銀鈴(ぎんれい)

 クリスマスの前日、市場は今夜のごちそうの買い出しに来たお客で大にぎわいです。

 折からの雪花に人々は目を細めて、イヴの雰囲気を楽しんでおりました。

 陽気なクリスマス音楽が流れて、皆の気分をますます浮かれさせます。お母さんもつい子供たちの

おねだりを聞いてやり、男の子はガールフレンドへのプレゼントを思い立ちます。

 

 市場を抜けたところには大きな駅があって、ここでもクリスマスを故郷で過ごそうという人々でごっ

た返していました。ほら。大きな汽笛を鳴らして、遠い雪国へ向かう列車が発車しようとしています。

両わきに荷物を抱えたおばさんが、ばたばたと階段を下りてきて走り始めた列車に飛び乗りました。

 「あの汽車はどこまで行くの。」

 「あれはここよりずっと寒い村に行くのさ。」

 向かいのホームで南の町へ帰る親子が話しています。

 この大きな町からずっと北の方の山奥に小さな村があります。雪が深く、ひどい北風がひっきりな

しに吹いているので、いちばん家がかたまっている駅前でさえ人影が途絶えがちです。この駅には、

南の大きな町から来る汽車が停まるのです。

 朝から降っていた雪が丁度小止みになって、うっすらと午後の冷たい日差しが誰もいないホームを

照らしています。汽車は二時間に一本しか着きませんので、駅長さんはそれまで駅長室にこもってお

茶を飲んだり、本を読んだりして過ごします。午後のお茶を終えてやおら懐中時計を取り出すとそろ

そろ汽車の着く時間になっていました。

 おやおや、もうこんな時間か。今日はちょっとゆっくりし過ぎたかな。――そんなことを考えなが

ら壁にかけた旗と笛を外します。

 こんな時間に降りる客などいまいと、思いながらも切符をしまう箱も持って部屋を出ました。

 かん高い汽笛が鳴ったかと思うと、山かげから急に汽車が姿を現しました。裾から吹きだす蒸気で

雪を掃きながら駅へ滑り込んで来ます。

 ため息のような蒸気の音をさせて車体を大きくきしませると汽車は止まって、また辺りはしんとな

りました。駅長さんはホームの端に立ってちらっと車両を見渡しました。誰も降りてこないことを見

きわめて、発車の笛を鳴らそうとしたときです。いちばん向こうの車両の扉が微かに音をたてて開く

と二つの人影がホームに降り立ちました。

 めずらしいな。一体こんな田舎に何をしにきたんだろう――。

 今日は、村の人は誰も出かけていないのを思い出しながら駅長さんは心の中でつぶやきました。あ

の人影は、よそから来た人達に違いないのです。

 それ以上お客が降りて来る気配がないので、駅長さんは笛を鳴らして旗を振りました。

 汽笛がかん高く響くと、ゆっくりと車輪が回り始め、轟音をとどろかせながら汽車は駅を離れて行

きました。その轟音もひとしきり辺りを震わせるとすぐにひいて、また駅は静けさに包まれます。

 汽車を見送った駅長さんは、目を出札に近付いて来る人影に戻しました。どうやら若い男の子と女

の子のようです。

 「やっぱりこの辺は寒いわね。」

 身震いしながら女の子が言いました。雪は止んでいますが、風は相変わらず強いので真っ赤な防寒

用のコートもあまり役に立たないようです。

 「夏に一度来たきりだったからね。寒いとは聞いていたけれど、これ程とは思わなかったなあ。」

 吹きつける木枯らしに目を細くしながら、隣の男の子が言いました。それでも陽気に振る舞って、

沈みがちになる女の子をなんとか元気づけようとしています。

 「とにかく、宿に着けば暖まれるよ。」

 言って、柔らかく笑った彼の笑顔を見て女の子も片笑くぼを作りました。

 出札に近付いて来る二つの人影を見つめながら駅長さんは、忙しく頭を動かしました。

 ――駈け落ちかな。

 こんな季節に村に旅行に来る人などいません。年格好から見ても充分に考えられることだと思いま

した。

 だんだんこちらに近付くにつれて、二人の顔立ちもはっきり見てとれます。背高のっぽの男の子は、

青年といっても良いくらいで、二十歳前後に見えました。人懐っこい目をしていて、顔立ちも穏やか

です。 隣の女の子は彼の肩ぐらいまでしかない背丈で、人見知りの激しそうなおずおずとした目を

していました。年は、十五、六に見えますが、そのあどけない顔立ちを引算すれば、もう二十歳に近

いのかも知れません。

 二人は、出札まで来ると軽く会釈をして駅長さんに切符を渡しました。二つの切符を見て、二人が

別々の駅から今の汽車に乗り込んできたことに駅長さんは気付きました。

 「ちょっと、電話をかけてくるわ。」

 小さな声で言って、女の子はガラス戸を開けて待合室を抜け、表に出ていきました。男の子も後に

続いて待合室に入りガラス戸を閉めました。二人分の荷物を木のベンチに置くと、ダルマストーブに

手をかざしながら、彼は道の向こうの煙草屋で電話をかけている女の子を見守っていました。

 やがて、女の子は受話器を置いて待合室の方に小走りに戻って来ました。彼女がガラス戸を開けた

途端、木枯らしが吹き込んで男の子のコートをからげました。

 「良夫ちゃん。早く出ましょ。」

 白い息を弾ませながら女の子は、早口で言いました。男の子――良夫君は、うなずくと無言で荷物

を持って外に出ました。

 二人の後ろ姿を眺めながら駅長さんは、自分も若い頃に奥さんに恋をした時、彼女の両親に随分と

反対されたことを思い出していました。うまく駈け落ちできればいいが――などと、お茶を飲みなが

ら独りごちていました。


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