6月30日の日曜日は朝から静かに雨が降っていた。退屈だなあ。窓の外を眺めながら

若葉は思った。お母さんは定期検診で昨夜から泊まりがけで病院に行っている。お父さん

は月に一度の日曜出勤で工場だ。楽しみに残しておいた小説の最終章もさっき読み終えて

しまったので、その余韻に浸りながらすることもなく雨を眺めていた。

 そろそろ、試験勉強しなくちゃ。もうすぐ期末試験がやってくる。頭では分かっていて

も体はちっとも動こうとはしなかった。

 雨の音がやさしく若葉の耳に響くばかりの、静かな午後だった。!!!!!!。インターホン

の音が静けさを破った。

 「はあい。」

 若葉は立ち上がって玄関に走って行った。

 「宅配便です。」

 扉の向こうで声がした。若葉は電話台の下から印鑑を出すと玄関の鍵を開けた。

 「ごくろうさま。」

 大きな箱を受け取って印鑑を渡しながら言った。宅配便屋さんが帰り、扉を閉めてから

改めて箱を見た。誰からかしら。差出人の欄を見て、ああと若葉は思った。佐山のお婆ち

ゃんからだ。お母さんの隣の部屋に入院していた佐山のお婆ちゃんはずいぶん良くなって、

この前退院したそうだ。宛名はお母さん宛てになっていたので包みは開けずに下駄箱の上

に置いた。

 自分の部屋に戻ろうとした若葉は、今鍵を閉めたばかりの玄関の扉にふと目を止めた。

そのままじっと扉を見つめていると、雨音がさあっと遠ざかっていくような気がした。

 この扉の向こうには何があるのかしら?無意識のうちにポケットを探って魔法の鍵を取

り出す。運動靴をつっかけるとゆっくり扉に近付いていく。鍵はいつもと同じように何の

抵抗もなく鍵穴に収まった。持ち手を回す時、訳もなく喉が鳴った。カチャン、と音がし

て鍵が開いた。ノブに手をかけると細く扉を開いた。

 白い……。扉の向こうが見えた瞬間若葉はまずそう思った。それが何なのかまるで分か

らなかったけれど扉の向こうは白一色だったのだ。若葉は扉をもう少し開いてみた。

 真っ白な中に白いドアが見える。ああ、これは白一色の部屋なんだと気付いた。黒いツ

ーピースを着た小柄な女の人が部屋の隅に二人いて、立ったり、かがんだり忙しそうに手

を動かしている。時折りその人達が手元のテーブルに道具を置いたり、取ったりする音が

微かに響くだけで白い部屋の中は静かだった。 立っている方の女の人が小声で何か言っ

て低い笑い声が起こったけれど、何を言ったかはよく聞き取れなかった。

 二人の仕事は間もなく終わったようで、テーブルの上の道具をしまうと若葉からは見え

ない部屋の別の隅に歩いて行った。

 二人の向こうには真っ白なドレスを着た女の人が背中を向けて座っていた。花嫁の支度

をしていたんだわ――若葉は初めて気が付いた。

 と、白い部屋のドアをノックする音が大きく響いた。

 「若葉、支度はできたかい。」

 扉の向こうで若い男の人の声がした。花嫁は、すっと立ち上がりドレスの裾が大きく波

打って広がった。

 「今、行きます。」

 花嫁がこちらに振り返った。その人の顔を見て若葉は息をのんだ。白いドアのノブが回

って、勢いよくドアが開く。弾かれたように若葉は玄関を閉めた。大きな音が家のなかに

響いた。若葉は、しばらく息を整えるようにしながら目を堅く閉じて玄関の扉にもたれて

いた。

 やがて、若葉は鍵穴から鍵を抜いて部屋に戻った。宝箱の中に魔法の鍵をしまって、箱

の鍵を掛けるといつものように箱を飾り戸棚に戻す。宝箱の鍵は引き出しにしまった。ま

だトクトクと鳴り続けている心臓を静めようとするかのように若葉は胸を押さえた。


 それから、若葉は一度も宝箱を開いていない。ロンドンデリーが聞きたくなると机の上

のチョコレートの箱を開くことにしている。――拓ちゃんに何かお礼をしなくちゃいけ

ないなあ。少し甲高いその音楽を聴きながら、若葉は宝箱の向こうにいた拓也の横顔をぼ

んやり思い浮かべていた。

 宝箱の鍵は相変わらず机の引き出しに大切にしまわれていて、若葉は時折りそれを取り

出してはじっと見つめている。その小さな銅の鍵を見つめていると訳もなく頬が染まるの

を感じて慌ててまた引き出しにしまうのだった。

                       9

 それから10年の歳月が流れた。若葉は去年、司書の資格を取って今は町の図書館に勤

めている。雪江ちゃんは、自称キャリアウーマンを目指しているとかで、電車で30分か

かる大きな街の事務所に就職した。拓也は念願の電気会社で技師をやっている。

 若葉と拓也は職場が同じ方向なので朝は大抵、一緒にでかける。いつもは若葉が誘いに

行くのだが、たまに若葉が寝坊したりすると拓也が若葉の家にやって来て、聞こえよがし

に玄関先で大声を出す。

 「若葉ぁ、支度はまだかぁ。」

 その声を聞くたびに若葉は、いつか遠い昔に聞いたことのある声のような気がして、懐

かしい気持ちに包まれながら首を傾げてしまうのだった。

                                            −Fine.−



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