今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第一夜 夢見る頃を過ぎても
《6》

「Gの書斎」に戻る


 

「おもろいやんか。しのぶちゃんの推理を聴かせてもらおうや」
「私も是非伺いたい」
 四人の男達の視線を浴びて、しのぶはぎゅっと体を縮めた。それをほぐすためのようにビールを一口。
「あのその前にいくつか知りたいことがあるんですけど」
「何なりと」
「わたし、池袋という街に行ったことがないんですけど、その本屋さんの近くに公共の図書館とか、無料で使えてゆっくり座れるような場所はあるでしょうか」
「教授会で上京した際に何度か行きましたが、なかったように思います」
 しのぶはこくんと頷くと続けた。
「正確にはその出来事があったのは何年のことですか」
「私が二十三の年でしたから、1980年ですね」
「あとふたつ。五十円玉の枚数が他の両替の単位、たとえば二枚で百円とか、十枚で五百円とかだったことはないでしょうか。それと、一枚多くて二十一枚だったり、一枚足りなくて十九枚だったりしたことは?」
 ちょっと待って。と断ってセンセはポケットから携帯電話を取り出した。アドレス帳を操作して耳に当てる。呼び出し中……
「もしもし、―さん。いやいや小山さんになったのでしたね。えっ、こやまじゃなくておやま?あ、失礼しました。ええ、吉岡です。先日はどうも楽しいお話を聴かせて頂いて。いやいやこちらこそ。ところでね、ほら例の五十円玉事件のことで教えて頂きたいのです」
 センセはしのぶの質問を伝えた。二、三分の短いやり取りを終えて電話を切るとしのぶに向き直る。
「五十円玉はいつも二十枚だったそうです。二枚や十枚だったことは一度もなかったし、過不足にしても一度も多すぎたり少なかったりということはなかったそうですよ。ついでに図書館の件も聞いてみましたがやはりないとのことです」
 それを聴いてしのぶはこっくりと頷いた。
「ちょっ、ちょっと待った」
 口を開きかけたしのぶをユウやんが止めた。
「ええ酒のアテができた。おいバリキ、お前も一枚噛め。しのぶちゃんの推理が当たるかどうか賭けよやないか」
「あのなあ、どうやって判定するねん。二十七年も前の事件やぞ」
 バリキまで事件扱いし始める。二人がやりとりしている間にしのぶは唐揚げをポン酢に浸けて口に運んだ。
「わたし、ほうぼうって初めてなんですけど、すごく淡白で上品なお味なんですね」
「ま、見た目が不細工な魚ほど旨かったりするからな。唐揚げやったらフグの上行ってると俺は思うで」
 しのぶは、ほうっとため息をついて主人の言葉に頷いた。
「そや、大将に判定してもらお。どうせ事の真相は分らへんのや。説得力があるかどうかで決めてもらおやないか。ええとほな、わし正解する方にビール一杯」
「また、せこい賭けやなあ。それに俺かてしのぶちゃんの正解する方に賭けるから勝負にならんやん。そやなあ……、不正解やったらオッズ2倍、ビール2杯でどうや」
 バリキの申し入れも、どっこいでセコい気がする。
「うーん」
 たっぷり十秒は間を取ってから、
「うっしゃ乗った。不正解に一票」
 穴狙いの食指が動いたのか、ユウやんはしのぶに向かって片手拝みしながら宗旨変えした。
「ほいおまち。ボリュームがあってさっぱりしたもんちゅうことで、洋風お節の定番ローストビーフの冷製や。自家製やで」
 主人がスライスしたローストビーフに黒いソースをかけてバリキの前に置く。皿の端に添えられているのはお約束のホースラディッシュのようだ。
「ふっふっふ、かかったな。勝負師言うもんはオッズに惑わされたらあかんのちゃうか。これと思うた馬にとことん……」
 さっそくローストビーフを口に持っていきながらバリキが鼻で笑う。
「あのな、しのぶちゃんは馬か。しのぶちゃん、バリキはほっといて早よ始めてえな」
 頷くしのぶの前に新しいジョッキが置かれた。
「え、あのわたし」
「それは私の奢りです。お誕生祝いということもあるが、どんな話が聞けるかワクワクしてきました」
 センセは穏やかに笑った。
「あの、ほんとにそんな大げさなお話じゃないんです。もしかしたら、こういうことかなって思っただけで。どうしよう……。見当外れだったらごめんなさい」
「ええて、ええて。で、どんな犯罪が行われててん?殺人か、窃盗団か」
「いえ、別に犯罪とは関係ないと思います」
 三杯目になるビールを一口含んでから、しのぶは覚悟を決めたように話しだした。
「さっきバリキさんがこの話のポイントをこうおっしゃいましたよね。どうして土曜日のおじさんはそんな沢山の五十円玉を持っていたのか。どうして、本屋さんで千円札に両替えするのか。って」
「ああ、言うたな」
「問題を解き難くしているのは、謎が出揃っていないからじゃないかなとわたし思うんです。このお話には他にもはてなって感じることがありますよね」
「具体的にはどう言うことでしょう」
「一つは、五十円玉はなぜいつも二十枚だったのか。五十円玉の一番小さな両替の単位はいくらでしょう」
「二枚やな。百円玉と両替できる」
「じゃあ、お札だったら」
「二十枚で千円やろ」
「いいえ、今でしたら確かにそうですけど1980年ですよね。五百円玉が発行されたのは1982年、本格的に流通しだしたのは1983年です。あの頃は岩倉具視の五百円札が使われていましたから十枚で五百円札と両替できます」
 男達はまじまじとしのぶを見詰めた。
「えっ、間違ってました?」
「そやのうて、何でそないなことがすらすら出てくるねん」
「だって、常識なんじゃあ……」
 言葉尻が消え入りそうになっていく。
「まあまあ、続けてください」
「はい。わたし達は十進法で、つまり十を一括りにして生活していますよね。一概にそうとは言えないかもしれませんけど、その五十円玉も十枚の方が分かり易い気がするなあって。でも、実際にはいつも二十枚だった。ということは、おじさんの手持ちが二十枚と決まっているのか、千円札を手に入れることに意味があるのかなと思ったんです」
 さらに、ビールを一口。
「もう一つはてな?と思ったのは、おじさんはどこでお金の枚数を数えたんだろうということです。二十枚の五十円玉って、結構かさばりますよね。だから、道端に立って片手に広げて、もう片手で数えるのって難しいんじゃないかなと思ったんです。でも、その辺りには図書館のように無料でゆっくり座って五十円玉を数えられる場所はなかったみたいですし、わざわざ喫茶店に入ってというのも五十円玉を両替に行くおじさんの行動とちぐはぐな気がします。一枚でも足りなかったら両替できないわけですから不安にならなかったのかなって思いました」
「家で数えて来たんとちゃうか」
「そうかも知れません。でも本屋さんの前まで来たら不安になるのが人情だと思いませんか。けど、お店のそばでは数えられていないはずなのにおじさんはさも当然といわんばかりの仕種で五十円玉を差し出していますよね。どうして枚数に間違いがないって自信を持っていたのかしらというのが二つ目のはてなです。だから謎は四つあるんです」
 しのぶはきちんと箸を置くと居住まいを正した。両手を顔の前で組んで焦点の合わない眼差しで宙を見つめ、何となく笑ましげに口の端をあげると一呼吸置いて話し始めた。
「おじさんの動機はわたしにはわかりません。ですから今から話すお話は半分はわたしの空想です。……どうせならロマンチックなお話にさせて下さい」
 何を想っているのかしのぶは少しうっとりした口調になる。
「ここに一人の男の人がいます。年は四十半ば。1980年に四十半ばということは戦前の生まれです。性格は生真面目で几帳面。悪く言うと少し神経質なところがあります。独身か、男やもめで独り暮しです」
「なんでそないなことが……」
「まあまあ、ですからしのぶさんの空想なんですよ」
「ああそうか」
「身なりから想像するのはとても失礼ですけれど、生活は食べるに困るほどでないにしても、あまり豊かではなかったのではと窺えます。ある日、彼は友達に連れられて池袋にあるお洒落なレストランに行きます。そこでお店のウエイトレスさんに恋してしまうのです」
 ぶっ、とバリキがビールを吹いた。
「せやから、しのぶちゃんの空想やて」
 ユウやんがバリキの肩をどやしながら言った。しのぶはやや焦点の合っていない遠い眼差しで続ける。
「彼は、また彼女に会いたいと考えます。でも、そのお店は一品料理でも千円からのお店。普段の生活を考えると厳しかったんじゃないでしょうか。あるいは、戦前生まれの人にとって一食に千円ものお金をかけるということ自体非常識に感じられたのかもしれません。でも彼女には会いたい……。そこで彼は生活を切り詰めてお金を貯めることを思い付きます。お金が貯まったらまたあの店に行こうというわけです。生活費の中で日々必ず出費があって切り詰め易いのは食事ですよね。小さい頃から躾られた習慣で彼は一日三食をきちんと食べる人でした。けれど、男子厨房に入るべからずの世代ですから自炊は論外、作ってくれる奥さんもいない。当然毎日三食とも外食になります。その時に受け取るお釣りからいくらか除けておくというのが彼の倹約法だったんです」
 三人の男は黙ってしのぶの話を聴きながら時折、肴と酒を口に運ぶ。
「百円ではきつ過ぎる、十円ではいつのことになるか分らない。それで五十円にしたんでしょうか。あるいはごく日本人的に真ん中を取って五十円という単純な発想だったのかもしれません。ともかくおじさんは倹約を実行に移しました」
「例えば、朝ご飯に一番安いモーニングセット。トーストとコーヒーだけで百五十円。二百円払えば五十円のお釣りで、これを除けておきます。お昼、ラーメン一杯二百三十円。三百円払えばお釣りは七十円。五百円なら二百七十円。ここからまた、五十円を除けます。夜、餃子定食三百五十円。四百円なら五十円のお釣り、五百円なら百五十円のお釣り」
 しのぶは歌うように続けた。
「そんな風にして、日曜日の朝から始めて五十円ずつ貯めたとしたら土曜の夕方には五十円玉はいくつになっているでしょう」
 三人の男達が暗算を始めるより早く、主人があんぐりと口を開けた。
「二十枚や」
 しのぶがにっこりと笑って頷いた。
「だから二枚でも十枚でもなく五十円玉はいつも二十枚だったんです。そしておじさんは枚数を数える必要はなかった」
「毎食確実に五十円玉を除けていったら、数えるまでもなく、そこに五十円玉が二十枚貯まっとるいうわけか」
 ユウやんがぼそっと言って湯割を煽った。
「最初に気付いたのは数の問題なんです」
 しのぶはジョッキを持ち上げて少しビールを飲んだ。
「きっかり一週間の周期。必ず二十枚の五十円玉。もしかして、これは単純な算数の問題なんじゃないかなと考えたんです。一週間は七日です。七日で二十枚、あと一枚多ければ丁度割り切れるのにって考えていて、『あっ、そうか土曜の夜は両替した千円札を使うと考えて一足せば良いんだ』と思い付きました。そうするときちんと割り切れて毎日三回、五十円玉が一枚ずつ増えていくことになります。一日に三回と言ってすぐに思い浮かぶのは食事ですよね。だから、ご飯を食べる度に五十円玉が増えていったと考えるとすっきりするなあって……」
「成る程、それで飲食店のお釣りの中から五十円を除けておいたのではないかとなるわけですね」
「ええ、人と人がお金のやり取りをするということがポイントなんです。自動販売機を使ったりすると十円玉が五枚のお釣りが返って来る事がありますよね」
「あるある、わしあれ腹立つねん」
「でも、お店でお釣りを受け取るときは余程のことがない限り硬貨の枚数が多くならないようにお店の人が気を配ってくれます」
「でも、それやったらそのおっちゃん、両替しに来る必要なかったんちゃうか。五十円玉二十枚でも千円やねんから食事はでき……、ああそらそうか。好きな娘の前で小銭じゃらじゃら言わせるんは格好悪いわな」
 バリキの言葉にしのぶはこくんと頷いた。
「五十円玉二十枚でも千円のお料理は食べられます。でも、おじさんはそうしたくなかったか、できなかった。どうしてかなと考えていて、もしかしたらそうするのが恥ずかしかったのかもしれないと思ったんです。だから、おじさんが両替した千円札を使いに行く場所にはそう言った気兼ねをする人がいるんじゃないかなと思って……」
 しのぶはふうと息を吐き出して話を終えた。店の中はしんと余韻のような沈黙が訪れた。炭火の上で回っているドラフトの換気扇の音がやけに耳に響く。
 ユウやんがグラスを置く音が響いた。
「大将、バリキに生一杯注いだってくれ。わしの奢りや」
「あ、あのでも、これ全部わたしの想像ですから……」
 しのぶがふためいて、半分腰を浮かせる。
「いや、大将に判定してもらうまでもない。わしは納得いった。そら、今となってはそれが正解かどうかは確かめようはないけど、筋は通ってるわ」
「ええ、とてもユニークな発想です」
 センセも頷いた。
 言われたしのぶは自分が恋する娘のように真っ赤になる。
「ん?そういえば、さっき謎が解けたときになんやくつくつ笑ろとったな」
ふと思い出したようにバリキが言った。
「確かに今の話は筋が通ってたと俺も思うで。けど、これのどこがおもろいねん」
 男達の視線が又しのぶに集まる。しのぶの頬がますます赤くなる。
「あの……。ホントにつまらないことなんです。ただ、そのおじさんの仕種が何となく可愛いなと思って」
「っていうと」
 代表して主人が合いの手を入れる。
「こんな想像をしたんです。四つか五つくらいの男の子が母の日にお母さんにカーネーションをプレゼントしようと思い立ちます。お爺ちゃんの肩を叩いて十円。庭のお掃除を手伝って十円。お使いに行って十円……そんな風に毎日、毎日、もらったお駄賃を小さな貯金箱に貯めていきます。母の日の朝。貯金箱の底の蓋を外して、お金を畳の上に広げて。それを小さな両手一杯にぎゅっと握った坊やは靴をつっかけて商店街の花屋さんに走っていきます。いらっしゃいって、声を掛けてくれた花屋のお姉さんの目の前、カウンターの上にざざあって全財産を広げて坊やはこう言うんです。『カーネーションください』―なんだか、その姿と土曜日のおじさんがダブって……」
 しのぶは紅潮した頬に手を当てた。
「もちろん、坊やのお目当てはカーネーションを買うことなんですけど、その前に誰かに自慢したくて仕方がない気持ちが仕種に現れていませんか。『みてみて、ぼくこんなにいっぱい貯めたんだよ』って。気が急いていたから仏頂面をしていたのでしょうけれど、本心はもしかしたら土曜日のおじさんも同じだったのかなって……。そう考えながら本屋さんのカウンターで五十円玉を広げている姿を想像したらなんだか可愛くって」
 しのぶは一頻りまたくつくつ笑って何か言いかけたが、思い直したように口を噤むとビールを煽って一息に飲み干した。男達は二十歳になったばかりの少し風変わりな娘の呑みっぷりを呆気にとられて見ていた。
「あの、今度こそ。自分のお勘定でビールを一杯お願いします」
 しのぶはジョッキーを差し出した。

 

「Gの書斎」に戻る
inserted by FC2 system