今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第三夜 吉田のおばちゃんのラブソング
《3》

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 味は付いてるからそのままでと説明しながら主人の目はおばちゃんの方を向いていた。
「おばちゃんも大概やで。呑み屋で人様の素性を根掘り葉掘り聞くんは野暮いうもんや」
 言葉は柔らかいが有無を言わせない響きが籠もっていた。
「あ、ほんまや。堪忍なしのぶちゃん。しょうもないこと聞いてしもて」
 ケロッと言ってのけて吉田のおばちゃんはしのぶに片手拝みした。お詫びは一瞬で済みというのが如何にもおばちゃんらしい。
「バリキ何ぞ気分直しにおもろい話でもしてや」
「なんで俺に振るねん」
「そやかて、あんた男やろ。この場の雰囲気をなんとかしたろとか思わんか。ふつう」
 よく分からない理屈である。
「急に言われたかってなぁ」
「使えんやっちゃな。そやなあ……。なんぞロマンチックな話でもないかいな」
 おばちゃんがネタを繰っている横でしのぶは餃子に取り掛かっていた。
「うわっ、これめっちゃ辛いやないですか。中身何ですのん?あ、わかった豚キムチや」
「当たりやな。けど豚肉とキムチだけやったら味がきついから、生姜と葱を刻んだやつに卵黄も足してごま油で風味付けしてるねん」
「それで辛いけど微妙にマイルドなんですね。今度家でも拵えてみよかな」
 隣でおばちゃんが空になった深鉢を戻しながらちらちらとしのぶの手元を見遣る。
「餃子も美味しそうやねんけどな。もうちょっとボリュームのあるもんない?」
 主人は軽く頷くと、ちょっと待っといてと言った。
「そうそう、あたし最近ジクソーパズルにハマってるねん」
「ようその気ぃ短い性格であない辛気臭いもんできるな。だいたいキャッチャーミットみたいなその手ではピースが摘めんやろ」
「んなわけないやろ」
「あっ、間違うてるピースでも力づくで押し込めるいう技が使えるんちゃいます?けど、そんなことしたら出来上がった絵がおかしうなってしまいますよ」
「しのぶちゃんまで何言うてんの。誰もあたしのクリスタルガラスみたいな性格理解してくれへんねんな。繊細で緻密でジグソーパズルみたいな作業させたら灘区一やねんで」
 微妙にエリアが狭い。
「最近は三千ピースのノイシュバンシュタイン城に挑戦してるねん」
「それめっちゃ上級クラスなんちゃうん?」
 主人がフライヤに種を放り込んでから振り返る。ジュッと旨そうな音がした。おばちゃんの注文らしい。
「で、それのどこがロマンチックな話なん」
「いや、この前お好み焼き屋のお客さんからロマンチックな話聞かされてん。何も印刷してない真っ白なジグソーパズルいうのがあるんやて」
 どや?とばかりに、おばちゃんは首を巡らせて主人やバリキの反応を見る。
「なんじゃそら。単なる印刷ミスやろ。返品せなあかんやつやん」
「わかっとらんなあ。わざと何も印刷してないんやて」
「あ、わかった。レアもん狙いやな。ちょこっとだけ作って噂流しといて値を吊り上げるんや。それで一儲けしよいうセコイ魂胆やろ」
「んなわけあらへんやろ」
「あ、都市伝説なんちゃいます。噂には聞くけど実際には誰も見たことなくて、それを手にした人は一週間以内に死ぬとか。死にたくなかったらそのジグソーパズルを別の人に見せんとあかん言うやつでしょ」
「どこがロマンチックやねん。そやのうて普通に店で売ってるんやて。でな、買うてきたそれを組み立ててやな、イラストとかメッセージを書くねん。で、また全部バラして箱に戻してメッセージを伝えたい人に贈るいうわけや。受け取った人はパズルを完成させんとメッセージが読まれへんいう仕掛けや」
「うわぁ、めっちゃロマンチックですやん。大きな髑髏の絵にKILL YOU!とか書いて―」
「そうそう、ムカつく奴に贈ってな。受け取った奴はパズル完成させた途端ブチ切れる―って、どこがロマンチックやねん。しのぶちゃん頼むからあんたの清純なイメージ壊さんといて」
 吉田のおばちゃんはまなじりに涙を溜めつつ口をへの字に曲げてしのぶを見詰めた。
「いや、ウケるんちゃうかなて」
「ウケる意味がちゃうやろ。その状況で受けてるのんは果たし状や」
「バリキさん上手い。座布団一枚」
 指を一本立てて言って、しのぶは最後の餃子を口に運んだ。
「あの何かお魚の料理できます?」
 しのぶのリクエストに主人は首を縦に振った。バリキはまだ食べ足りないらしく「なんぞご飯もんを」と注文する。
「けど、吉田のおばちゃんってロマンチック好きなんですね」
 しのぶが変な日本語で言った。見かけによらずという言葉をバリキと主人は心の中で反芻した。
「そら夢見る乙女やもん」
 恥ずかしそうに体をくねらせると椅子がギシギシ軋む。目を逸らしそこねたバリキは慌てて目を瞑り黙祷するような顔つきになった。
「『純愛』とか『青春』いう言葉が大好きやねん。おばちゃんの愛読書な『富士見ファンタジア』と『コバルト文庫』やねんで」
「へえ」
 こと、ロマンチックとか恋愛という言葉には過剰反応するしのぶの目がうっとりと潤んだ。
「ハーレクイーンロマンスみたいなんは嫌いや。不倫なんて最低や。美しくないもん。おばちゃんは大恋愛の末に苦難と障壁を乗り越えて結婚してんで。なあなあおばちゃんのラブロマンス聴きたいやろ」
 すかさず「聴きとうない」と抗議しようとバリキは振り返った。が、しのぶは「聴きたいですぅ」と目を潤ませいてる。乙女二人の間では合意が成立した後だった。主人は冷蔵庫に物を取りに行くのにかこつけて心持ち乙女達から遠ざかった。
「あたしの初恋てな、中一の時やねん。結構遅いやろ。でもこれにはわけがある。小一の時のひっどいトラウマで小学校の間中、恋愛恐怖症になっとってんな。ま、あたしにいわせたら思春期より前の小学生が言うてる初恋なんて、そもそも恋のうちに入らへんねんけどな」
 三杯目の焼酎に口をつけながら酸っぱいものを呑み込んだようにおばちゃんは目を瞬かせた。
「うちの実家な戦前は神戸の西の方で大きな農家やっててん。まあ地元では名士言われる家柄や。戦後は、お父ちゃんが目端が利く人で農地改革喰らう前にさっさと財産整理してそのお金で日本料理屋始めてん。従業員が何人もいてる大きなお(たな)。お父ちゃん面倒見の良え人やったし、たちまち近所一帯のリーダーや。自治会長もやっててんで。小学校に上がった時分は昭和三十二年で、食糧事情もマシになってて店はよう流行っとった」
 焼酎のグラスを手の中で回しながらおばちゃんは照れたようにしきりに肩を揺すっていたが堪えきれなくなったみたいに「ぐふふふふ」とくぐもった笑い声を口から吹き出した。
「なんやねん。その食用ガエルみたいなドスの利いた笑いは」
「せやからな。あたしな料理屋のお嬢やってん」
 恥じらうように巨体を揺すった。
「ちっちゃい頃から蝶よ花よと可愛がられて。ま、実際可愛かってんけど。それに絵に描いたような優等生やったからクラスでも目立つ存在やった。足し算カードでも書き取りでも人に負けたことなかったし、運動やらせてもクラスで一番で、走るんかて男子に負けたことあらへん。参観日いうたら先生から朗読の指名されるような優秀な生徒やった。まあ、クラスのリーダーやな」
 『ボスやろ』おばちゃんに聞こえないようにバリキが主人に囁いた。
「けどな栄光の日々は長くは続かんかった」
 グラスを握るおばちゃんの手にぐっと力が籠もった。不穏に肩の筋肉が盛り上がる。
「あの悪魔が転校してきたんは二学期の始業式の日や。生田区の山手の方のお屋敷の子やってんけど親戚に預けられてとか言うとった。もやしみたいにひょろひょろしてて、背えばっかり高い男子やねん。あたしの隣の席になってんけど鼻でふんて笑ろたわ。ええとこのボンボンがこないにワイルドな学校でやってけるんかいって。頭は七三に分けてなんや良え匂いの整髪料付けてるし、着てるもんはいちいち私学の制服みたいにちゃきっとしてるねん。おまけに自己紹介で巨人ファンや言うた瞬間クラス中を敵に回した気がした。極め付きがそいつの名札や。名前の横に厭味ったらしうローマ字が書いてあってん。しかもいかにも自分で書きましたて見せつけるみたいに子供の字で。後で聞いた話やけど、父親が外務省に務めるお役人で家で習うとったらしい。けど、小学校の一年生がアルファベット読めるかいな。うわ、キザなやっちゃ思うて、そいつの下の名前に唯一読めるアルファベットがあったからそれを取って、エッチって綽名付けたった」
「なんやそのやらしい綽名は。だいたいなんでエッチだけ読めるねん」
「鉛筆のお尻に書いてあるやん。エッチとビーはわかるて」
 おばちゃんの前に黒い平皿が出された。が、おばちゃんは皿の上の料理を睨んだだけで箸を取ろうとはせず、また語り始めた。

 

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