今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第一夜 夢見る頃を過ぎても
《3》

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「おう……、毎度どうも。……。今度の土曜か?ちょっと待って」
 器用に片手で手帳を出すと頁をめくる。
「よっしゃ空いてるで。何時や?……。伊丹のグランドな。けど、助っ人のギャラは高いで。……。あかんあかん。基本一万。……。戦術立案込みやて。あとは出塁数の歩合制や。二千でどない?……。かなわんなぁ。ほな中取って千五百。……。任しとき。俺が入ったら勝ったも同然や。ほなよろしゅう」
 携帯をしまうバリキの横でユウやんがその肩をつついた。
「バリキ、大っぴらにする話かいな。スポーツ賭博は違法やで」
「どこが賭博やねん。社会人野球の助っ人の正当な報酬やて」
 きょとんとしているしのぶにバリキが説明した。
「週末はたいがいどっかの社会人チームの助っ人をバイトでやっとるねん」
 『凄いですねえ』としのぶが感心したような声を上げる。
「しかし、相変わらずそのごつい体とミスマッチなセコい値段交渉しよるな」
 ユウやんが呆れ顔で言うが、バリキはどこ吹く風で携帯をしまった。
「ほい。今日の付け出しや」
 主人が三人としのぶの前に小皿を置いた。黒地の皿の上には正方形に切られた平たい料理が四切ればかり載っている。
「なんでしょうね。これは」
 センセと呼ばれたひょろりと背の高い男が不思議そうに箸でつついている。上半分は挽肉をベースにした焼き物で土台はトーストのようだ。ぷんと生姜の匂いがした。
「変わってるやろそれ。トーストの上に葱や生姜と合わせた挽肉を塗って白胡麻を振って焼いてるねん。中華風お節のオードブルやな。酒のアテやから味付けはちょっと濃いめにしてある」
 しのぶはキツネ色に焼けた中華風お節を一枚箸で取って口に運んだ。醤油をベースにした生姜と葱の風味が口に広がる。微かにごま油の香りがした。
「うわ、めちゃめちゃおいしい」
 嬉しげな声に主人は満足そうに目を細めた。男達もつられて箸を取る。見た目以上にボリュームのある肴は常連達にも好評だった。
「あ」
 二つ目を口に持って行きかけて、しのぶが声を上げた。男達の注目が再び集まる。
「あの……。あたし、そないにお金持ってないんです。お酒一杯だけ頂いて帰るつもりやったからお財布に千円入ってるきりで……」
 消え入りそうな声で言う。
「そないに心配せんでも大丈夫やて。この店の料理は、どれも二、三百円かそこらの安もんばっかしや」
 ユウやんがしたり顔で言う。
「安もんで悪かったな」
「助かってるて褒めてるんやん。そや大将、わしの奢りでしのぶちゃんに生一杯出したげて」
「ええ、そんな」
「かまへん、かまへん。ユウやんの場合どうぜ競馬で稼いだあぶく銭や。ありがとう言うてもろとき」
 バリキが横から茶々を入れる。「やかまし」と、ユウやんが肘でバリキを小突いた。
「ユウやんさんは……」
「うわっ、どないしょ。綽名にさん付けされたんなんか初めてや。ユウやんでええて」
「じゃ、ユウやんは名前にユウが付かはるんですか?勇次とか雄一とか」
「ちゃうちゃう。わしの本名は高橋洋三郎いうえらいカチッとした名前やねん」
しのぶが怪訝そうな顔になる。
「1991年の有馬記念のことや。惚れ込んだ関西馬がおってな。十四番人気やったけど勝つのはこいつやと信じてな。みんながメジロマックイーンを頭に流す中、単勝の一点買いで四万突っ込んでん」
他の男達の目は無言でそれは無謀だと言っている。
「予想通り先頭を走るマックにみんなが安心しかけたときや。内ラチ沿いに黄色い帽子がぶっ飛んできよった。そのままマックに並ぶ間も与えずぶっちぎりでゴール。あれだけのハイラップ踏んどきながら上がり3ハロンで三十六秒一のレコードやなんて奇跡みたいな数字出しよってん」
ユウやんは話に気を持たせるように言葉を切ってジョッキをぐいっと煽った。
「単勝で一万三千七百九十円の万馬券。五百五十一万六千円の配当や。で、それからは皆がわしのことを競馬の神さんて崇めるようになって、馬の名前にちなんでユウやんて呼ばれてるねん」
ユウやんの長々しい説明を呆気にとられて聴いていたしのぶは「凄いんですねえ」と感想を述べた。が、話の内容を理解できているとはお世辞にも言い難い顔付きだ。ジョッキを空にした彼女の前に新しいジョッキが出された。しのぶは「あ」と声を立ててユウやんを見遣る。ユウやんは照れ隠さそうに手をヒラヒラと振った。
「ごちそうになります」
と言って軽く頭を下げ、しのぶはジョッキを傾けた。
「けど。ユウやんが万馬券を当てたんはあれ一回きりやん。せやのにいつまでたっても二頭目のダイユウサク期待して穴ばっかり狙うから、仲間内でも呆れられてユウやんて呼ばれるようになったって聞いたで」
 バリキの茶々をユウやんは聞き流す。いきなりユウやんの隣のセンセが立ち上がった。
「二人が自己紹介したとなれば、遅ればせながら私も自己紹介せねばなりますまい」
 芝居がかった口調でそういうと、何を思ったのか後ろ手を組んで歩き始める。
「私は大学で物理学の教授をやっています。それで、皆からはセンセと呼ばれています」
「まんまやな」
 主人が口をはさむ。
「あのう……、なんで歩きながらしゃべらはるんです?」
 しのぶが不思議そうな顔をすると、
「あ、お気になさらず。説明するときの癖です」
 センセはカウンターの端までくると、がばっと回れ右をしてまた歩き出す。
「気になさらず、言われたって後ろ歩かれるこっちは気になるわいな」
 ユウやんの物言いをものともせず―というよりまるで聞いておらず。センセは続けた。
「ただ、大学では別の通り名があります。学内で起きる失せ物、いざこざ、謎、事件をその卓越した推理でたちどころに解決する名物教授。人呼んで」
 センセはビシッと右腕を伸ばし、人指し指でしのぶと主人の中間辺りを指した。やはり、クリストファーロイドの生霊が降りてきている。
「理学棟のホームズ!」
「はいはい」
 バリキが手のひらをひらひら振って応える。
「しのぶちゃん、こんなんでびっくりしとったらあかんで、この前なんか……」
「アカンてバリキ、言うたらまたやるやん」
と、ユウやんが止めに掛かったがセンセは我が意を得たりと、壁のコートを羽織ると襟を立てて首のところで裾をつまんだ。
「フフフフフ。ショッカーを裏切ったお前たち。裏切り者は裏切り者で始末する」
 いきなり掠れた声でしゃべりだす。
「あの、ええと、これはなんなんです?」
「私の名を知らんのかね。その情報不足を後悔する日が来るだろう。私の名はショッカーにその人ありと謳われた死神博士だ」
「しのぶちゃんが知るはずないやん」
「いや、死神博士は知ってますけど」
「知ってるんかいっ」
「常識ちゃいます?ゾル大佐の後任で日本に異動になった人。その正体はイカデビル。やってはったのは天本英世で……って、そうやなくてこれはなんなんです?」
「だから自己紹介」
 まだ、センセは死神博士のままだ。
「どこが自己紹介やねん。ま、センセややこしいから座りぃや」
 センセは素直にコートを脱ぐと席に戻った。
「と、酒が入ると変身するお茶目なところはありますが、大学教授であることは歴然たる事実です」
 事実であることの方がなんだか怖い。
 ひと通り自己紹介を終えた形の三人は、申し合わせたようにしのぶの方を見た。
「えっ、あたしですか?いえいえいえ、あたしは人さまにお聞かせするようなプロフィールは何も持ってません」
 ふためいて、しのぶは顔の前でさかんに手を振る。
「ま、呑み屋で人の素性を聞くなんてのは野暮いうもんやで」
 主人が助け船を出した。
「もっともや。なんや話ひっぱってしもて何も注文してなかったやん。めっちゃ腹減ってるねん。そや、おっちゃん俺からもしのぶちゃんに誕生祝いや。何か一品出したって」
「いえ、そんなことしてもろたら申し訳ないです」
 しのぶは慌てたがバリキは「かまへん、かまへん」というばかりで取り合わなかった。
「ええと、空きっ腹に呑むと良うないから何か腹にたまるもんがええんとちゃうかな。今日のメニューはなんやろ」
 言ってバリキが主人の背後を覗き込む。つられてしのぶもそちらを見遣った。壁にはホワイトボードがぶら下げてあってこう書かれていた。

 お品書き
 謹賀新年 亥年

「相変わらず愛想のない品書きやなあ。知らん人が見たら訳わからんで」
「というか、私達が見てもわかりませんよ」
 主人はしのぶの方を向いて解説した。
「うちの店はレギュラーメニューがほとんどなくてな、出す料理は俺のフィーリングと仕入れの中身で毎日変わっていくいうシステムやねん。プレゼントの箱開けるみたいに楽しんでもらお思うてな、ここには敢えてテーマしか書かんことにしてるいうわけや」
「どない考えても手抜きとしか思えんけどな。ま、適当に揚げ(もん)が欲しいとか、何かさっぱりしたもんとかいうたらテーマにちなんだ料理を(こしら)えてくれるいう仕組みや。メニューは大雑把やけど出てくる料理は間違いないから安心し。で、謹賀新年亥年って何?」
「お正月らしい料理と干支にちなんで豚肉の料理いろいろやな。なんぞボリュームのある料理か……。角煮の出来が良えねん。それ出そか」
「あ、俺も同じやつな」
 バリキの注文に主人は「はいよ」と背中で返事をした。いかにもお節料理らしいものをというセンセ、何ぞ揚げ(もん)がええなというユウやんの注文に小気味良く応えて主人は包丁を握った。ようやく店が動き出した塩梅(あんばい)だ。

 

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