今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第三夜 吉田のおばちゃんのラブソング
《5》

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   「ちょ、ちょっと何言うてるのん。今のは前振り。あたしの小学校の時のトラウマの話やんか。ラブロマンスはこれからやで」
「いや、前振りだけでも下手なスプラッタ映画より充分恐かった。これ以上聴かされて心臓マヒ起こしたらかなわん」
「えーっ、あたしラブロマンス聴きたいですぅ」
 しのぶが抗議の声を上げる。
「どうでも良えけど折角の揚げ(もん)がだいぶ冷めたで」
 主人に言われておばちゃんはようやく自分の注文がとうの昔に出されていたことを思い出した。
「ちょっと待っとり」
 主人は皿を取り上げて中身をフライヤに戻すと軽く温め直してくれた。改めておばちゃんの前に少し濃いめのキツネ色になった揚げ物が出される。
「これ何?揚げ餃子?」
「それに近いな。インドのサモサいう料理風に作ってみてん。餡は潰したジャガイモをベースに鶏のミンチと野菜の微塵切りを混ぜたもんや」
「戴きますう」
 おばちゃんはおちょぼ口になって一つ目を半分ほど齧り取った。
「うお、へっほう、はらい」
「何言うてるかわからへんで」
「結構、辛い言うてん。でも、系統のちゃう辛さやな。これはカレー系の香辛料や」
 自分も飲食店の主人のおばちゃんはレシピを探るように口の中で何度も噛みしめる。
「あら、なんぞ甘い粒が入ってるやん」
「レーズンや。アクセントになるやろ」
 納得顔で頷くとおばちゃんは四杯目の焼酎をリクエストした。
「で、いよいよあたしのラブストーリーや」
「おっちゃん、耳栓ないか?」
 バリキが泣きそうな声を出した。
「ま、今日は諦めてこれでも食べとり」
「お、ご飯もんて雑炊かいな。この真ん中の赤いのは何?」
 蓮華でかき混ぜながらバリキは主人に訊いた。
「チャンジャ言うて魚の内蔵のキムチやな。程よい辛さやと思うで」
「なんやお酒が欲しうなってくる味やな。おっちゃん熱燗ちょうだい」
「ほいよ」
 オーダーを受けながら主人はしのぶに黒い深鉢を出した。
「小鯵の南蛮漬けや」
 鉢の中にはキツネ色に上がった魚の姿揚げが漬け汁に浸っている。たっぷりと盛られた細切りの玉ねぎと人参の彩りが楽しい。ところどころに浮いている赤い鷹の爪を見ていると口に入れる前から唾が湧いてきそうだ。
「エッチのおかげで、あたしは小学校の頃は恋愛恐怖症になっとった」
 いきなりおばちゃんは語り始めた。
「男子に勉強で勝っても、運動で勝っても、喧嘩で勝っても、気の休まるヒマがなかった。いつ何時、校舎裏の花壇に呼び出されてバラを突き付けられるかわからんやん。普通にクラスの男子と喋っとっても、もしかしたらこいつ今背中にバラを隠し持ってるかもしれへんとか、ポケットから指輪出してきたらどないしよとか気になって、常時奇襲攻撃に備えなあかん異常体質になってしもてん」
「確かに異常体質やな。恋愛を怖がる理由が普通やない」
「中学に上がった時もこの哀しい体質をずっと引きずってて、あたしは『純愛』とも『青春』とも無縁の一生を送るんちゃうやろかと暗い気持ちになっててん」
 四杯目の焼酎に口を付けながらおばちゃんはまた、ドスの利いた含み笑いを始めた。
「勘弁してえな」
 バリキの泣き声をよそにおばちゃんは体を揺すって回想モードに突入していく。
「白馬の王子様が転校して来たんは一年の時。二学期の始業式やった。その人、一見してスポーツか武道で鍛えたんが分かるがっちりした体格でな。精悍なマスク、すらっとした背丈、ちょっと不良っぽい三白眼をうっすらと細めててそれがまたストイックな感じで良えねん。耕作ちゃんはまさにあたしのストライクゾーンど真ん中やった。しかもあたしが一心に祈ってたらなんとその人、あたしの隣の席になりよってん」
「うわぁ、そういう想いってやっぱり通じるもんなんですねぇ」
 しのぶが無根拠な感動の声を上げる。
「机の間を通ってあたしの席に近付いてきた時はもう心臓バクバクもんや。あたしのすぐ傍に立たはった時にそおっと見上げたらバチィって目が合ってしもてな。その瞬間世界がストップモーションになったで」
 バリキの脳裏に番長同士の目がぶつかって火花が飛び散るシーンがよぎった。
「で、ちょっとおどおどした声作ってな『こんにちは』って言うたら『うっす』ってぶっきらぼうなん。けどその言い方に気安さいうか温か味が籠もってんねんな。初っ端から馴れ馴れしい奴や思われとうなかったけど、やっぱり気になるやん。先生の方を気にしながら通路越しに小声で質問したんが二人の初めての会話。『どこ住んでんの?』とか『兄弟は?』とか『好きな食べ物は?』とか」
 四十年後にしのぶにした質問と大差がない。
「『北野』とか『一人っ子』とか『いや和食はちょっと中華の方が良え』とか必要最低限の言葉でぶっきらぼうに答える感じがまた良えねん。で、答える度につまらんこと言うてもたって感じでいちいちそっぽ向くねんな。シビレるやろ」
 目が遠くにタイムスリップしている。
「一目惚れしたあたしの目に狂いはなかった。耕作ちゃん、見た目威圧感あるだけやなくてバリバリのカリスマやった。面倒見は良えし弱い者いじめは絶対せえへんし、正義感が強いから間違ってる思うたら相手が校長でも喰って掛かっていきよった。たちまちクラスの人気者や。耕作ちゃんがクラス委員、あたしが副委員になった時どれだけ嬉しかったか。けど、不安も大きかった。多分、ライバルは多い。ここは慎重にことを進めんとあかん思うたな。ど真ん中の絶好球振り損ねて三振喰らうたりしたら泣くに泣かれへんやん。その頃のあたしな、背も百六十切るくらいで髪の毛はおさげにしてたから清純路線で攻めることにしてん。今のあたしからはセーラー服におさげって想像つかんかもしれんけど……」
 不本意にもその巨大なパーマが視野に入って安易に想像してしまったバリキは「うっ」と呻いた。
「自己紹介するやろ。学校の中案内するやろ。授業の進み具合説明したり、ノート見せたげたりする内にな気付いたことがあってん。耕作ちゃんなあたしにだけ話し方が妙に気安いねん。そら面倒見の良えとこはあって誰とも分け隔てなく喋るねんけどな、他の子と喋る時はちょっと威圧感があるいうか距離を置いた話し方になるねんな。それがあたしと喋る時だけは砕けてるいうか、気い遣うてもろてるいうか、とにかく優しいんや」
 サモサが一つ口に消え焼酎が一口煽られる。
「あたし思うたな。『こいつはあたしに気がある』って。それでもあたしは焦ってドジ踏みたくなかったから、ひたすら慎重に事を進めたで。クラス委員の立場を利用して休み時間も放課後もできるだけ一緒に時間作るようにして、下校も一緒、登校も最初は待ち伏せしててんけど途中から迎えに行くようになったりしてな。で、機は熟したと睨んだところで、お休みの日のデートをねだってん」
「積極派やったんですねぇ。格好良えわ」
「って、中一の話やろ。その時代、そんなもん周りが許さへんかったんちゃうん」
「あんたは風紀委員か。だいたいそれは誤った歴史観やで。十代で青春したいいう気持ちに時代は関係ないやん。どの時代でもちゃんと青春はあります。そら不純異性交遊がどうとか、処女性がどうとか、嫁入り前の娘がどうとか、婚前交渉がどうとかやかましく言う大人はたぶん今より多かったと思うけど」
「って、どこまでいってるねん。中一で」
「あほ、物の譬えや。今も昔も同じこっちゃ。要はバレさえせんかったら何の問題もない」
「そういうもんかあ?」
「ええ大人が何言うてるのん。十代の子供がそういうことに巧妙なんは昔っからやろが。それに時代は東京五輪の前の年やで。吉永小百合が『いつでも夢を』に出てて、御三家がおって、『こんにちは赤ちゃん』が第二次ベビーブームを煽っとった時代やで」
 最後のフレーズが引っかかる。
「世を挙げて青春しなさいて政府が推薦してるのにデートせんでどないする。……、でな。耕作ちゃんにさりげなく『映画とか観に行きたいな』と仄めかしたら、『今度の日曜に連れてったろか』言うてくれてん」
 間違いなく『さりげなく』ではなく『露骨に』だったとバリキは確信したが黙っていた。
「二年に上がる頃には学校でも公認の仲。進路も同じ高校目指そうて、毎日一緒に勉強してたなあ。耕作ちゃん理科と社会は得意やったけど、国、英、数があかんかったから教え甲斐があったわ。本番の入試では数学も国語も奇跡の如くヤマが当たった言うてたけど、それでも英語だけはどっしょうもなかった」
 おばちゃんの思い出し笑いはやはり野太い。
「スポーツ万能で空手と合気道やってたから喧嘩も滅法強かったけど、走るんはイマイチやったな。『東洋の魔女』目指してたバレー部におったからかもしれんけど、あたしの方がタイム良えくらいやったもん」
 おばちゃんの身長がここまで伸びた理由が垣間見えた気がした。
「中学の卒業式の後であたし、耕作ちゃんに校舎の裏の花壇に呼び出されてん」
「そのシチュエーションに不安はなかったんかいな」
「何言うてるのん。トラウマと一緒にせんといて。期待に胸膨らませて行ったわ。耕作ちゃん見慣れんギター抱えててな。『黙って聴いてくれ』いうてボブ・ディランの風に吹かれてを歌ってくれてん。ロマンチックやろ」
 しかし、その曲の歌詞は恋愛とは無関係である。
「歌い終わってな。『二十歳になったら一緒になれへんか』って言うてくれてん。あたしはもちろん二つ返事や」
「すっごぉ、ぶっ千切りのラブロマンスですやん。格好ええなぁ。羨ましいなぁ。あたしもあやかりたいわ」
「どうでも良えけど、それただの惚気話やん。苦難と障壁はどないなってん」
 言ってからバリキは慌てて口を噤んだ。
「心配せんでも今から話したるがな。結局なあたしが二十歳になった時に結婚したんは別の人やったの」
 

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