【ひとこと】
 先々週末は、旧暦の七夕だったそうです。その前日、人工衛星の「おりひめ」と「ひこぼし」も無事、デート(?)に成功したようでまずはめでたしめでたしというところでしょうか?(何がだ?)
 と、こじつけておいて、こんなお話を...

                  天の魚

 しのしのしのしの雨は降り続いている。私は仕事の手を休めて小窓を開けると外を窺った。
この世の全てをじっとりと湿らせるような梅雨の雨に我知らず唇を噛んだ。
 このままでは、気分まで湿ってしまいそうだ。大仰にため息をついて私は立ち上がった。手を
めたついでに雨の中を散歩して気を紛らせようと思い立ったのだ。
 朱の傘をさして表に出た。小路を抜けて角を二つ曲がると道は下りながらうねって河原に出
る。普段は静かな河なのだが、こうも雨が続くと流石に水かさが増す。濁った水があふれて河
原を歩くのすら危なくなる。この分では上手にある「カササギノ橋」も渡ることはできまい。足下に
用心しながら河原に立って辺りを眺めた。
 「……けて。」
 空耳だろうか。水面のどこかから声が聞こえたような気がした。
 「助けて。」
 今度は、はっきりと聞こえた。じっと川下の方に目を凝らすと何か光るものが目に飛び込ん
できた。声はどうやらそこから聞こえてくるようだ。
 足を滑らせないようにそろそろと河原を歩いていった。日も射さない薄暗い昼に、それはま
るで自ら光を放つように煌めいて見えた。
 「お願い、助けて。」
 私が傍らに行くと鱗を煌めかせた魚が弾かれたように身もがいてそう叫んだ。漁師が仕掛け
た網に掛かったのだ。その不思議な姿のせいか、魚が口を利いても少しも奇妙には思わなかっ
た。
 懇願するその姿が可哀想で、危ないのは分かっていたけれど、私は迷わず水に入った。水か
さは思いの外増えていて、二、三歩も進むと濁流は腰の高さまで上がってきた。自分の軽率さ
少し悔やんだがそれでも構わず先に進んだ。
 「あっ、」短い悲鳴と同時に私は足を滑らせて頭から水に落ちた。泥を含んだ水が喉になだ
れ込む。咽せかえりながら、私は四つん這いになってようよう体を支えた。起こした顔の目の
前にあの魚がいた。河原に近いところで引っかかっていたのが救いだった。これ以上先へはも
う進めそうにない。
 「ごめんなさい。大丈夫?」
 魚は自分の立場も忘れて私に詫びた。その仕草が可笑しくて這ったまま私は笑った。さて、
糸や紐を扱うのはお手の物だ。漁師には悪いと思いながら、私は手早く網を解いてやった。
 「ありがとう。私はこの河の主の息子でアメノウオと申します。」
 自由になった魚は嬉々として飛び跳ねた。
 「どうかこのお礼をさせて下さい。水に関わることなら何でもできます。」
 アメノウオと名乗ったその魚は私を見上げてそう続けた。
 私は目を丸くして魚を見つめた。半ば諦めていた願い事が思わず口をついて出
 「お願い。今夜だけ雨を止めて。」

 七夕の夜。ずっと続いていた長雨がようやく止み、久しぶりに星空が顔を出した。今頃、織り姫
も愛する彦星との年に一度の逢瀬を楽しんでいることだろう。光り輝く天の川を見上げながら地上の
人々はそんなことを考えた。


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