お医者さまは熱を下げる薬を置(お)いて帰って行きました。なな
こちゃんは氷まくらとタオルをお父さんにわたすと台所にもどっておじやを作り始めました。お母さんに少しずつ教わって、ななこちゃんはお料理だってできる のです。お母さんに買ってもらった子ども用の包丁(ほうちょう)で、まずは野菜(やさい)を小さく切っていきます。にんじん、しいたけ、はくさい、ほうれ んそう、ねぎ。どれも体に良いものばかりです。たっぷりのお湯をわかして、かつぶしでおだしを取って、ななこちゃんは野菜をやわらかく煮(に)ました。ゆ うべのごはんを入れて、お塩(しお)をふって、といた玉子を流しこんだら三人分のおじやのできあがりです。仕上(しあ)げにななこちゃんはおしょうゆをひ とたらしと、ごまをひとふり入れました。ごまのこうばしいにおいがしてきて、ななこちゃんのおなかが、ぐうと鳴りました。 おわんに取り分けたおじやをお盆(ぼん)に乗せてイダテンくんの
ところにもどると、イダテンくんはあせをふいてもらって、ななこちゃんのパジャマに着がえて横になっていました。それは、ななこちゃんのお気に入りの黄色 いパジャマだったので、ちょっといやだなあとななこちゃんは思いました。でも、イダテンくんはほかに着替えを持っていないし、病気だからしかたないかと思
い直すことにしました。 「おじやを作ったけど、食べられる?」 ななこちゃんがたずねると、イダテンくんは、『いらない』とすねたように言いました。けれど、言ったとたんにイダテンくんのおなかが、ぐうと鳴ったので、ななこちゃんもお父さんも声を立てて笑(わら)いました。 お父さんがちゃぶ台を運んできて、イダテンくんはふとんから体を 起して三人でおじやを食べました。イダテンくんは『おじやなんて食べたことない』とまだ文句(もんく)を言いながら、スプーンですくって口に入れました が、熱(あつ)いおじやにおどろいて目を白黒させながらむせてしまいました。 「よくふいて、冷ましてから食べるんだよ」 ななこちゃんが教えると、ふた口目からは、ふうふうとスプーンの 上で冷(さ)ましてから口に入れました。それでも、味は気に入ったようで、イダテンくんは二回もおかわりをしました。お昼ごはんが済むと、お医者さまのく
れた薬(くすり)を飲んで、イダテンくんはあっという間にねむり始めました。 イダテンくんがねむると、お父さんはこっそりイダテンくんの足の型(かた)を取りました。取った型紙を持ってお店に入って行くと、ほどなく木づちの音が聞こえ始めました。イダテンくんのためにくつを作ってあげるつもりのようです。 ななこちゃんは台所にもどってお昼ごはんの片づけをすませると、今度はお母さんに教わったばかりのリンゴのパイを作り始めました。明日の朝ごはんに三人で食べようと考えたのです。 バターと粉とお水で生地(きじ)をこねて、野球のバットを短くし
たようなめん棒(ぼう)で生地をのばしていきます。ななこちゃんはのばした生地を折り重ねてはまたのばすことをくり返しました。小さなななこちゃんは、う
でだけの力では足りないのでぴょんぴょんはねて体重をかけないと生地がうまくのびません。そばで見ていると、まるで体そうかダンスをおどっているみたい で、台所の前を通りかかったお父さんは笑(わら)ってしまいました。うすくのばした生地を半分に切ってパイざらにしくと冷蔵庫にしまいます。それからなな
こちゃんは、引越(ひっこ)しの時におばあちゃんがくれた、とっておきのリンゴを小さく切っておなべに入れると、砂糖(さとう)とバターとレモン汁といっ しょにやわらかく煮(に)ました。 最後に、パイざらにリンゴをならべて、残りの生地を細いひものよ うにのばすと、りんごの上に格子(こうし)もようにかけました。仕上げに卵をといて生地にぬると、ななこちゃんはパイを冷蔵庫(れいぞうこ)にしまいまし た。オーブンはななこちゃんには使えないので、明日の朝にお父さんに焼(や)いてもらうのです。 夜になっても、イダテンくんはぐっすりとねむっておりましたの で、そのまま寝かせておいて、お父さんとななこちゃんの二人だけで夕ごはんを食べました。それから、ななこちゃんがふとんに入ってねむった後(あと)も、 お店からはお父さんが木づちを打つ音が夜おそくまで響(ひび)いておりました。 次の朝、ななこちゃんはリンゴのパイが焼ける良いにおいで目をさ ましました。お父さんが早起きをしてパイを焼いてくれているのです。ななこちゃんはイダテンくんのねむっている部屋(へや)に様子(ようす)を見に行きま した。『まだ寝てるかもしれない』――、そう思ってななこちゃんはそうっと部屋(へや)の戸を開けました。けれど、イダテンくんはもう起きていて、体そう のようにふとんの上で足ぶみをしていました。 「けがは?起きて大丈夫(だいじょうぶ)なの?」 「オレは神様の子だ。けがなんか、一晩寝(ね)れば治るさ」 そういってイダテンくんは足のほうたいをくるくるとほどきました。見ると、昨日(きのう)血が出ていた傷口(きずぐち)はきれいになくなっていて、まるではじめからけがなんかしていなかったみたいです。 「すごいんだねえ」 ななこちゃんが感心(かんしん)すると、 「へへん」 と、イダテンくんはとくいそうに鼻の下を指でこすりました。熱もすっかり冷めたようです。 「朝ごはん、いっしょに食べよう。夕ごはん食べてないからおなかがすいているでしょ」 台所のテーブルにはきつね色に焼(や)けたリンゴのパイが大きな
お皿にもりつけられていて、焼けたリンゴの良いにおいが部屋(へや)いっぱいに広がっていました。ななこちゃんがパジャマを着がえて入って行くとイダテン
くんはもう白いふしぎな着物(きもの)に着がえてイスにすわっていました。 「おはよう」 お父さんがななこちゃんに声をかけながら三人分の紅茶(こうちゃ)をいれてくれました。 さっそく、焼きたてのパイを切り分けて朝ごはんを食べながら、お 父さんはイダテンくんのけがの具合をたずねました。イダテンくんの傷がなくなっているのを見て、お父さんは目を丸くしましたが、ほっとした様子(ようす) でした。イダテンくんはよほどおなかがすいていたのでしょう。パイをふた切れもおかわりしました。 「本当にお世話になりました」 パイを食べ終えるとイダテンくんは、ぴょこんと立ち上がって、きちんとおじぎをしました。 「ほんらいなら、父がうかがってお礼を申(もう)し上げるのがすじですが、ゆえあって父は神の世界をはなれることができません。ぼく――、いえ、わたくしがけんぞくのそうだいとして、ななこさんとお父さまのご親切(しんせつ)にお礼を申し上げるごぶれいをおゆるし下さい」 とつぜん、じゅもんのような言葉(ことば)をとなえるイダテンくんが、ななこちゃんには知らないおとなの人のように見えました。お父さんはにっこり笑(わら)って立ち上がると、 「これはごていねいなごあいさつ、いたみいります」 と、おとなの人にするようにていねいにおじぎをしました。それか ら、イダテンくんの手を引いてお店の方に連(つ)れて行きました。ななこちゃんがあとからついて行くと、作業(さぎょう)台(だい)の上に真っ白な新しい
くつが乗っていて、お父さんはそれを木の型からはずすと、イダテンくんに渡しました。 「はいてごらん。君の足に合わせて作ったんだ」 イダテンくんは困(こま)ったような顔になって、その白いくつを見ていました。 「ぼくたち神は、はだしで走るものです。せっかくですけど、くつは重たいだけでじゃまになりますから、はきません」 「まあ、そう言わずに」 お父さんは笑(わら)いながらイダテンくんの足もとにかがむと、
片足ずつ持ち上げてくつをはかせてあげました。イダテンくんは、しかたなさそうにくつをはいたまま店の中を歩き回りました。最初は生まれたての子馬のよう にぎこちなく。それから少しずつスピードをつけてはね回りながら。やがてダンスをおどるように軽やかに。イダテンくんがスピードをつけてくるくる回ると、
足もとに小さなつむじ風が、ごうっと音を立てて舞(ま)い上がりました。 「すごい。このくつすごいです。まるでぼくの足そのものみたいだ。くつって、こんなにすごいものだったんですか?」 「お父さんのくつはとくべつなんだよ」 今度は、ななこちゃんがイダテンくんのまねをして、得意(とくい)そうに指で鼻の下をこすりました。 「でも、ぼくお金を持っていません。だからこのくつを買えません」 イダテンくんはダンスをやめて立ち止まると、しょんぼりとした声で言いました。 「まさか、神様からお金をいただくわけにはいかないよ。そのくつはこのお店から神様へのプレゼントだ。特にじょうぶなかわで作ってあるから、もう、けがをすることもないだろう。そのくつで世界を思い切りかけなさい」 笑(わら)いながらお父さんはイダテンくんの肩(かた)を叩きました。それを聞いたイダテンくんの顔は、山のはしから顔を出した夜明けのお日さまのようにかがやきました。 「ひとつだけ、ぼくにできるお礼をさせて下さい」 ふと思いついたようにイダテンくんは店のまどべに行くとまどにかかったかん板を取りました。 『くつのおみせ あなたにぴったりのくつを作ります』 と書かれています。イダテンくんはその文字の下に指を当てると、そっと目を閉じました。それから低(ひく)い声で何かじゅ文をとなえると、一息(ひといき)に指をすべらせました。すると、かん板にきれいな朱色(しゅいろ)の文字が浮(う)かび上がったのです。 『くつのおみせ あなたにぴったりのくつを作ります イダテン様ごようたつ』 「これは正式な父さんのサインです。お客さまがたくさん来ますようにって」 「やあ、世界一足の速(はや)い神様にみとめてもらえたなんてすごいな。くつ屋にとって一番のめいよだよ」 うれしそうにお父さんは朱色の文字を指でなぞると、かん板を大事そうにまどにもどしました。 |