今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第三夜 吉田のおばちゃんのラブソング
《2》

「Gの書斎」に戻る


 

「なんやのん。まさかて?」
「ロリコン?その顔で?」
 おばちゃんは穢らわしいものを見る目でバリキを睨むと殊更に力を入れてしのぶの体を撫で回す。
「子供好きというて」
「いや、どう考えてもその手付きはちゃうて」
 タオルの下でうっとか、あっとか声を上げながらもがいているしのぶは傍から見ると獰猛な野獣に手込めにされている幼い少女のようだ。
「よっしゃええやろ」
 タオルを剥がすと少しこざっぱりとしたしのぶが現れた。
「あっ、ありがとうございます」
「かあいいっ」
 糸のようにか細いしのぶの声におばちゃんは少女のようなソプラノを張り上げて身を捩らせた。見てはいけないものをみてしまったバリキと主人は慌てて目を逸らした。
「よっしゃ。メガネも拭いたろ。貸してみ」
 主人とバリキが声を上げて止めに掛かったが間に合わず、おばちゃんはしのぶの顔からメガネを外してしまう。
「あっ」
 しのぶが声を上げた。男達は固唾をのんでその桜色の口元を見詰めていたが次の言葉が発せられることはなかった。おばちゃんはレースのフリル付きのカラフルなハンカチでメガネの雨滴を
(ぬぐ)うとしつこいくらいに何度も息を吐きかけてグラスを拭いた。
「はい、拭けたで」
 メガネをしのぶに戻してやった時、その猫撫で声がいかにも名残惜しげに聞こえた。
「ま、座り。あんたも災難やったな。雨宿りに駆け込んできたのがこんなしょぼい呑み屋で。ほんまはドライヤーがあったらもっと良えんやけど」
 おばちゃんはしのぶのポニーテールの先をいじくり回しながら、主人の五分刈りの頭を見遣ったが期待するだけ無駄かと首を振った。
「本当にありがとうございました」
 しのぶは子供が熊を見上げるような目付きで上目遣いにおばちゃんを見上げてから丁寧に頭を下げた。
「行儀の良え()やなあ。今日日のお子とは思えん。親御さんの躾が行き届いてるんやな」
 おばちゃんは目の前の丸椅子にしのぶを座らせるとすかさず隣に陣取る。
「なあなあ、まだ雨止まへんで。さすがにお酒いうわけにいかんやろけど、おばちゃんがなんかあったかいもんご馳走したろ。後でちゃあんと送ってったげるからな」
 店を出たらそのまま連れ去りそうな勢いでまくし立てるおばちゃんの厚意を「いえ」とか「あの」と言って何とか断ろうとするしのぶだったが、まごまごするばかりで一向に埒があかない。
「おばちゃん、なあて、おばちゃん。水差すようで悪いんやけどその娘、たまたま雨宿りに飛び込んで来たんちゃうで」
 見かねて割り込んだバリキをうるさそうにおばちゃんは振り返る。
「たまたまやなかったら何やの?バイトか?そら児童福祉法にひっかかるからあきまへん。だいたいこの店はいつからバイトを雇えるほど繁盛するようになったん?」
 歩く児童福祉法違反のおばちゃんが反論する。
「そやのうて、その娘は客や」
「あのなあ、いつからこの国は中学生が酒呑んで良えようになったんや」
「あーあ。結局またその話やねんな」
 面倒臭気な言葉と裏腹にバリキはにやにや笑う。
「あのな、その娘は今年の一月で二十歳になった立派な大人やねん。選挙も行けるし、競馬やパチンコかて……、ま、行かんと思うけど、行こ思うたら行ける歳やねんで」
 おばちゃんは怖い物を見る目でしのぶを見詰めた。
「ほんま?」
「あの……、はい。すみません」
 なぜかすまなさそうに詫びるしのぶの肩からおばちゃんは慌てて手を離した。
「あの、熱燗をお願いします」
 ようやく魔の手から開放されたしのぶは主人の方を向き直るとおばちゃんに遠慮するように小さな声で定番を注文した。
「ほいよ」
 主人の小気味良い声が響き、すかさず徳利と猪口が並べられる。注文を待ち構えて段取り良くスタンバイしていたあたり如何にも主人らしい。
「ほい付け出し」
 黒い小皿に盛られた付け出しの匂いをくんと嗅いでしのぶは「あっ」と言った。
「ふきのとう味噌ですね」
「よう知ってるな」
「母がよく作ってくれました。懐かしい」
 しのぶは箸を取って一口含むと小さな目を(しばたた)いて嬉しそうな顔になる。それから徳利から猪口へ、猪口から口元へ、流れる所作で今日の一杯目を流し込む。白い喉が小気味良く動き、ほう―と小さな吐息を吐いた。そして、銀縁メガネをずり上げるとおばちゃんを見上げた。
「タオル本当にお世話さんでした。けど、中学生はないんちゃいます?あたしどこから見ても大人の女ですやん」
 唐突に甲高い声で捲くし立てられたおばちゃんは椅子を軋ませて仰け反った。

「けどこんな可愛い娘がこないな店に来るやなんて世も末やな」
 しのぶの年が発覚しても中学生然とした風貌はまんざらでもないとみえて吉田のおばちゃんはしのぶの隣に席を移して呑み始めた。
「世の中何が起こるか分からん言うてくれ」
 切り返すバリキの前に小振りの深皿が出される。舟形に折ったアルミホイルに男爵芋が載っている。十字に入った切り込みに明太子が盛り付けられ、ぷんとバターの香りがした。
「じゃがバター明太。じゃがバターの辛口アレンジや」
「なんや北海道と九州の物産展みたいな料理やな。おっ、でもこれイケるわ。明太子とバターって意外と合うんやな」
 感心しながらバリキは瞬く間に半分ほど平らげる。
「で、おばちゃんにはこれや」
 出された黒い深鉢をおばちゃんが覗き込む。
「へえ、キムチと納豆にイカそうめんかいな」
「ポピュラーかどうか知らんけどそのお客さんはそないやって食べる言うてはってん。試してみたら結構イケるねんなこれが。よう混ぜてから食べて」
 主人に言われておばちゃんは箸を突っ込むと親の仇のような勢いで混ぜ始めた。
「えーと、あたしはちょこっとしたおかずみたいなんが欲しいんですけど」
「そやなあ、ほな餃子でもどないや?」
 しのぶのリクエストと頭の中のレパートリーを照合させながら主人が尋ねる。
「あ、それお願いします」
「なあなあ、どこ勤めてはるん?お給料なんぼくらい?彼氏とかいてへんの?なんでこないな店に来るようになったん?」
「いやいやいや、そないマシンガンみたいに訊かれても困りますやん。えと、しのぶ言います。一月から来さしてもろてます」
「あ、あたしも自己紹介まだやったな。初めまして。吉田のおばちゃん言います。JRの近くでお好み焼き屋やってます。あと、趣味で株をちょこっと……」
「しのぶちゃん騙されたらあかんで。このおばちゃんの場合、趣味でお好み焼き屋やってる相場師やねんから。ユウやんから聞いたことあるけど結構名の知れたデイ何ちゃららしいねん」
「デイトレーダーか?」
 いらんこと言いないやという目でバリキは睨まれてしまった。
「あたしのことはよろし。あたしはしのぶちゃんのことが知りたいねん。仕事何してはるん?」
「大学で事務員やってます。この前の秋にお父さんが勤めてはった大学で募集されたん見付けて飛び付いたんですわ。中学出てからコンビニとかマクドとかダイレクトメールをポストに入れてくバイトとかやったんですけど、あたし内気ですやん。それにトロい言われてすぐダメになるんですわ。ひどいでしょ。ちょっとおっとりしてるだけですやんねえ」
 そのマシンガンのような口調で内気と言われるとツッコミたくなるがバイト中は素面(しらふ)だろうから、その通りなのだろう。
「いやっ、もしかしてご両親亡くさはったん?」
 聞きづらいことをしれっと聞いてしまえる厚かましさは関西のおばちゃんの特権か。思いの外不躾に聞こえないのは会話のテンポの妙だろう。
「はい。お父さんは震災のときに。大学で被災して。お母さんは一人であたしを育ててくれはったんですけど、中三の年末に病気で」
 店の中が黙りこくる。主人が餃子のフライパンに水を差す音が大きく響いてその沈黙を割った。
「ら、ら、いややな暗い話になってもた」
「気の毒なんちゅうもんやないやん」
 メロドラマのヒロインにいきなり出くわしたかのようにおばちゃんは目に大粒の涙を溜めて、しのぶの小さな手を力任せに握った。
「いやいやいや、別に『同情するなら金をくれ』いうような生活してるわけやありませんし。お母さん結構お金遺してくれてはったからあんじょう食べていけますもん。しっかり定職もゲットしたし」
「あのお父さんが勤めてはったんて、もしかしてセンセと同じとこか?」
 バリキが大学の名前を言うとしのぶは目を輝かせて頷いた。
「そうそう、そこです。お父さん数学科の助手やってはったんです。あっ、もしかしたら子供の頃あたしもセンセと会うたことあるかもしれませんわ。よくお父さんの研究室に遊びに行ってたし。おっ……、その影響かあたし数学だけはずっとクラスで一番でした。よっ……、いつかあそこで働けたら良えなぁと思うようになってて、去年ほんまに就職ゲットして、っと……、絵に描いたような薄幸の美少女のサクセスストーリやて思わはりません?」
 妙な合いの手を入れつつ手元をじたばたさせていたしのぶは、ようやくおばちゃんの天狗の団扇のような手のひらからすり抜けた。
「けど、頼れるような身内の人はいてはらへんの?」
 おばちゃんの言葉にしのぶは微かに肩を震わせたように見えた。目の前の猪口を乱暴に掴むと中身を勢い良く流し込む。
「お母さんの両親がいてますけど、あたしには関係ない人達ですから」
 まだ何か言いかけるおばちゃんを制するように白い平皿がしのぶの前に置かれた。
「お待ちどおさん。辛い餃子や」

 

「Gの書斎」に戻る
inserted by FC2 system