つに分けられます。耕作さんを中心に考えるとそれは攻撃と守備と呼んで良いんじゃないかと思うのですけど、要は耕作さんがお店から脱出しようとするアクションとそれに釘を刺すようにお店に掛かってきた電話です」
 しのぶは猪口を煽って続けた。
「そのどれもが、耕作さんの読みや行動を見越しているようなものでした。お店に掛かってきた電話は四本ありました。一本目はユウやんがお店に入った直後で『居場所はバレてる』と言いました。二本目はエキストラ作戦を中止するように耕作さんが加藤さんに電話しようとした途端掛かってきて『加藤の身柄は押さえた』と言いました。三本目は耕作さんが裏口に向かおうとした途端『裏口は最初から押さえてある』と掛かってきました。明らかに電話を掛けて来られた方はお店の中の会話をリアルタイムでご存知でした」
 しのぶはおかしそうに笑った。
「四本目は少し変わってました。耕作さんが高飛びすると宣言した途端に掛かってきて『五分以内に店から出て来んかったらミヤゾノに戻る』と言いました」
 しのぶの言葉におばちゃんが頷いた。
「宮園はあたしの旧姓や」
「実家に帰らせて頂きますということですね」
「あたしが帰ったら実家の面々も黙ってへんやろしな。ややこしいことになるねん」
 耕作ちゃんは高校時代、かず子の父に菜切り包丁を持って追い回された過去がある。
「それから、耕作さんの脱出作戦ですけど……」
「あの……」
 不意に男の声がした。客たちが顔を上げると店の入口に痩せ身の男が立っていた。
「お、佐山君今日はありがとうな」
 ユウやんが声を掛けた。
「いえ、この前えらい世話になりましたし」
 佐山君は笑いながら言った。それから『あの……』と躊躇いがちに声を出す。
「ん、どないしたん?入りいや」
「いや、そこの道路でぶっ倒れてはる方、こちらのお客さんちゃいます?」
 言われておばちゃんが『ああ』と声を上げた。
「そういえば耕作ちゃん忘れとったな」
 事も無げに言って立ち上がった。

「最初、耕作さんは道路には立ち話をしているおばさんしかいないと判断して店を脱出されようとしました」
 おばちゃんの隣に耕作ちゃんが加わってしのぶの解説が再開された。耕作ちゃんは別に目の周りに青タンがあるわけでも血を流しているわけでもない。が、妙に姿勢がぎこちなく、体を動かす度にうっとか、ああとか呻いていた。
「その立ち話のおばちゃんいうのはこの二人や」
 ユウやんが隣の小柄な二人組を紹介した。
「全国大会まで行った黒帯の猛者やで」
 大阪の空手道場の名物コンビらしい。その隣の大柄な二人は道場の後輩だと名乗った。
「どうりで技のキレが良えはずや」
 耕作ちゃんがぼやくように言った。
「しかし、私の感覚ではもっと大勢に店を包囲されていた印象があったのですが……」
 センセが不思議そうに首を傾げる。
「演出ですよ」
 佐山君が笑いながら言う。彼が主演女優を引き抜かれてユウやんに助けを求めた劇団主催者だ。
「舞台劇でも役の数より役者の数はうんと少ないですからね。一人数役なんてのもざらにあります。耕作さんが店から出ようとした時に押さえに行ったのがこの四人。冷蔵車を囲んだのは僕を足して五人。役者はそれだけですわ。ユウやんの盗聴器が何倍もの人員に見せかけてただけです」
「けど、インカム使うた連携なんてよう思い付いたな」
 まだ不思議そうに耕作ちゃんが言った。
「劇場スタッフにインカムは常識ですよ」
 事も無げに佐山君は答えた。
「大林に渡した携帯で喋ったんは……」
 言いながら耕作ちゃんが隣を見遣る。
「あたしや」
 大林も河野も耕作ちゃんの部下だそうだ。専務夫人が直々に電話で頭を下げれば直立不動にもなるだろう。手品も種が分かれば他愛ない。
「けど、バリキの乱入には焦ったで、あわや最悪のメンツで店内大乱闘や。いよいよヤバいと思うたから『五分経ったで』て適当なこと言うておばちゃんにフォロー頼んでん。けどなんで急にバリキが現れたんや」
 ユウやんが首を傾げる。しのぶがおかしそうに笑う。長い髪が肩の上で揺れた。
「バリキさんがお店の中で起こっていることをご存知のわけないですから、ただ呑みに来られただけなら入口から入ろうとされたはずです。あの登場の仕方は明らかに誰かの救援要請に応えたことを示しています。店内乱闘を避けたがっているかず子さんが頼むはずはないですから、お店の中の誰かだったということになります。お一人しかいませんよね」
 しのぶがセンセを見遣った。
「いや、大まじめだったんですよ」
 照れ臭そうにセンセは笑った。
「そういうことが起きんように気い付けてたつもりやってんけど……、そういえば料理注文しながら携帯いじとったな。あん時か」
 センセはユウやんに向かって頷いた。
「しかし、その体の傷は尋常やないです。正直びびりましたよ」
 バリキが耕作ちゃんに言う。
「俺の専門は海運や。港湾で荒っぽい沖仲仕押さえよう思うたら修羅場はしょっちゅうやで」
 耕作ちゃんは不敵に笑いかけて、『ああっ』と又呻いた。どうにも格好がつかない。
「で」
 センセが思い出したように口を開いた。
「今日の本題ですが五百円玉は結局何に使われたんでしょう?」
 おばちゃんの直視から目を逸らすようにしながら耕作ちゃんが言った。
「いや、六甲道のパチンコ屋に北斗の拳の新台が入ってな。これがよう当たるらしいねん。俺、元々あの台とは相性良えし、これは千載一遇言うやつちゃうか……ひたい、ひたい」
 横合いからおばちゃんが唇をつねる。
「どの口が言うか」
「ひや、この……、おくひが……」
「まさか十万円全部スッてしまったんですか?」
「いやもうちょいやったんやて。雲は流れとったし、ケンシロウの攻撃でレイが……」
「まだ言うか」
 口と裏拳が同時に繰り出される。
「結局十万あるはずが二万。えらい目減りや」
「そういえば使う時が来たっておっしゃってましたけど今日は何かの記念日なんですか」
 しのぶが期待に目を輝かせて訊く。
「三十二年前の今日、耕作ちゃんにプロポーズされてん」
 おばちゃんが身をくねらせて照れる。しのぶが『わあっ』と歓声を上げた。おばちゃんは足元の大きな紙袋の中に手を突っ込むと海苔の缶のような形をした黒い貯金箱を引っ張りだした。
「みなさんの分も含めて今日のこの店の勘定は全部これで払う。足らん分は耕作ちゃんの奢りや」
 と高らかに宣言した。店ははるか昔のプロポーズ祝賀会場へと変貌し、客達は否応なしにおばちゃんのハイテンションに巻き込まれていった。

 

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