【ひとこと】

 男3人、女1人という顔ぶれでスキーに行ったとき時間潰しに立ち寄った喫茶店のおか
みさんがとっても美人だったのです(年の頃なら40半ば。ちなみにマスターは髭面の山
男みたいな人でした^^;)。男3人は急に寡黙になり、店を出た途端になぜあんな美人がこ
んな片田舎の喫茶店を切り盛りしているのかと言うことについて議論し合いました。紅一
点が大いにむくれたのは言うまでもありません^^;。
 で、たとえばこんな物語を...

             山鳩亭

 その店は温泉とスキーで賑わう雪深い村のはずれにひっそりと建っていた。ちょうど、
小腹の空いていた私は気紛れに雪が凍って滑り易くなっている階段を用心深く上がった。
 「山鳩亭」――扉の上の看板にそうあった。看板の上に何か小さな飾りが付けてあるら
しく、夜目に黒い影を作っていた。
 「いらっしゃい」
 扉が大きなきしみをたてて五十がらみの髭面の親父が顔を上げた。
 「何か夕飯になる物をもらえないかね」
 気さくな笑顔を見せて近づいてくる親父はメニューを開いて見せてくれた。温泉街では
あまりお目にかかれないような洋食がずらりと並んでいて私を驚かせた。
 「このラザニヤの悪魔風というやつを」
 黙って頷くと親父は奥へ引っ込んだ。必要以上には口を利きたがらない性分らしい。入
れ代わりに品のいい女が出てきてサラダの皿をカウンターに置いてくれた。きっとあの親
父の女房なんだろう、40がらみのその横顔を見ながらそんなことを思った。
 「ご旅行ですか」
 彼女はスープを注いでくれながら訊ねた。
 「ええ、まあ。人に事業を譲りましてね。楽隠居の身分になったから……」
 「人にって……、息子さんではなくって?」
 詮索好きな女だなと思いながら私は答えた。
 「結婚はせんかったのです。まあ、縁がなかったのでしょう。あるいは、そう、昔好き
になった女を忘れられなかったのかも知れません。さっきそのメニューを見ていてその女
のことを思い出しました。それが、得意料理だったようだ……」
 女の笑みがふっと深くなったような気がした。女はスープを置くと奥へ引っ込んだ。暫
くしてラザニヤをマスターが運んできた。なんだか懐かしい味がして、また昔の女のこと
を思い出した。今頃はどこで、どんな風にして暮らしているのだろうなどと埒もないこと
を……。
 戦後間もなくで、信じられないほど貧しかった頃。それでも確か、一度だけ何か買って
やった覚えがある。そう……、縁日で買ってやった小さな鳩笛……。なんだかくすぐった
い思い出だ。
 店を出てからもう一度私は振り返った。傍らを通り抜けていった車のライトが看板を浮
かび上がらせる。色あせて古ぼけた小さな鳩が看板の上からじっと私を見下ろしていた。

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