今宵、酔鏡(すいきょう)にて
第四夜 ユズラレハの伝言
《3》

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「それも、死人憑(しびとつき)のような怪談めいた噺を聞いたり読んだりするのが好きなちょっと変わった子供でした」
「そんな噺聞かされたら、わしやったら夜中にトイレに行けんようになっとったけどなあ。バリキはそういうのも平気なんか?」
「あたりまえや。おれにこわいもんなんか、あるかい」
 バリキはユウやんから目を逸らして言った。
「なに台本棒読みしてるねん。わかり易いやっちゃなあ」
「あ、電話をかけないといけないのでした」
 そそくさと携帯電話を引っ張り出そうとするバリキにユウやんが離れた席から裏手ツッコミの真似をする。
「小芝居やめい。ほら見てみい。ちゃんと怖いもんがあるやないかい」
「なんのことでしょうか?」
 再び何の前触れもなく店の格子戸が音を立てた。バリキが『ひぃっ』と喉を鳴らす。上下に揺すられながら細く格子戸が開き生暖かい風が流れ込んでくる。いきなり(うなじ)を撫で上げられたような気がしてバリキは大きく身震いをした。その狭い隙間から身を滑らせるようにひょろりと背の高い男が店に入ってきた。銀ぶちの丸眼鏡をかけた大正時代の書生のような風情の男である。
「似たような喋り方しはる人が来はったで」
 ユウやんが山下に説明するように言う。
「なんだかひと雨来そうな感じですよ。やけに蒸し暑くてそれに風がない」
 センセはビールを注文しながら言った。
「外まで笑い声が聞こえてましたけど何か楽しいことでもあったのですか?」
 センセはブリーフケースを脇に置いてバリキの隣に座った。
「ええとこ来はったわ。な、センセ聞いたって」
 ユウやんはにやにや笑いながらバリキの方を見遣って言う。
「いや、すっかり夏やねいう話をしてたところでな……」
 慌ててバリキが割り込む。
「そうそう。すっかり夏やし、一つ百物語でもして涼もかて言うてたところやねん」
 意地悪くユウやんが引き継ぐとセンセはわが意を得たりとばかりに頷いた。
「ほう。それは間が良い。丁度面白い話を聞いたばかりでしてな。聞きたいでしょう?」
 センセの口調はなぜか途中からおどろにしわがれ、『聞きたいでしょう?』というフレーズは疑問文と思えない強制力を感じさせた。
「ちょっ、ちょっと待て。なんで急に『あなたの知らない世界』にならなあかんねん」
 センセは幽鬼のごとく体を揺すってバリキの背後に立つとしわがれた声で囁いた。
「夏だから」
 背中に定規を差し込んまれたようにバリキの背筋がピンと伸びてそのまま硬直した。
「知人が先月引っ越しをしましてね」
 センセは素に戻ると丸椅子に腰を下ろして殊更深刻めかした口調で語り始めた。
「少し落ち着きのないところのある人物なのですが、荷物の片付けも早々に近所を探検がてら散歩にでかけたんだそうです。真っ先に向かったのは公民館の中にある図書館。本の虫のような男ですから。が、公民館の前まで来てみたら脇に小さな美術館が建っていた。『水墨画展』というフレーズに惹かれて何の気なしに中に入ったんだそうです」
 喉が渇いていたのだろう。出されたジョッキを一気に半分ほど干してセンセは続けた。
「美術館の中は少々黴臭くて、やけに照明が暗い上に人が誰もいなかった。薄気味悪くなってすぐに出ようとしたらしいのですが、壁の隅にかかった一枚の絵が目に止まった」
 記憶を手繰るようにセンセは目を細めた。
「まるで手招きされるように彼はその絵に引き寄せられて行ったそうです。四号か五号くらいの小さな絵、丁度そこのパステル画くらいのサイズですかね」
 センセは振り返ると壁の絵を指した。
「『上海』と味気ないタイトルが付いた中国の路上の風景画なのですが、取り立てて目を惹くような技量の絵でもないのに見る者を去り難くする不思議な引力があったそうです。よく見ようと絵に顔を近づけたら額に嵌めたガラスに背の高い男が映っている―。そう、自分のすぐ後ろに男が立っているんです」
 センセはまたジョッキを傾けてビールを流し込む。よほど暑かったと見える。
「ぎょっとして彼は振り返ったが誰も立っていなかった―」
 「ひぃっ」とバリキが絞め殺されそうな悲鳴を上げて丸椅子をガタつかせた。
「慌てて正面を向くとやはり痩せた男が映っていてじぃっと彼の背中を見ているのです。あ、どうも」
 センセは冬瓜の小鉢を受け取りながら空になったジョッキを主人に渡した。
「彼は改めて絵の構図を見ました。古めかしい中国の街路に荷馬車や人力車の往来を挟んで人が行き来している。道端には屋台のもの売りの姿も見える」
 気を持たせるようにセンセは言葉を一旦区切って、改めて口を開いた。
「不意に彼は『それ』に気付いた。その屋台の脇に人民服を着た背の高い男が立っていて、じっと彼を見ていたんだそうです」
 センセが黙ると店の中は思いの外静かだった。
「ふっと彼と目があったかと思うと、絵の中の男はすぐさま目を逸らした……ような気がした。気が付くと硝子に映る影は消えていたそうです」
 店はまた静かになる。
「ええと、なんかちゃう話しよか」
「まあ待ちや。そういう話って後日談があったりするんちゃうん?例えば、その知人が次の日から行方不明になったとか」
「あのねえ。だったらどうやって私はこの話を聞いたのですか。彼はピンピンしてますよ。ただ……」
「ただ?」
「会社の中国進出が決まったそうで、立ち上げスタッフとして来月から一年間上海に行くことが決まったそうです」
 店の中の静けさが湿り気を帯びてきたような気がした。
「なんや下手な怪談より怖いな。無事帰って来はることを祈っとこ」
 ユウやんはお題目を唱えるジェスチャーをしかけたが、ふと隣の山下を見て声を上げた。
「げっ、何食べてはるの?」
 山下の前に黒い小鉢が出されていて、三センチほどに切った魚の骨がこんもりと盛られていた。
「大将、いくら何でも魚の骨で商売するか?」
「おいしいですよ。これ」
 山下に勧められてユウやんも一つ摘ませてもらう。
「あっ、イケるわ。これ何?」
(うなぎ)の骨を揚げたもんに軽く塩胡椒してるねん。原価はめっちゃ安いし、良え肴になるやろ。ほい冷汁どうぞ」
 大振りの椀がユウやんの前に出される。
()はいろいろやねんけど、今日は鯛のアラで出汁取ってズッキーニと合わせてみた」
 一口飲んだユウやんは、すかさず『軽めで良えから熱いご飯』とリクエストした。バリキの目の前には丼に入ったそうめんが出てきた。つけ麺ではなく、ぶっかけのスタイルらしい。変わっているのは、そうめんの上にこんもりと肉味噌が盛られ、その周りを短く刻んだ白菜のキムチが囲んでいることである。
「そうめん版ジャージャー麺ってのを作ってみてん。よう混ぜて食べて」
 言われずとも箸を突っ込んでわしわしと混ぜていたバリキは、さっそくかき込むようにそうめんを手繰る。
「辛ぁ。けど、ラーメンよりさっぱりしてて良えわ。それにこの肉味噌、なんやろ……、変わった香りがあってクセになるやん」
「セロリをちょこっと入れてるねん。全体を和中韓のアジアンテイストでまとめて、洋の隠し味で〆てますいう仕掛けや」
 隣のセンセも胃を刺激されたようで、何かボリュームがあってさっぱりしたものをと、我が儘な注文をした。主人は『それやったら』と言って、冷蔵庫を開く。今日の料理は冷蔵庫から出てくるものが多いらしい。
「あと、強めの日本酒があれば頂きたいのですが」
 センセにしては珍しいリクエストである。
「変わったところで日本酒の凍結酒呑んでみはります?原酒を使うてるから普通の日本酒より度数がちょっと高めですわ」
 センセが頷くと主人は細身の硝子のボトルを出した。プルトップの栓を抜くと木の匙を差して、空のオールドファッションドグラスと一緒にセンセの前に並べる。
「火入れしてない生の原酒を瞬間冷凍してはるんやそうです。普通、しぼりたての生酒は蔵元まで行かんと呑まれへんねんけどそれが家でも楽しめるいう仕掛けですわ。シャーベット状になっとるから、ちょっとずつ崩してグラスに移して呑んでみて。で、これがさっぱりしてボリュームのある肴や」
 白い平皿に大葉が一枚敷かれていて輪切りになった白い肉が盛られている。
「自家製のハムやねん。鶏の胸肉使うてるからあっさりしてる。山葵(わさび)醤油で食べてみて」
 主人の声に被るように店の格子窓が突風に煽られて盛大に硝子を震わせた。窓の隙間から漏れ入る空気は真綿のように重く、微かに湿り気を帯びている。雨が近いらしい。
「怖い話言うたら、知り合いがお遍路さんに行った時にえらい怖い目に遭うたんやて」
「ちょっ、ちょっと待て。まだ続くんかい。山下さん、なんか言うたって下さいよ」
「いや、私からはなんとも」
 山下は曖昧に笑った。
「まあ遠慮せんと聞き。六十年くらい前の話やから終戦直後やな。経緯(いきさつ)はよう知らんけどその人、お仲間と何人かでお四国さん回らはったんやて。もちろん歩きやで。毎朝四時に起きて、日も上らん内に出発して、お寺からお寺へ回って行くわけや。で、日が暮れたらお寺の宿坊いうんか、そこに泊まるねん」
 ビールを空にしたユウやんはジョッキを振って焼酎のロックを頼んだ。
「まあ、そうやって回り始めて何日目かのことや。慣れん運動して疲れが溜まっとったんやろな。朝から具合が良うないなあって感じてはったらしい。頭がぼうっとしてお腹も空かへん。お寺で出してくれた握り飯も食べずじまいで出発した。後から考えるとその体力が落ちてるところを
(たち)
の悪いモンに見込まれたんちゃうかて言うてはったわ」

 

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