今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第三夜 吉田のおばちゃんのラブソング
《6》

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  「ええっ、なんでですのん?」
「いや正確に言うとな結婚させられてしもてん。高校上がってすぐのことやった。うちの実家は日本料理屋やったって言うたやろ。あたしのお婆ちゃん―お父ちゃんのお母ちゃんはそこの大女将に収まってはってん。店一番の権力者でお父ちゃんも頭が上がらん存在や。ある日、あたしが学校から帰ってきたらその大女将に呼ばれてな一枚のスナップ写真見せられてん。何や知らんけど見たことないぼうっとした顔の男の人が背広着て写っとった。あたしにその写真見せてな、お婆ちゃんが言わはってん。『その人でよろしいな』って。それでしまいやった」
「何がしまいやねん?」
「だから見合いが済んだちゅうこっちゃ。うちではお婆ちゃんがこうや言うたらそれは決定事項やねん。せやから、その一瞬であたしはそのよう知らん人と結婚することになって耕作ちゃんとは結婚できへんようになったいうこっちゃ」
 口をへの字に曲げておばちゃんはしょぼんと肩を落として言った。
「無茶苦茶やな。その話、百年くらいタイムスリップしてへんか」
「するかい。昭和四十年代の話や。ついでに言うとな、そないな話、二十一世紀の今でも行くとこ行ったらごろごろしてるで」
「ひっどぉ」
 しのぶがカウンターを力任せに叩いた。危うく南蛮漬けの鉢が引っくり返りそうになる。
「そないな話ありませんよ。本人の意思と希望はどないなるんですか。何様のつもりなんやその人。そんなん、お、おばちゃんも、耕作ちゃんも、か、可哀相過ぎますぅ……」
 語尾が震えて声にならず、しのぶは子供みたいにしゃくり上げ出した。隣のおばちゃんがそっと優しく肩を抱く。
「あんたホンマに良え娘やな。なあ、そない泣かんといて。もう済んだ話やねんから。おばちゃんまで哀しくなってくるやん」
 おばちゃんはぎゅっとしのぶの肩を抱きしめる。しのぶはおばちゃんの巨大な胸に顔を埋めて泣きじゃくり続けた。感動的な場面のはずなのだが、だらしなく緩んでいるおばちゃんの口元がバリキには気になった。と、いきなり万力のような抱擁から身を捩ってしのぶが顔を上げた。真っ赤に泣きはらした目できっかりとおばちゃんの目を見据えると機関銃のようにまくし立てる。
「今からでも遅くないです。抗議しに行きましょ。ね、やってみんとわかりませんやん。それであかんかったら耕作ちゃんとこに行って連れて逃げてて頼むんです。こうなったら駆け落ちしかありませんて。大丈夫、あたし成功例を知ってますからアドバイスできます。うちの両親も駆け落ちしたんです。ちゃんと逃げるテクニック教えたげますから。ね、善は急げですて」
 突然の告白に今度はおばちゃんがたじろぐ。
「いや、あのな」
「おばちゃんかて今でも耕作ちゃんのこと愛してはるんでしょ」
「そら、そうやねんけどな」
「だったら何をぐずぐずしてはるんです」
 しのぶは決然と立ち上がるとおばちゃんの巨体を引っ張り上げようとした。
「ん?ちょっと待って。おばちゃん確か、『大恋愛の末に苦難と障壁を乗り越えて結婚した』って言わんかったか?」
 バリキが記憶の糸を手繰る。
「言うたで」
「言うことは、おばちゃんの今の旦那って耕作ちゃんなんちゃうん?」
「そうやで」
 ケロッと言ってのけるおばちゃんに、バリキの肩は一気に下がった。呆然とした顔でしのぶが丸椅子にへたり込む。
「そやからなあ、しのぶちゃんの気持ちはありがたいけど今更駆け落ちを勧められてもなあ。もう結婚してるしどないしよかなって」
「そういう問題かい」
「しのぶちゃんもむっちゃ良え娘やねんけど、ちょっとそそっかしいわな。話は最後まで聞かなあかんて」
 さっきまでの感動の場面を綺麗さっぱりリセットして、おばちゃんはしれっと言った。その泰然と物に動じない態度は、おばちゃんの大物ぶりと年輪を感じさせる。
「どこまで話したっけ?ああ、そうや。で、写真見せられたあたしはパニックってその足で耕作ちゃんとこに駆け込んでん。話聞かせたら耕作ちゃん激怒しはってな。お父ちゃんに直談判したる言うてくれてん。男やなあって感動したで。けど何勘違いしたんか、高校生が素で行っても貫祿負けするやろ言うて蔵の中に入って行かはってん。耕作ちゃんのご実家、もの凄い金持ちやねんで。蔵はあるわ、門番はおるわ、っていうような家やねん。で、耕作ちゃん、蔵から甲冑と刀剣引っ張り出して来てそれで武装して家に来てくれてん」
「なんじゃそら」
「いや耕作ちゃんのお父さん骨董が趣味で」
「誰もそないなこと聞いとらへん」
「でも格好良いですぅ。愛する人のために甲冑着てくれるやなんて」
 しのぶが再び感動に目を潤ませる。
「いうか街中で捕まるやろ、普通」
「みなと祭り近かったしな。パレードの練習と間違えられたらしい」
 夫婦揃ってただ者ではない。
「で、どないなったん」
「いや、その格好やとやっぱり家入る時の挨拶は『頼もう』やわな。で、耕作ちゃんも料理屋の勝手口から入って―あっ、客商売に気い遣うてくれて正面から入らんとこが礼儀正しいやろ」
 いずれにしても迷惑な話である。
「『頼もう』て言うた途端、包丁研ぎに出て来たお父ちゃんと出喰わしよってん。お父ちゃんおっちょこちょいなとこあるからな。いきなりパニックってしもて」
 軒先に鎧武者が立っていたらパニックにならない方がおかしい。
「いきなり菜切り包丁振り上げて追い駆け回してん。耕作ちゃんは身の危険感じて回れ右して逃げ出してんけど、甲冑慣れしてへんし、それにあれむっちゃ重たいらしいな。前はよう見えへんしで、あっちにふらふら、こっちにふらふら、よろめきながら往来逃げて行きよった。あれは情けなかったなあ。酔っぱらった鎧武者が割烹着着たおっさんに追い回されてるみたいで」
「つくづく、よう捕まらんかったもんや」
「いや、みなと祭り近かったし」
 そんな趣向のパレードは普通ない。
「まあ、作戦の第一弾はあまりにも無計画やったんで頓挫した」
「まだ、他にも何かやったんかいな」
「当然やん。どっかから右翼の街宣車を調達して来てアジ演説やったで。しかも実家と婚約者の屋敷と両方で」
 単なる嫌がらせにしかなっていない。
「それから、耕作ちゃんな勤労学生であの頃休みの日は毎週工事現場で働いててん。神戸駅あたりで朝立っとったらダンプのおっちゃんが拾てってくれるらしいねん。で、一日働いてなんぼて日銭もらうねん。そやから工事の仕事仲間はぎょうさんおったんよ。ダンプで婚約者の屋敷に突っ込む計画を立てたらしいねんけど、誰も運転してくれるて名乗り上げてくれんかったらしい。根性なしやな」
 名乗りを上げていたら刑務所行きである。
「で、だんだんと切羽詰まってきたし、背に腹は変えられへん言うことで、耕作ちゃんのお父さんに二人で頭下げて中に入ってもらうようお願いしてん」
「なんか、ようやくまともな案やな」
「ところが、お婆ちゃんはけんもほろろやった。家の格でも財産でも耕作ちゃんのご実家はひけ取らへんかってんけど、『自分の決め事を誰ぞに覆される』いう文字はお婆ちゃんの辞書になかったからなあ」
 言っておばちゃんは焼酎を煽った。
「しまいに耕作ちゃんのお父さんの方がキレてしもて、息子にはもっとマシな嫁を取るいうて席蹴ってしもてん。逆効果もええとこや。あ、それからもちろん駆け落ちもやったで」
 それを聞いてしのぶが目を輝かす。
「『もちろん』なんかい」
「基本やん。けど、お婆ちゃんとあたしではレベルが違い過ぎるわな。悉く手の内読まれてて町内脱出する前に連れ戻されてしもた。元々、うちは女系ちゅうか女性のパワーがあり余ってる家系やねん。しかも時代を遡るほどやることが凄まじくてな。お婆ちゃんに比べたらあたしなんか純情可憐を絵に描いたような箱入り娘やった」
「そのお婆ちゃん、人間か?」
「それからな」
「まだあるんかい」
「耕作ちゃん、婚約者に果たし状叩きつけて決闘申しこんでんけどなあ。会うてみたら、どっしょうもないひ弱そうな男で話にならん。決闘を実行しとったら、ただの傷害罪か殺人未遂で鑑別所行きは目に見えとったから諦めざるを得なかった」
 目の前のグラスを見て自分が居酒屋にいることを思い出したみたいにおばちゃんはまた焼酎を煽った。
「あんまりしつこうに、あれやこれややったもんやから、お婆ちゃんもお父ちゃんもキレてしもてな。とうとう家に閉じ込められてしもてん。まあそうなったらただの高校生やもん。手も足も出んわな。耕作ちゃんとは連絡が取れんようになるし、あっと言う間に時間ばっかり過ぎて二十歳になった年にそのお見合いの相手と結婚させられたちゅうわけや。それに耕作ちゃんもあたしの結婚のすぐ後に誰ぞと結婚したって高校の友達から教わったわ。ヤケ起こしてないと良えけどって心配したなあ」
「ひっどぉ。やっぱりひどいです」
「ありがと。けど、長いこと生きとったらどうもならん時は何度かてあるもんやで。大事なんはそこからどうやって取り戻すかや」
「どないやって取り返してん?」
「あたしは何もしてへんで。いや、ほんまは毒でも盛ったろかな思うててんけどその必要なかってん。あたしと結婚した人な半年もせんうちに結核で亡くなってしまいよった」
「なんじゃそら。むっちゃ素朴な疑問なんやけど半年で亡くなったちゅうことは結婚した時点で結核やったんちゃうん?」
「たぶんそうやろ」
「よう誰も反対せんかったな」
「いけいけどんどんのUターン禁止みたいな一家やったからな」
「恐すぎるで、おばちゃんとこ」
「あたしが未亡人になったって聞きつけた途端、耕作ちゃんも反撃に出よってん」
「どないしたんや」
「愛人を作った」
 しれっと言っておばちゃんは焼酎を飲み干す。グラスを振って五杯目をリクエストする。
 

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